EP 3
『マサカ茸』の芳醇な香りと、迷探偵リーザの誕生
ルナミス帝国と国境を接する、ポポロ村の背後にそびえる名峰・ポポロ山。
秋風が心地よく吹き抜けるこの山は、赤や黄色に色づいた木々が美しく、まさに絶好の行楽日和だった。
「すぅーっ……はぁーっ……! 空気が美味しいですわ!」
私は大きく深呼吸をして、山の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
普段は排気ガスや魔導機関の煙が混じる王都の空気とは違い、ここは土と草木の清浄な香りに満ちている。ジルヴェスター様が「強制オフ」を宣言してくれたおかげで、私の頭の中にびっしりと詰まっていた『稟議書』や『税率計算』の数字が、少しずつ溶けていくような感覚があった。
「ふふ、良い顔になったな。王都にいた時の君は、獲物を前にした狩人のような目をしていたからな」
私の横を並んで歩くジルヴェスター様が、楽しげに微笑んだ。
上質な狩猟用コートを着こなした彼は、山道を歩いていても全く息を切らさず、木の根や岩の段差があるたびに、さりげなく私の手を引いてエスコートしてくださる。
「むぅ……公爵様。それはいくら何でも言い過ぎですわ。私はただ、タスクの消化に集中していただけで……」
「そうやって唇を尖らせる顔も、愛らしくて好きだがね」
「〜〜っ!」
サラリと甘い言葉を落とされ、私は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
オンの時の氷のように冷徹な司令官モードも素敵だけれど、こうしてオフの時に見せる、マイペースで余裕のある大人の振る舞い。……本当に、このお方の前では私のペースは乱されっぱなしだ。
「おーい! ボス、公爵の旦那! こっちだ、すっげぇのが群生してるぜ!」
少し前方を歩いていたフェイトが、木立の奥から大きく手を振った。
私とジルヴェスター様が駆け寄ると、落ち葉が積もったふかふかの土の斜面に、立派な傘を開いたキノコが密集して生えていた。
「おおっ! これが幻の秋の味覚、『マサカ茸』ですか!」
マンミアさんが興奮したように声を上げる。
「ええ。間違いない。この独特の松葉のような芳醇な香り……見事な群生だ。フェイト、君のそのデタラメな運の良さは、キノコ狩りでも健在だな」
ジルヴェスター様が満足げに頷く。
「へへっ! ダテにA級冒険者やってねぇからな! よーし、こいつを大量に収穫して、今夜はキノコパーティーだぜ!」
私たちは早速、傷をつけないように慎重にマサカ茸を収穫していった。
◇
一時間後。
山の中腹にある開けた見晴らしの良い広場に、即席のキャンプサイトが設営された。
マンミアさんが手際よく焚き火を起こし、フェイトが石を組んでかまどを作る。私はポポロ村の特産品である『太陽芋』と『米麦草』を使って、マサカ茸の炊き込みご飯と、キノコ汁の準備を進めていた。
「さあ、まずは採れたての網焼きからだ」
ジルヴェスター様が、焚き火の上に置かれた網に、大きく裂いたマサカ茸を並べる。
ジュワァァァ……という心地よい音とともに、マサカ茸から滲み出た旨味の汁が網に落ち、香ばしくも深く、どこか官能的ですらある『極上の香り』が周囲一帯に立ち込めた。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
その香りを嗅いだ瞬間、切り株に座っていたリーザちゃんのお腹から、地鳴りのような音が鳴り響いた。
「うおおおぉぉっ! 良い匂いですわ! アイドルはお腹が空く生き物なんですの! お先にいただきますわーっ!」
リーザちゃんは小枝をお箸代わりにすると、網の上で一番良い焼き色がついたマサカ茸をヒョイッとつまみ上げ、アツアツのまま口の中へと放り込んだ。
「あむっ! ……はふっ、ほふっ……んぐっ!!」
リーザちゃんの顔が、パァァァッ!と極上の喜びに染まる。
「お、美味しいですわぁぁっ! シャキッとした歯ごたえの中から、旨味のジュースが溢れ出して……この芳醇な香り、たまりませんの!」
「コラ、リーザ! 公爵閣下が焼いてくださった一番のキノコを、つまみ食いするとは何事だ!」
マンミアさんが怒ろうとした、その時だった。
「……ピコーン!!」
突如、リーザちゃんの頭の上に(幻覚の)電球がピカッと光った。
彼女は芋ジャージの襟をバサッと立てると、どこから取り出したのか、レンズのない黒縁メガネをクイッと指で押し上げた。
「まさか……! そういうことだったんですのね!」
リーザちゃんが、キリッとした迷探偵の顔つきで立ち上がった。
「え? どうしたの、リーザちゃん?」
私が首を傾げると、彼女はビシィッ!と、かまどの火を調整していたフェイトを指さした。
「すべて見えましたわ! フェイトさん、貴方のその『万年金欠』の謎が!」
「……は?」
フェイトがポカンと口を開ける。
マサカ茸。
それは、松茸に匹敵する極上の旨味を持つ反面、食べると「まさか……!」と思い込み、謎の推理力が『当社比0.5倍増し(※微妙に賢くなったような気がするが、根本的に間違っている状態)』になるという、不思議な副作用を持つキノコ。
その魔力が、極貧アイドル・リーザの脳細胞を無駄に活性化させてしまったのだ。
「皆さんは疑問に思いませんでしたの!? フェイトさんはA級冒険者として莫大な報酬を得ているはずなのに、なぜいつも財布がすっからかんなのか! パチンコに負けたと本人は言っていますが、それは『偽装工作』に過ぎませんわ!」
「な、なんだと!?」
フェイトが驚いて立ち上がる。
