EP 10
星空の下のワルツ。少しだけ背伸びをした夜
特区完成記念式典から、数時間後。
昼間の熱気が嘘のように静まり返った夜の国境街に、まばゆい光が灯っていた。
旧館の広大なパーティーホール――かつてはゴミとカビだらけだった場所が、今やポポロ村の職人たちと【善行通販】の魔法によって、王都の高級ホテルにも負けない豪華な祝勝会場へと生まれ変わっていた。
「「「ナツコ様と、自由貿易特区の素晴らしい未来に……乾杯ーーーーーッ!!」」」
ガシャンッ! と、会場全体で一斉にグラスとジョッキが打ち鳴らされる。
香ばしい焼きたての肉料理、湯気を立てるシチュー、そして通販で取り寄せたシュワシュワと泡立つスパークリングジュースが惜しみなく振る舞われ、村人や職人たちの笑顔が弾けていた。
「ヒャッハー! 今夜も食べ放題飲み放題だーッ! ルナキンの新作ストロベリーパフェもあるよーッ!」
キャルルちゃんがウサギ耳をぴょんぴょん揺らしながら、大盛りのパフェを抱えて大はしゃぎしている。
「ナツコ様! この『太陽芋と人参のプレミアムグラタン』、絶品でございます! あぁ……悪辣な搾取者が排除され、こうしてみんなで美味しいご飯を食べられる……これぞ至高の幸福ですわ……っ!」
マンミアさんも騎士の甲冑を外し、胸元を少し緩めた私服姿で、感涙を流しながらグラタンを頬張っていた。
「へっ……俺はローストビーフ10人前平らげたから大満足だぜ。コイントスなんか使わなくても、ボスと一緒にいれば毎日が大当たりだな」
フェイトもミスリルアーマーを脱いでリラックスし、ポポロ・シガレットの煙をフッと吹かしている。
「ふふ、みんな、そんなに急いで食べたら喉を詰まらせますわよ?」
私は、皆の楽しそうな姿を眺めながら、心からの笑みをこぼしていた。
今夜の私は、いつもの作業用オーバーオールではなく、通販で買い求めたシンプルな紺色のイブニングドレスを身に纏っていた。過度な装飾はないけれど、肌触りがよく、夜空の星のように細かなラメが光る上品な仕上がりだ。
(前世では……会社の達成会なんて、吉岡課長のお酌係をさせられて、残飯処理をして終わりだったな……)
ふと、遠い昔の記憶が脳裏を掠める。
どれだけ成果を出しても認められず、自分の居場所なんてどこにもなかったあの日々。
けれど、いま私の目の前にあるのは、偽りのない笑顔と、私を心から必要としてくれる温かな仲間たちの輪だ。
「……ナツコちゃん」
不意に、キャルルちゃんがパフェのスプーンを置き、私に近寄ってきた。
彼女は可憐なピンク色の瞳をニシシと悪戯っぽく歪めると、私の背中をポンと叩いた。
「なに、キャルルちゃん?」
「ふふ〜ん! 私ね、耳がいいから分かっちゃうんだ〜。ほら、バルコニーの方を見てごらん?」
言われて視線を向けると、賑やかなホールの端にある夜風の吹き抜けるバルコニーに、一人静かに佇む影があった。
深黒の礼装軍服を纏い、銀髪を月光に輝かせたお方——ジルヴェスター様だ。
彼はグラスを片手に、遠くの星空を見上げているようだったが、時折ちらりとこちら――私の方へ視線を泳がせていた。
「公爵様、ずっとナツコちゃんのこと待ってるよ? 式典の挨拶やら貴族たちの対応やらで、まだナツコちゃんと二人でゆっくり話せてないでしょ?」
「え……あ、でも、今夜はみんなとの祝勝会だし……」
「何言ってるのよ!」
キャルルちゃんは、ズイッと私の肩を押した。
「今夜の一番の功労者はナツコちゃんと公爵様な健闘を讃え合う時間が必要なの! ほら、空気の読めるイケ女になりなさいって! ここは私とマンミアたちに任せて、行って行って!」
