EP 6
ポポロ村の危機と、社畜令嬢の土壌改革
ポポロ村での生活は、眩しいほどの朝光とともに始まった。
私にあてがわれたのは、キャルルちゃんが借りている広々としたシェアハウス(4LDKで月家賃・金貨三枚という破格の物件だ)の一室。
ふかふかのベッドから起き上がり、窓を開けると、澄み渡った高原の空気が胸いっぱいに広がる。
「おはよう、ナツコちゃん! 朝ごはんできてるよー!」
1階に降りると、カジュアルな部屋着に身を包んだキャルルちゃんが、キッチンで鼻歌を歌いながらフライパンを振っていた。
テーブルの上には、カリッと焼けたシープピッグの香ばしいベーコンに、太陽芋のポテトサラダ、そして搾りたてのポポロ・コーヒー。
「うわぁ……すごく美味しそう……!」
「ふふん、私の手料理よ! さ、冷めないうちに召し上がれ!」
二人で向き合い、美味しい朝食を口に運ぶ。
誰にも文句を言われず、時間に追われず、温かいご飯を食べる。それだけで、胸の奥がじんわりと解けていくようだった。
――だが、その平和な時間は、唐突に破られることになる。
「大変だぁぁぁ! キャルル村長、助けてくれぇぇぇ!」
ドタバタと激しい足音が響き、シェアハウスの玄関扉が勢いよく開け放たれた。
飛び込んできたのは、麦わら帽子を被り、泥だらけのオーバーオールを着た小太りのおじさん――ポポロ村で広大な『月見大根』と『陽薬草』の畑を営む、農家のゴードンさんだった。
「どうしたのゴードンさん!? 朝からそんなに慌てて!」
キャルルちゃんがウサギ耳をピンと立てて立ち上がる。
「第3農区の畑が……畑が全滅しかけてるんだ! 昨日まで青々と茂っていた月見大根と陽薬草が、急に黄色く萎れて、土がカチカチに痩せ細っちまって……! 魔物の呪いか、神様の天罰じゃ! このままじゃ、今期の収穫が全滅しちまう!」
「なんですって!?」
ポポロ村の生命線は、豊かな農業と特産品だ。畑が全滅すれば、村の経済は大打撃を受けてしまう。
「すぐ行くわ! ナツコちゃん、ごめんね、ちょっと現場を見てくる!」
「私も行くわ、キャルルちゃん!」
私はトーストを急いで飲み込み、古びた上着を羽織って二人の後に続いた。
◇
第3農区の現場へ着くと、そこには青ざめた顔の農家たちが大勢集まっていた。
広大な畑の一角が見事に黄変し、作物が力なく首を垂れている。
農家の一人が、必死な顔で畑に水をバケツでぶちまけていた。
「おい、もっと水を撒け! 神様への祈祷の捧げ物も持ってこい!」
「待って、水は撒いちゃダメです!」
私は思わず大声を上げて制止した。
泥を気にせず畑の中へ踏み込み、萎れた陽薬草の根本の土を握りしめる。
固く、水はけが悪く、酸っぱい刺激臭がほのかに鼻をついた。
「これ……連作障害と、重度の土壌酸化ね」
「なんじゃと? れんさく……さんか……?」
ゴードンさんたちがポカンと口を開ける。
「おいおい、どこの令嬢様か知らんが、素人が知ったかぶりをするもんじゃないぞ」
人群れを割って現れたのは、青い葉っぱの髪をなびかせ、背中に大きなネギ型の剣を背負った、人型の樹人――ポポロ村の学校で教師を務める突然変異体『ネギオ』さんだった。
ポポロシガーをくわえた彼は、鋭い目つきで私を睨みつける。
「わしが見たところ、ただの肥やし不足だ。ドワーフ特製の強烈な化成肥料をドカッと撒けば一発で治る。お前さんみたいな箱入り娘に、泥臭い畑の理屈が分かってたまるか」
「いいえ、化成肥料をこれ以上撒いたら、トドメを刺すことになります!」
私はひるまず、ネギオさんの目を真っ直ぐ見返した。
前世の社畜時代、私は専門商社で農業資材や海外肥料のロジスティクスを担当していた時期がある。
徹夜で何百冊もの専門書や論文を精査し、現地農家の失敗事例を泥臭くデータベース化していた経験が、頭の中で鮮明に蘇っていた。
「ご覧なさい! 土が通気性を失って固化し、根腐れを起こしかけています。この村は連日、太陽芋や月見大根といった土の養分を激しく吸い上げる作物を同じ場所に植え続けていましたね? そこへ無理に化成肥料と大量の水を投入したため、塩類集積が起きて土壌の微小な生態系が破壊されているんです!」
「な……ッ!?」
ネギオさんのポポロシガーが、驚きでポロリと口から落ちた。
「祈祷も、水やりも、追加の肥料も逆効果です。今すぐ必要なのは、過剰な水分を抜き、土壌のpH数値を適正に戻す石灰と、微生物の働きを劇的に活性化させる高濃度の有機土壌改良剤! そして、固まった土を深くまで耕して空気を入れることです!」
私の理路整然とした説明に、現場の農家たちがゴクリと息をのんだ。
「だ、だがお嬢ちゃん……そんな都合の良い魔法の粉や道具が、今すぐこの村にあるわけが……」
(あるわ。……私の、この能力なら!)
私はそっと皆から少し離れ、視界の右隅に『善行ポイント通販』の画面を立ち上げた。
【現在の所持ポイント:520 pt】
(前世の知識と、今の私の道具。……これをどう使えば、現場が一番早く動く……!?)
