EP 5
ルナキンで朝定食を。クレイジーで最強の親友、キャルル・ムーンハート
夕闇が迫るポポロ村の大通りは、王都のそれとはまったく異なる、どこか温かく活気に満ちた熱気に包まれていた。
街道沿いには、魔石の明かりで明るく照らされた店舗が立ち並んでいる。
『タローソン』の看板の前では、買い出しに訪れた農家のおじさんたちが談笑し、『タローマート』からは焼き立てのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
ここが三カ国の国境が接する「緩衝地帯」だなんて、言われなければ誰も信じないだろう。紛争の影など微塵もなく、住人たちは誰もが生き生きと笑い合っていた。
(本当に……不思議で、素敵な村ね)
トランクを手に歩いていると、私の空腹は限界を迎えていた。
思い返せば、昨夜の夜会からまともな食事をとっていない。途中で買い食いした太陽芋の焼き芋だけでは、流石に胃袋が悲鳴を上げていた。
グゥ……と私の小さなお腹が鳴った、まさにその時。
「いらっしゃいませー! 24時間営業、ルナミスファミリーレストラン『ルナキン』ポポロ支店へどうぞー!」
明るい店員の呼び込みの声とともに、黄色と赤のポップなネオン看板が目に飛び込んできた。
大きなガラス窓の向こうには、ボックス席で楽しそうに料理を囲む人々が見える。
(ルナキン……! 建国者の佐藤太郎様が持ち込んだ、あの伝説のファミレス……!)
吸い寄せられるように、私は自動ドア(微弱な風魔法で開く仕組みだ)をくぐった。
店内には、香ばしいトーストの匂いと、ジューシーなハンバーグの焦げる匂い、そして甘いシロップの香りが充満していた。
「おひとり様ですか? お好きな席へ――」
「あ、あの……! キャルル・ムーンハート村長はいらっしゃいますか?」
店員さんに尋ねようとした、その瞬間だった。
「――ん? 今の声……まさか、ナツコちゃん!?」
店の最奥にある、大きな窓際のボックス席から、聞き覚えのある鈴を転がすような愛らしい声が上がった。
シュバッ……!!
視界がブレた。
音もなく、風を切り裂くような衝撃波が店内を小さく駆け抜ける。
次の瞬間、私の目の前には――頭頂部にピンと立った真っ白でふわふわのウサギ耳を生やした、とびきり可憐な美少女が立っていた。
移動速度、およそ100メートルを5秒台。
店内であるにもかかわらず残留思念のような残像を残して現れた彼女は、足元にタローマン製の特注安全靴(鋼鉄の芯入り)を履き、カジュアルなパーカーにショートパンツというラフな姿をしている。
「ナツコちゃん! ナツコちゃんだぁぁぁぁ!!」
「キャルルちゃん……っ!?」
次の瞬間、ドスゥン!と熊にタックルされたような衝撃とともに、私は華奢な身体で力いっぱい抱きしめられていた。
「キャ、キャルルちゃん、苦しい……! 相変わらず力が強いよ……!」
「ご、ごめんなさいっ! 嬉しすぎて加減を忘れてたわ!」
パッと身体を離した彼女――ポポロ村村長にして月兎族の元姫君、キャルル・ムーンハートちゃんは、可憐なピンク色の瞳を潤ませながら、私の両手をギュッと握りしめた。
「どうしたのナツコちゃん!? 王都から一人で来たの? 手紙もなしに突然なんだもの、びっくりしちゃった! ううん、でもすっごく嬉しい! 立ち話もなんだから、ほら、私の席へ来て!」
キャルルちゃんに強引に手を引っ張られ、奥のボックス席へと通される。
テーブルの上を見て、私は思わず目を見張った。
そこには、山盛りの『苺パフェ』と、地元特産のポポロ煎餅の袋、そして何やら怪しげな同人誌っぽい冊子が広げられていた。表紙には『聖獣機神ガオガオンの社内恋愛事情は辛いよ。』と書かれている。
「あ、ごめんね、散らかしてて! これ、天界の女神様が書いてるっていう大人気の泥沼恋愛小説なんだけど、もうドロドロで面白くて! あ、煎餅食べる?」
「ふふ、相変わらず賑やかね、キャルルちゃん」
久しぶりに会う彼女の破天荒さに、私の緊張が一気に解けていく。
キャルル・ムーンハート。
レオンハート獣人王国の第三姫君でありながら、王族の「籠の鳥」扱いを嫌って自由を求め、ルナミス帝国へ亡命してきた月兎族の女の子。
社交界の片隅で、地味で誰からも相手にされなかった私に、真っ先に「ナツコちゃん! 私と一緒にルナキンでイチゴパフェ食べようよ!」と声をかけてくれた、私にとって唯一無二の親友だ。
「ささっ、ナツコちゃん、お腹空いてるでしょ! ルナキン名物『全時間帯対応・ルナミス朝定食』を頼みましょ! 私の奢りだから遠慮しないで!」
「朝定食……? もう夜だけど大丈夫なの?」
「ふふん、ルナキンを舐めちゃいけないわ! ここは24時間いつだって朝定食が頼めるの! 厚切りトースト、ふんわり目玉焼き、特製人参サラダ、それにドリンクバーとスープバーが付いて銀貨一枚! 最高でしょ!」
キャルルちゃんが卓上の魔導ベルを鳴らし、手際よく注文を済ませてくれる。
数分後、運ばれてきた朝定食は、まさに感動的な内容だった。
