EP 4
もう私は、誰の都合の良い道具にもならない
朝靄が立ち込める王都の西門を抜けると、目の前にはどこまでも続く大街道が広がっていた。
私が目指すのは、ルナミス帝国、アバロン魔皇国、レオンハート獣人王国の三カ国が交差する緩衝地帯――『ポポロ村』。
王都からは、魔獣ロックバイソンが引く定期大型バス(二重構造の頑丈な乗合馬車)に乗って丸一日ほどの距離にある。
乗車券の売り場には、早朝から地方へ向かう行商人や出稼ぎの労働者たちが長い列を作っていた。
私は古い革のトランクを足元に置き、しっかりとコートの襟を立てて順番を待つ。
「はい、ポポロ村行き定期バス、銀貨二枚になります!」
窓口の係員に、手持ちの数少ない銀貨を正確に支払う。
前世で出張の手配や交通費の精算を毎日のようにこなしていた身だ。チケットの購入も、発車時刻の確認も、荷物の置き場所の計算も、私にとっては朝飯前の段取りだった。
(よし、発車まであと二十分。荷物は足元のスペースに収まるサイズだし、席は揺れの少ない中央列を確保すれば完璧ね)
自分のテキパキとした手際の良さに、心の中で小さく苦笑する。
前世のブラック企業で叩き込まれた『社畜の段取り力』は、こんな異世界の逃避行でも存分に発揮されていた。
ふと、背後の王都の街並みを振り返る。
朝焼けに染まる煌びやかな王城と、貴族街の屋敷群。
(今頃……ロマン伯爵家の屋敷では、どうなっているかしら)
エドワード様はきっと、太陽が高く昇る頃まで優雅に朝寝坊を楽しんでいるはずだ。
そして目覚めた後、私が部屋から消え、トランク一つで逃げ出したことを知るだろう。
『ふん、無能な女が惨めに逃げ出したか! 清々したぞ!』
あの男なら、間違いなく高笑いしながらそう言うに違いない。
私が残していった【私的帳簿ノート】の価値にも、私が今までどれほど膨大な実務を処理していたのかにも、今の彼は何一つ気づいていないのだから。
エドワード様だけではない。実家であるクラウディア伯爵家も同じだ。
『役立たずの娘』と私を見下し、便利な道具としてロマン家に売り払った両親。
前世の私も、そうだった。
『佐藤さん、君は本当に気が利くねぇ。助かるよ』
吉岡課長はそう言って甘い言葉を囁きながら、私の成果をすべて自分のものにして昇進していった。
私は「会社のために」「評価されるために」と自分を痛めつけ、過労死するその瞬間まで使い倒された。
(……でも、もう終わり)
私はぎゅっと拳を握りしめた。
私は二度と、誰の都合の良い道具にもならない。
誰かの手柄になるために徹夜で書類を書くことも、自分を殺して理不尽な暴言に耐えることも、今日限りで永遠に辞めるのだ。
「ポポロ村行き、乗車を開始しまーす! お乗りのお客様は搭乗口へお進みください!」
御者の威勢の良い声が響き、乗客たちが一斉に動き出す。
私はトランクを持ち上げ、ロックバイソンの巨大な角が誇らしげに誇示された大型バスへと乗り込んだ。
車内は木製の長椅子が並び、ほのかにロックバイソンの藁の匂いと、乗客たちの生活臭が漂っている。
私は予定通り、車体の中央寄り――車輪の上の揺れが最も少ない席を選んで腰を下ろした。
ガタゴトと音を立てて、巨大なバスが動き出す。
窓の外を流れていく王都の景色。冷たい風が車内の隙間から吹き込んできて、乗客たちは寒そうに肩をすぼめた。
「うぅ……寒いな……今日の朝は特に冷え込むぜ……」
「おい、坊主。大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
斜め前の席で、小さな男の子を抱いた行商風の父親が困り果てていた。
見れば、七歳くらいの男の子がガタガタと身を震わせている。薄手の上着一枚しか着ておらず、唇が紫色に変色しかけていた。
(低体温症の前兆ね……。長旅の途中で体調を崩されたら大変だわ)
私は迷わず、視界の右隅で静かに光る画面――【善行ポイント通販】を開いた。
【現在の所持ポイント:500 pt】
画面をスワイプし、『防寒・生活雑貨』のカテゴリーをタップする。
前世の冬、深夜残業の帰り道で私の命を救ってくれた『あの定番アイテム』が目に入った。
【貼るタイプ 使い捨てカイロ(10個パック):50 pt】
【あったかキッズ用ブランケット(ボア素材):80 pt】
【購入しますか?】
(即座に購入!)