私は社畜時代に叩き込まれた『現場指示の工程表(段取り)』を脳内で一瞬で組み立てた。
ただ物を渡すだけではダメだ。農家の人たちが迷わず、効率的に作業できる一式を揃えなければ!
【高濃度有機腐植酸・土壌改良剤(業務用20kgパック)×3:90 pt】
【天然苦土石灰パウダー(即効性pH調整材)×2:40 pt】
【人間工学デザイン・高耐久ステンレスカルチベーター(深耕農具)×5:50 pt】
【合計:180 pt を消費します。購入しますか?】
(購入!!)
確定ボタンを押した瞬間。
パパパンッ!と、乾いた音とともに、畑の脇に頑丈な大容量の紙袋と、ギラギラと光る最新の農業工具が山積みになって出現した。
「「「な、なんじゃあぁぁぁぁ!?」」」
農家たちが大歓声を上げて腰を抜かす。
「皆さん、驚いている暇はありません!」
私は高級ドレスの袖を容赦なく捲り上げると、泥の中に膝をついた。
お気に入りの靴が泥まみれになり、綺麗な手が黒く汚れるのも構わず、真っ先に20kgの土壌改良剤の袋を破り開ける。
「ゴードンさん! この黒い粉と白い石灰パウダーを、1対1の割合で萎れた株の周りに撒いてください! ネギオ先生! その新しい農具を使って、根を傷つけないように深さ30センチまで土を掘り起こし、空気を入れて混ぜ合わせてください!」
「お、おう……! 分かったドス……じゃなくて分かった!」(※ネギオ)
「他の皆さんは、第3区画をA・B・Cの3グループに分けます! A班は散布! B班は深耕! C班は余分な水分の排水溝掘り! 私が指揮をとります、すぐに取りかかってください!」
私のテキパキとした、一切の無駄がない完璧な指示。
泥に塗れながら自ら先頭に立って汗を流す姿に、農家たちの目が一変した。
「い、いくぞ野郎ども! お嬢ちゃんの指示通りに動くんだ!」
「「「おーっ!!」」」
それからの数時間は、怒涛のような時間だった。
私は前世の現場管理能力をフルに発揮し、「A班、作業終了! 次はB班入ってください!」「そこ、水が溜まっています、排水溝を10センチ深く!」と、声を張り上げて畑を駆け回った。
汗が額を伝い、服も顔も泥だらけになった。
貴族の令嬢としては、失格かもしれない。
けれど――誰かのために、自分ができる限りの知恵と体力を振り絞って動くこの感覚は、胸がすくほど心地よかった。
そして、昼過ぎ。
「……あ、……おい! 見ろ!!」
農家の一人が叫んだ。
土壌改良剤と石灰が混ざり合い、深耕によって空気が送り込まれた畑。
つい先刻まで黄色く力なく垂れ下がっていた陽薬草の葉が――まるで魔法のようにピんと立ち上がり、鮮やかな青々とした生命力を取り戻し始めたのだ!
カチカチだった土は、ふかふかの柔らかい黒土へと劇的な変貌を遂げていた。
「立つのだ……! 大根と薬草が、息を吹き返したぞぁぁぁぁ!」
「「「うおおおおおぉぉぉぉっ!!」」」
畑全体に、割れんばかりの歓声と嬉し涙が弾けた。
「ナツコちゃん……すごすぎるよ……っ!」
キャルルちゃんが目を輝かせ、泥だらけの私に飛びついてきた。
毒舌だったネギオ先生も、ポポロシガーを指で挟みながら、深々と私に頭を下げた。
「……参ったな。わしの不勉強だった。お前さんはただの令嬢じゃない……本物の『現場の知恵者』だ。無礼を詫びる」
「お嬢ちゃん……いや、ナツコ様! アンタはポポロ村の大恩人だ! 本当に、本当にありがとう!」
ゴードンさんをはじめ、何十人もの農家たちが泥だらけの手を握りしめ、涙を流して感謝を伝えてくる。
その瞬間。
ピンポンパンポーン――♪と、今までで一番大きくて華やかなチャイム音が頭の中に響き渡った。
【条件達成:『地域農業の危機回避および集団指揮による大規模救済』】
【爆発的な感謝を受信しました:300 pt を獲得!】
【現在の所持ポイント:640 pt】
(減った分以上に、ポイントが戻ってきた……!)
泥を拭いながら、私は空を見上げて微笑んだ。
前世で培った知識と段取り力。
そして、この通販の力。
それらを正しく使えば、私はこんなにもたくさんの人を笑顔にできるのだ。
「ナツコちゃん、もう最高の気分ね! 今日はルナキンで一番高い肉料理を奢っちゃうからね!」
「ふふ、ありがとう、キャルルちゃん。でもその前に、お風呂に入らせて……」
泥まみれの二人で顔を見合わせ、私たちは弾けるように笑い合った。
◇
――その頃。
ポポロ村から遠く離れた、ルナミス帝国・ロマン伯爵領の執務室。
「おい……っ! どういうことだ、これはッ!?」
エドワード・フォン・ロマンは、目の前に積み上げられた羊皮紙の山を前に、髪をかきむしりながら怒声を上げていた。
「関税の計算が合わん! 街道の修繕業者から『契約書の条件が以前と違う』とクレームが入っているだと!? おい、執事! あの無能なナツコが隠していた書類を出せ!」
「は、ははっ……! それが、ナツコ様の部屋には一切の引き継ぎ書もノートも残されておらず……!」
「な……なんだとッ!? あの女、どこへ消えた!? 連れ戻せ! 今すぐ連れ戻して、この書類を書かせろ!!」
ナツコという『真の実務担当者』を失ったロマン伯爵領の破綻の歯車が、いま、静かに、けれど確実に狂い始めていた。