香ばしく焼けたキツネ色の厚切りトーストに、とろける黄身が眩しい目玉焼き。シャキシャキとした月見大根と人参マンドラ(叫ばないように加工済みの美味しいやつだ)のサラダ。
「いただきます……!」
一口、トーストをかじり、温かいコンソメスープを飲む。
……美味しい。
泣きそうになるくらい、お腹と心に染み渡る美味しさだった。
エドワード様の屋敷では、いつも冷めきった残り物か、硬いパンしか与えられなかった。
誰かと向かい合って、笑いながら温かいご飯を食べるなんて、前世の社畜時代も含めて、いつ以来だろう。
「……美味い? 良かったぁ」
キャルルちゃんは満足そうに微笑みながら、自前の人参柄のハンカチで口元を拭いた。
そして、ふっと表情を真面目なものに変え、長くて白いウサギ耳をピクピクと動かした。
「それでね、ナツコちゃん。……本題を聞いてもいいかしら?」
彼女の鋭敏な聴覚と心音透過能力が、私の胸の鼓動を聞き取っているのが分かった。
「……ええ。驚かないで聞いてもらえるかしら」
私はスープカップを置き、これまでに起きた出来事を淡々と話した。
エドワード様から書類仕事をすべて押し付けられ、手柄を奪われていたこと。
昨夜の夜会で「無能」と蔑まれ、公衆の面前で婚約破棄されたこと。
実家からも絶縁され、着の身着のままで屋敷を追い出されたこと。
ただし、辛気臭くならないよう、なるべく明るいトーンで話したつもりだった。
だが――話し終えた瞬間。
ピキッ……と、ルナキンの頑丈なボックス席のテーブルに亀裂が入った。
「…………え?」
見れば、キャルルちゃんが可愛らしい顔に【般若】のような笑みを浮かべ、小さな拳でテーブルを極限まで握りしめていた。
彼女の全身から、凄まじい密度の紫電の闘気が溢れ出している。
「……ねえ、ナツコちゃん」
「は、はい……っ!?」
「その……エドワードとかいう金ピカの生ゴミ野郎、どこに行けば会えるのかしら? 今からマッハ1で走っていって、安全靴の先で顎を破砕して、一億ボルトの『超電光流星脚』でロマン伯爵領ごと地図から消し去ってきてあげようか?」
「だ、駄目よキャルルちゃん! 国際問題になっちゃうから! テーブルも割らないで!」
「だって……っ! だってぇぇぇ!」
ポロポロと、キャルルちゃんの大きな目から大粒の涙が溢れ出した。
「ナツコちゃんがどれだけ頑張ってたか、私、知ってるもん! 昔から夜遅くまで書類書いてて、手もお顔もくたくたで……! それなのに、そんな奴らに手柄を奪われて、ゴミみたいに捨てるなんて……! 許せない……絶対に許せないよぉ……!」
「キャルルちゃん……」
彼女は自分の人参柄ハンカチで激しく鼻をかみながら、私の手を両手で強く抱きしめた。
「ナツコちゃんの心音……全然、嘘をついてない。傷ついて、辛かったのに、一生懸命前を向こうとしてる綺麗な音……。ナツコちゃんは、ちっとも無能なんかじゃないわ! 世界で一番優しくて、一番有能で、私の一番大切な親友よ!」
「……ありがとう、キャルルちゃん」
胸の奥が、熱いもので満たされていく。
前世の社畜時代、私は誰からも必要とされていなかった。
成果を上げても「当たり前」と言われ、死んだ時も「代わりはいくらでもいる」と処理された。
今世でも、家族や婚約者から「無能」「道具」としてしか見られなかった。
けれど――目の前のこの子は。
ポポロ村の最強の村長様は、私のことをただの「ナツコ」として、全身全霊で愛し、肯定してくれている。
「決まりね!」
キャルルちゃんはガバッと立ち上がると、腰に手を当てて力強く宣言した。
「ナツコちゃんは、今日からこのポポロ村の住人よ! 私が村長なんだから、誰も文句は言わせないわ! 私が住むシェアハウスの部屋もあいてるし、美味しいものもいっぱいあるの! ここで私と一緒に、最高に幸せになりましょ!」
「えっ……でも、私、村のお役に立てるような特別な力なんて……」
「なーに言ってるの! ナツコちゃんのあの素晴らしい『段取り力』と『事務能力』があったら、ポポロ村の書類仕事なんて一瞬で片付いちゃうわ! 今、前村長が駆け落ちして居なくなってから、村の帳簿が大変なことになってるの! お願い、ナツコちゃん、私を助けて!」
キャルルちゃんが、可憐なウサギ耳を垂らして上目遣いで拝んんでくる。
その言葉に、私は思わずクスッと笑ってしまった。
(ああ……そうか。私には、私の『知恵』がある)
私を見下し、捨て去ったエドワード様たちには分からなかった、私の価値。
それを必要とし、笑顔で迎えてくれる場所が、ここにある。
「ええ……喜んで! 私で良ければ、ポポロ村のために全力で働かせていただくわ!」
「やったぁぁぁぁ!」
キャルルちゃんが再び私に抱きつき、ルナキンの店内に彼女の明るい歓声が響き渡った。
ドリンクバーのメロンソーダで乾杯し、イチゴパフェを分け合って食べる夜。
前世の過労死も、今世の婚約破棄も、すべてはこの温かい夜に出会うための遠回りだったのかもしれない。
私の二度目の人生、本当のV字回復は――この賑やかで温かいポポロ村から、今まさに始まろうとしていた。