膝の上に置いたトランクの陰で確定ボタンを押すと、カサリと軽い音を立てて、無地の小さな紙袋が出現した。
私は紙袋からブランケットとカイロを取り出すと、席を立って親子の元へと歩み寄った。
「すみません、失礼いたします。よろしければ、こちらをお使いになりませんか?」
「え……? あ、いや、しかしお嬢さん、そんな立派なものをいただくわけには……」
「遠慮なさらないでください。その子、とても寒そうです。この紙の袋……『カイロ』というのですが、裏のシールを剥がして服の上からお腹と背中に貼ると、すぐにぽかぽかと温かくなりますよ。ブランケットもどうぞ」
私がカイロのシールを剥がし、男の子の上着の背中側(衣服の上)へそっと貼り付けてあげると、数分も経たないうちにほんのりと心地よい熱が立ち上り始めた。さらにボア素材のブランケットで体を包み込んであげる。
「うわぁ……! なにこれ、すっごく温かいや……! お腹がぽかぽかする!」
男の子の顔に、あっという間に健康的な赤みが戻った。
「お、お嬢さん……! これは一体どんな魔法道具だ……!? こんな高価そうなものを……本当にいいのか!?」
「ええ、私は予備を持っていますから。どうぞお使いください」
父親は感極まった様子で、何度も何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます、親切なお嬢さん! この御恩は忘れません!」
――ピンポン、と心地よいチャイム音が頭の中に響く。
【条件達成:『困窮する親子への無償の救助と防寒支援』】
【感謝を受信しました:150 pt を獲得!】
【現在の所持ポイント:520 pt】
(使った分以上のポイントが、ちゃんとお礼として戻ってきた……!)
心が、じんと温かくなった。
前世の私は、どれだけ頑張って書類を作っても、吉岡課長から「当然でしょ」と一蹴され、感謝の言葉ひとつかけられなかった。
エドワード様も、私の努力を「無能の足引っ張り」と蔑むばかりだった。
けれど、ここでは違う。
私の小さな機転と親切が、目の前の人を直接救い、心からの「ありがとう」となって返ってくる。
(ああ……私、ちゃんと生きてる。誰かの道具じゃなくて、一人の人間として、誰かを幸せにできているんだわ)
窓の外の景色は、次第に都市の街並みから、雄大な山々と広大な田園風景へと変わっていく。
途中、ロックバイソンバスの定期休憩所で食べた『太陽芋の焼き芋』は、ホクホクと甘く、私の身体を芯から温めてくれた。
旅は順調そのものだった。
夕暮れ時、茜色に染まる空の下で、バスは山あいの小道を抜け、開けた盆地へと差し掛かった。
「客の皆さん、見えてきたぜ! あそこが緩衝地帯『ポポロ村』だ!」
御者の大声に、乗客たちが窓から一斉に身を乗り出す。
私も窓の外を見つめた。
そこに広がっていたのは、私が想像していた「寂れた田舎村」とは一線を画す、信じられない光景だった。
どこまでも広がる美しい畑のあちこちに、見たこともないほど立派な『月見大根』や『太陽芋』が青々と葉を茂らせている。
村の入口には、色鮮やかなネオン看板が煌めいていた。
『24時間営業 ルナミスファミリーレストラン ルナキン ポポロ支店』
『タローソン ポポロ村店』
『タローマン ポポロ大街道店』
近代的なビルや店舗と、豊かな自然が不思議な調和を保ちながら共存している、活気あふれる巨大な村。
「すごい……! ここが、ポポロ村……!」
胸が高鳴るのを抑えられなかった。
この村には、私の唯一無二の親友――月兎族の元姫君にして、現在のポポロ村村長、キャルル・ムーンハートちゃんがいるはずだ。
昔、王都の社交界の片隅で、居場所のなかった私に「ナツコちゃん! 私と一緒に美味しいもの食べに行こうよ!」と無邪気な笑顔で手を引いてくれた、あたたかい彼女。
バスが滑り込むようにポポロ村の停留所へ停車する。
ドアが開き、私はトランクを握りしめてステップを降りた。
爽やかな、けれどどこか賑やかな村の風が、私の頬を撫でる。
(さようなら、私の惨めだった過去。さようなら、私を破滅へ追いやろうとしたすべての人たち)
私は一度も振り返らず、ポポロ村の賑やかな大通りへと一歩を踏み出した。
(ここから――私の、本当の人生を始めるのよ!)
社畜令嬢ナツコの第一章は、いま、輝かしいV字回復の助走へと向かって走り出した。
読んでいただきありがとうございます。
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