EP 11
万雷の拍手と、世界で一番幸せな婚約発表
ルナミス帝国宮殿、大広間の最奥。
豪奢な赤絨毯が敷かれた玉座の前に、私とジルヴェスター様は静かに進み出た。
「ルナミス帝国筆頭公爵、ジルヴェスター・フォン・ヴァルハイト。ならびに公爵領最高実務顧問、ナツコ・クラウディア。陛下の御前に」
ジルヴェスター様が優雅に臣下の礼をとると、私もそれに合わせて、ドレスの裾を少しつまみ、完璧なカーテシー(淑女の礼)を披露した。
玉座から私たちを見下ろしているのは、帝国の頂点に君臨するマルクス皇帝陛下だ。
五十歳という年齢を感じさせない引き締まった体躯と、理知的な光を宿した灰色の瞳。威風堂々たるその姿は、まさしく大帝国の覇者に相応しい。
「面を上げよ。ジルヴェスター、そしてナツコ・クラウディア」
低く、重厚な声が響き渡る。
私たちは顔を上げ、皇帝陛下をまっすぐに見つめ返した。
「此度の王都における未曾有の経済危機――一部の不届き者による買い占めと流通妨害。これを未然に防ぎ、迅速に市場を正常化させた手腕、見事であった」
「もったいないお言葉でございます、陛下」
ジルヴェスター様が静かに応える。
「すべては、ここにいるナツコ殿の卓越した分析力と、迅速なロジスティクス(物流網)構築の賜物です。私一人では、これほど鮮やかに解決することは不可能でした」
「ふむ……」
マルクス皇帝は顎を撫で、興味深そうに私を見た。
「余は常々考えていた。国家の富とは、武力や領土の広さだけで決まるものではない。民の労働が生み出す価値の循環……すなわち『見えざる手』による適正な市場の形成こそが、真の国富をもたらすのだとな」
(おおっ……! マルクス皇帝陛下、アダム・スミスの『国富論』の概念をご存知なのね!?)
転生勇者・佐藤太郎がもたらした地球の知識が、この国のトップにしっかりと根付いていることに、私は深い感動を覚えた。
「しかし、その『見えざる手』は、強欲な者たちの悪意によって容易に歪められてしまう」
皇帝の鋭い眼光が、広間に控える貴族たちを射抜くように見回した。
「此度のゼロス・ディバインと悪徳商会による暴挙は、まさにそれだ。ナツコ・クラウディアよ。そなたは、歪められた市場を、いかにして修復したのだ?」
試すような問い。
大広間にいる数百人の貴族たちが、息を呑んで私の返答を待っている。
ここで怯んでいては、元限界社畜の名が廃るというものだ。
「恐れながら、陛下にお答えいたします」
私は澄んだ声で、堂々と口を開いた。
「『見えざる手』が機能するためには、市場への情報の透明性と、自由な競争環境が不可欠です。ゼロス・ディバインは資金力とヤラセによって偽りの需要を作り出し、供給を独占しました。……ですので私は、ポポロ村と自由貿易特区という『外部』から、彼らの関与できない独自の流通ルート(バイパス)を構築し、安価で良質な物資を直接市場に投下いたしました」
「なるほど。悪意ある独占に対し、新たな供給網をぶつけることで価格破壊を起こしたと」
「はい。さらに、彼らの不正な妨害行為に対しては、帝国法に基づく『コンプライアンス(法令遵守)』のトラップを仕掛け、彼ら自身の資金を法的に枯渇させることで、市場から完全に退場させました。……国家の富を守るための『最強の盾』は、武力ではなく、法と契約の遵守であると存じます」
大広間が、水を打ったように静まり返った。
ただの若い令嬢から、これほどまでに論理的で、国家経済の根幹を突く完璧な回答が返ってくるとは、誰も予想していなかったのだろう。
「……見事だ」
マルクス皇帝の顔に、深い感銘と称賛の笑みが浮かんだ。
「ただの理論ではない。現場を知り、法を熟知し、それを実行に移す圧倒的な行動力。……ジルヴェスターよ、そなたはとんでもない『至宝』を見つけたものだな」
「ええ。私の生涯をかけて守り抜くべき、唯一無二の至宝でございます」
ジルヴェスター様が、私の手を取って誇らしげに微笑む。
「ナツコ・クラウディアよ!」
皇帝陛下が立ち上がり、朗々たる声で宣言した。
「そなたの特区開発、および王都経済正常化の多大なる功績を称え、皇帝の名において、そなたを『帝国公認・最高実務顧問』として正式に遇する! 今後、帝国の経済政策において、そなたの助言を大いに期待するぞ!」
「ははっ! 身に余る光栄でございます、陛下!」
私が深く頭を下げると同時に、広間から割れんばかりの万雷の拍手が巻き起こった。
もはや、私を「泥臭い実務屋」と見下す者など誰もいない。
