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本気のキスは甘くとろけて(R15版)  作者: 矢崎未紗


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本気のキスは甘くとろけて(R15版)2

 その後は驚きの連続だった。名刺を渡したかった相手は間違っていないという返事だったし、おまけに今度二人で会えないかと、お誘いの言葉まで頂いてしまったのだ。

 柚子は驚き、悩み、悩み、非常に悩んだ。どうして自分なんかに? 賢人は何を考えている? これは本当に、少し遊ぶだけの手頃な関係を築きたいだけなのでは? そう賢人を悪く思う気持ちも少しはあった。しかし柚子は、「一回ぐらいは会うのが礼儀かな……」と思い、賢人とのデートに向かった。


 この国で最も権威のある大学を卒業し、大手の証券会社に務めて四年目という賢人は、知れば知るほど二次元の世界のヒーローか、と思う人物だった。

 高校時代はサッカー部で、全国大会に出場したことがあるという。それなのに模試では常に成績上位で、予備校では一部費用免除の特別待遇を受けるほどだったらしい。プロになれるのでは、とも言われたそうだが、サッカーは高校限りですっぱりと辞め、今では普通のサラリーマンをしている。しかし、ぱっちりとした二重にしゅっとした鼻筋、スポーツをしていたのだと容易に想像できる首の太さと厚い胸板。女性ならば誰もが一瞬は見惚れるような容姿で、芸能界に興味はありませんかと、スカウトされたことがあるに違いない。「普通のサラリーマン」と言うにはできすぎていた。


 柚子には三歳上の社会人の兄がいるが、兄こそ普通のサラリーマンだ。まだ学生気分が抜けていなくて、毎日疲れたと愚痴をこぼし、そのくせ学生時代よりも財布の中が潤っているので飲み会にはやたらと行って、早くもビール腹が育ちつつある。自分も平凡だが、兄も絵に描いたように平凡だ。

 そんなごく普通の会社員の兄がいるからこそ、柚子は思う。

 賢人のスペックは決して普通ではなく、高嶺の花と言っても過言ではない。対して自分は、不細工ではないと思うが飛び抜けてかわいいわけでもきれいなわけでもなく、あっと驚くような特技や能力があるわけでもない。キスの経験はあるし、大学生になってから一度だけ男の子と付き合ったこともあるが、性行為の経験はまだなく、垢抜けしきれていない。

 そんな平々凡々すぎる小娘の自分のいったいどこに、賢人は興味を持ったのだろうか。それとも、平凡な小娘だから簡単に転がせると思ったのか。


 たいそう疑問だったのだが、義理のつもりで賢人と二人きりで会ったその後も、柚子は賢人からデートに誘われ続けた。断りたいと思う明確な理由は特になく、柚子は戸惑いながらも何度か賢人と二人で出かけた。そしてある日、賢人から正式に交際を申し込まれた。

 賢人は基本的に愛想がなくて、言動がクールすぎると思うところもあった。だが、言い換えれば常に冷静で、軽率さや放漫なところはない。何回か重ねたデートで、賢人に対して不満や嫌悪感を抱いたこともない。「好きだ」と思うには、まだ少し心が遠いところにある気がしていたが、彼から「付き合ってほしい」と言われて素直に「嬉しい」と思えたので、柚子は恐れ多くもその申し出を受けた。


 賢人は人目を引く印象的な見た目と違って、芯から落ち着いていた。急に声を荒らげたり激しく気分を変えたりすることはなく、メッセージアプリのやり取りでも、たまにする電話でも、いつも一定のテンションを保っていた。

 そして大手の証券会社勤めだからなのか、賢人は常に仕事が忙しそうだった。残業は毎日のようにあるし、急な仕事で柚子とのデートをキャンセルすることもあった。取引先相手の希望であれば、キャバクラへ一緒に行くことも珍しくはないらしい。柚子に知るすべはないが、もしかしたら一人や二人、店外での付き合いのある顔馴染みのキャストもいるのかもしれない。

 ハイスペックで、仕事のできるとても多忙な社会人の恋人。ただの大学生にすぎない自分には、正直もったいなさすぎる相手だ。


(私って……ただの遊び相手なのかな)


 だから、柚子はつい何度も考えてしまう。

 彼にとっての自分は、年下で言いなりにさせやすく、社会人よりも日々の時間に余裕のある学生だから、都合よく遊べる相手にすぎないのではないか。多忙な日々の合間にちょっと遊ぶ程度の、お手軽な相手でしかないのではないか。普段は充電器に差したまま放置しておいて、気が向いたときだけ手を伸ばすゲーム機のようなものだ、と。

 賢人と付き合い始めてから数カ月が経つが、柚子は何度も何度も卑屈にそう考えた。


 しかし、遊び相手にすぎないのではないかと考えると、一つだけ腑に落ちないことがある。それは、賢人がキス以上のことをしてこない、という点である。

 ファーストキスは高校生の時に済ませてしまった柚子だが、セックスの経験はまだない。五歳年上の賢人は当然あるだろうが、不思議なことに、柚子に手を出す気配は一切なかった。

 デートで夕食を終えたあとは、それ以上の寄り道をすることなく必ず柚子を帰らせるし、怪しげな空気のバーに誘うだとか、無理やり飲ませて酔った勢いのままホテルに直行だとか、そんなことも一切ない。賢人は一人暮らしをしているそうだが、自宅に柚子を招くこともなく、健全な屋外でのデートしかしない。もしも本当に、ただの遊び相手にすぎないのならば、さっさと体の関係を持ちたがるのが当然のような気がする。


 付き合ってはいるのにセックスをしないこの関係は、遊びにすぎないのか、そうではないのか。ひっそりと、しかし明確に引かれているような気がする見えない線は、いったい何のためにあるのか。絶妙に縮まらないと感じてしまっている賢人との距離感は、いったいいつになれば埋められるのか。自分は彼の恋人だと、胸を張って思っていてもいいのか。

 賢人と付き合っていても、柚子はいつもどこか、淋しさを感じていた。



   ◆◇◆◇◆



「電車、間に合うか?」


 初夏に行われた合コンから、気付けば季節は二回変わり、年も明けた。

 新年を祝う空気がほんの少し薄まった、冬の土曜日のデート終わり。

 賢人は自分の左手首の腕時計と改札内にある時計の両方を確認してから、柚子に尋ねた。


「はい、大丈夫です」


 柚子はこくりと頷く。

 今日は久しぶりに長い時間、賢人と一緒にいられた。長く首都圏に住んでいるが、実はまだ行ったことのない最新の巨大電波塔に行って観光し、のんびりと食事をして、途中でスイーツの食べ歩きもした。そして、今日は夕飯前に別れることになっている。


「また連絡する」


 背の高い賢人は柚子を見下ろした。

 電車なんて、まだいくらでも走っている時間なのに。門限までは、まだ数時間も余裕があるのに。まるで早く柚子を家に帰さねば、という雰囲気で、賢人は柚子と別れる瞬間を待っていた。


(私は……私は本当に、賢人さんの恋人……?)


 ターミナル駅を行き交う大勢の人々。その中の何人かの女性が、賢人にちらちらと視線を向けているのがよくわかる。賢人の格好はごく普通の冬物のロングコートだが、イケメンオーラが余すことなく自然と放たれているのだ。

 芸能人と並んでも見劣りしなそうなほど、麗しい外見の賢人。しかし、自分に注がれるあまたの女性の視線などすべて無視して、ただ柚子だけを見つめている。


「じゃあな」

(……やだ)

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