「まさか……フェイトさんには、王都の裏社会に『秘密の愛人』がいて、稼いだお金をすべてその女に貢いでいるのではありませんの!? おお、なんという悲恋! 愛する女のためにギャンブル狂のフリをして金を送る男の哀愁……この謎、私が解き明かしましたわ!」
リーザちゃんがドヤ顔で言い放つ。
そのあまりに的外れで、謎のドラマチックな推理に、広場は一瞬、水を打ったように静まり返った。
「お、おい待てコラ! アホ人魚!」
フェイトが顔を真っ赤にして叫んだ。
「俺に愛人なんていねぇよ! ていうか、愛人に貢いでる設定の方が、パチンコで負けるより人間としてダサくねぇか!? 変な冤罪をかけるんじゃねぇ!」
「ふふん! 隠しても無駄ですわ! 私のこの『0.5倍増し』の灰色の脳細胞(マサカ茸パワー)は誤魔化せませんの!」
得意げにふんぞり返る迷探偵リーザと、必死に弁明するギャンブル男。
私が「どうやってツッコミを入れようか」と頭を抱えかけた、その時だった。
「――その推理は、前提条件と時系列が完全に破綻しているな」
焚き火の前で、優雅にポポロ・コーヒーを淹れていたジルヴェスター様が、極めて冷静な、温度のない声で指摘した。
「えっ?」
リーザちゃんがメガネをずらして公爵様を見る。
「まず、前提条件だ。フェイトはここ数ヶ月、ナツコ殿の護衛として王都とポポロ村を往復する激務をこなしている。裏社会に秘密の愛人を囲い、逢瀬を重ねるほどの『時間的余裕』は物理的に存在しない。マメな連絡すら取れない男に、裏社会の女が都合よく付き従うはずがないだろう」
「うっ……た、確かに……」
「次に、時系列だ」
ジルヴェスター様はコーヒーカップを片手に、淡々と事実を積み上げていく。
「ポポロ村の自警団経理担当からの報告によれば、フェイトに給与が支払われたのは昨日の14時。そして、彼が王都の『ルナミスパーラー総本店』の通用口の前で、天を仰いで咽び泣いている姿が目撃されたのが、同日の16時だ」
「なっ……!?」
フェイトがビクッと肩を震わせる。
「わずか二時間の間で、愛人に金を渡し、かつパチンコ屋の前で号泣する偽装工作を行うのは不可能だ。……結論として、彼の資金はすべて『CR異世界転生トラックでドン!』の激アツ演出に吸い込まれたと考えるのが、最も合理的かつ事実に基づいた結論だ。……違うか、フェイト?」
ジルヴェスター様が、冷徹な視線をフェイトへと向ける。
「ぐはぁぁぁぁっ!!」
フェイトは心臓を射抜かれたように胸を押さえ、その場に崩れ落ちた。
「旦那……! 正論が……正論の物理ダメージが痛すぎる……っ! 冤罪を晴らしてくれたのはありがてぇけど、悲惨な現実をそんな論理的にえぐり出さないでくれぇぇっ!」
「なるほど……! 私の推理は、時系列の確認が甘かったというわけですわね! 流石は公爵様、名探偵ですわ!」
「いや、お前がアホなだけだ」
マンミアさんがすかさずリーザちゃんの頭にチョップを落とした。
「ふふっ……あははははっ!」
私はたまらず、お腹を抱えて笑い出してしまった。
マサカ茸の奇妙な魔力で暴走するリーザちゃんの天然ボケに対し、声を荒げることもなく、淡々と合理的な事実だけを突きつけて完璧な『ツッコミ』を入れるジルヴェスター様。
圧倒的に有能なトップでありながら、こんなバカバカしいコメディ空間にも自然に溶け込み、マイペースに場を制圧してしまう。
(あぁ……やっぱり、この人はすごいわ。一緒にいて、本当に退屈しない)
「なんだ、ナツコ。私の顔に何かついているか?」
ジルヴェスター様が、コーヒーカップを置きながら不思議そうに私を見た。
「いえ。……公爵様のおっしゃる通り、フェイトさんはただの自業自得だなって、改めて思っただけですわ」
私が満面の笑みで答えると、ジルヴェスター様もふっと目を細め、優しく微笑み返してくれた。
「さて、キノコが焼けたぞ。温かいうちに食べよう。……リーザ、お前はもう二度とマサカ茸を食べるな。これ以上面倒な推理をされては、せっかくのバカンスが台無しだからな」
「そんなぁーっ! 名探偵のギャラ(キノコ)を没収だなんて酷いですわーっ!」
秋晴れのポポロ山に、私たちの楽しげな笑い声が響き渡る。
だが、マサカ茸によるリーザちゃんの『0.5倍増し』の推理力は、これで終わったわけではなかった。
この後、彼女の放った何気ない一言が、ジルヴェスター様の「規格外の力」を呼び覚まし、とんでもない事態を引き起こすことになるとは……。
お忍びの慰安旅行は、いよいよ予測不能のクライマックスへと突入しようとしていた。
お読みいただきありがとうございます!
第四章第3話、幻の『マサカ茸』の効力によって、リーザちゃんが0.5倍増しの迷探偵として暴走するコメディ回でした!
フェイトの悲しき懐事情をえぐり出す、ジルヴェスター様の「冷静かつ合理的すぎるツッコミ」。B型ヒーロー特有のマイペースさと、どんな状況でもブレない有能さが伝われば幸いです。
「フェイト可哀想だけど笑った!」「公爵様のツッコミ的確すぎ!」と思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と、ページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価いただけますと執筆の大きな励みになります!
次回、ハイになったリーザちゃんがさらなるボケをかましますが……それに対する公爵様の行動が「ヤバすぎ(天然すぎ)」て、慰安旅行がとんでもない方向に転がっていきます。どうぞお楽しみに!