全員が、私の知力と実績、そして隣に立つジルヴェスター様の威光に完全にひれ伏したのだ。
そして――。
拍手が少し落ち着いたタイミングで、ジルヴェスター様がスッと一歩前に出た。
「陛下。そして、本日お集まりの貴族諸卿」
彼の一言で、再び大広間が静寂に包まれる。
ジルヴェスター様は私の方を向き、その大きな両手で、私の両手を優しく、けれど力強く包み込んだ。
「私は本日、この最高の栄誉の場を借りて、皆様に報告したいことがある。……いや、宣言させてほしい」
彼の深い蒼の瞳が、私だけを熱く見つめている。
心臓が早鐘のように打ち、ドレスの下で足が少しだけ震えた。
「私、ジルヴェスター・フォン・ヴァルハイトは……ここにいるナツコ・クラウディアを、我が公爵家の『未来の妃』として正式に迎えることを、ここに誓約する!」
「「「おおおおおぉぉぉっ!!」」」
広間から、先ほどを上回る凄まじい歓声とどよめきが沸き起こった。
帝国筆頭公爵の、公式な婚約発表。
ロマン伯爵家を理不尽に追放されたあの日から、自分の知恵と努力だけで道を切り開いてきた私が、この世界で最も気高く、力強いお方の『ただ一人のパートナー』として認められた瞬間だった。
「ナツコ殿」
ジルヴェスター様が、私の耳元で甘く囁く。
「……少し、抜け出そうか」
「えっ……?」
彼は私の腰を抱き寄せると、祝福の嵐に包まれる広間から、滑るようなステップでエスコートし、バルコニーへと連れ出してくれた。
◇
王宮の広いバルコニー。
夜風が心地よく吹き抜け、眼下には私たちが守り抜いた王都の美しい夜景が、宝石箱のようにキラキラと輝いている。
「ふぅ……。大勢の前での宣言は、さすがの私でも少し緊張したよ」
ジルヴェスター様は小さく息を吐き、悪戯っぽく微笑んだ。
「公爵様ったら……。あんなに堂々と宣言なさるから、私、心臓が止まるかと思いましたわ」
私は火照った頬を両手で押さえながら、上目遣いで彼を見上げた。
「すまない。だが、これでもう、どこの馬の骨とも知れない男や、強欲な貴族どもが君にちょっかいをかけることは絶対にない。……君はもう、完全に『私のもの』だからな」
ジルヴェスター様は私の頬にそっと手を添え、親指で優しく撫でた。
「ナツコ。……君に出会えて、本当に良かった。君が辺境の地で私を助けてくれたあの日から、私の世界は温かく、鮮やかな色を取り戻したのだ」
「ジルヴェスター様……」
「これからの人生、どんな困難が立ち塞がろうとも……私は君の盾となり、剣となる。だから君は、君のその素晴らしい知恵で、私たちの未来を豊かに設計してほしい」
真摯で、どこまでも深い愛情に満ちた言葉。
私は溢れそうになる涙を堪え、極上の笑顔で頷いた。
「はい。……私のすべてを懸けて、ジルヴェスター様と、この国を豊かにしてみせますわ。……愛しております、ジルヴェスター様」
私が背伸びをしてその言葉を紡ぐと、ジルヴェスター様は限界を迎えたように私を強く抱きしめた。
夜空に輝く満天の星と、眼下の王都の光に祝福される中。
私たちの唇が、永遠の誓いを込めて優しく重なり合った。
ちゅっ……。
甘く、温かく、心臓が溶けてしまいそうなほど幸せな時間。
理不尽に搾取され、過労死した前世の私に教えてあげたい。
自分の力を信じて、仲間を大切にして、決して諦めずに戦い抜けば……こんなにも素晴らしいハッピーエンドが待っているのだと。
ピンポンパンポーン――♪
【条件達成:『王都の経済改革完遂および、完全無欠の婚約成立』】
【爆発的なカタルシスと極上の幸福感を受信しました:1,500 pt を獲得!】
【現在の総所持ポイント:6,030 pt】
脳内に鳴り響く、これまでで最も長く、壮大なファンファーレ。
ポイントはかつてないほどの額に膨れ上がっている。
(ふふ……これだけあれば、次は何だってできるわね)
そっと唇を離した私たちは、お互いの顔を見て、幸せそうに笑い合った。
王都を脅かす悪意を完璧なコンプライアンスで排除し、帝国最高の栄誉と愛を手に入れた社畜令嬢。
しかし、アナスタシア世界にはまだ、禁忌の魔族や神々の思惑が蠢いている。
次なる舞台はどこになるのか。
でも、もう何も怖くない。私には最強の仲間たちと、最愛の人がついているのだから!
過労死令嬢・ナツコの第三章は、この世界で一番美しく、幸せな誓いのキスとともに、大団円の幕を閉じたのである。
読んでいただきありがとうございます。
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