「ちょっと、キャルルちゃん——っ」
「ナツコ様! 行ってらっしゃいませ! 背後はこのマンミアが命に代えて死守いたします!」
「ボス、行ってきな〜。あんまり遅くなると公爵様の目が氷からマグマになっちまうぞ」
マンミアさんとフェイトまで一緒になって、私をバルコニーへと押し出そうとする。
三人の温かい(そして少し茶目っ気のある)アシストに背中を押され、私は意を決して小さく頷いた。
「……ありがとう、みんな。少しだけ……行ってくるわね」
私はドレスの裾を少し持ち上げると、静かにバルコニーへと足を進めた。
◇
ホールのにぎやかな喧噪が、重厚なガラス扉によって遮られ、心地よい夜風の音へと変わる。
月明かりが白銀のように降り注ぐバルコニー。
手すりに寄りかかっていたジルヴェスター様が、足音に気づいてゆっくりと振り返られた。
「……ナツコ殿」
彼の蒼い瞳が、夜風にドレスの裾を揺らす私を映し出した瞬間。
吸い込まれそうなほど美しいそのお顔に、ハッとするような驚きと、息をのむような情愛の色が広がった。
「あ……すみません、ジルヴェスター様。お邪魔でしたでしょうか……?」
「滅相もない」
ジルヴェスター様はグラスを近くのテーブルに置くと、長い脚でまっすぐに私の方へと歩み寄られた。
その体躯から漂う圧倒的な気品と、ほのかな珈琲の香りが、私を優しく包み込む。
「今夜の君は……いつにも増して、言葉を失うほど美しい。まるで夜空から舞い降りた星の妖精のようだ」
「~~~っ!?」
開口一番のストレートすぎる甘い褒め言葉に、私の顔が一瞬で熟したトマトのようにカッと赤くなった。
「こ、公爵様ったら……そんな、私なんて普段は作業服ばかりの地味な女ですのに……っ」
「嘘ではないさ。私の目に映る君は、いつだって世界で一番眩しく、尊い」
ジルヴェスター様はふっと柔らかく目を細めると、懐から小さな革張りの小箱を取り出された。
「ナツコ殿。この特区の完成と、君の素晴らしい功績を祝して……個人的な贈り物を受け取ってはくれないだろうか」
「私への……贈り物……?」
彼が静かに箱を開けると、そこには月光を受けて妖艶な青い光を放つ、美しい一輪の花を模した髪飾りが収められていた。
中央に埋め込まれているのは、極上の『星魔石』——夜空の星屑を集めて固めたと言われる、帝国でも最高級の宝飾品だ。
「これは……! こんな高価なもの、私には勿体なさすぎますわ……っ!」
「勿体なくなどない。この石の輝きも、君の知恵と心の美しさには遠く及ばないのだから」
ジルヴェスター様は小箱から繊細な手つきで髪飾りを取り出すと、「髪に飾っても良いだろうか?」と優しく尋ねてこられた。
「あ……はい……お願いします」
私が小さく頷いて髪を少し傾けると、ジルヴェスター様の細く温かな指先が、私の耳元や髪にそっと触れた。
指先が肌に触れるたび、そこから電気のような甘い痺れが全身へと駆け巡る。
「……できたよ。良く似合っている」
彼が手を離すと、夜風に揺れる私の髪の横で、青い星魔石がキラキラと幻想的な光を放っていた。
「ありがとうございます……ジルヴェスター様。一生の宝物にいたしますわ」
「ふふ、喜んでもらえて何よりだ」
ジルヴェスター様は満足そうに微笑むと、ふとホールの奥から聞こえてくる優雅な弦楽四重奏の音色に耳を傾けられた。
「静かな夜……美しい音楽。……ナツコ殿、もしよろしければ、私と一曲舞っていただけないだろうか?」
「えっ……? ワルツですか……!?」
思わず声が上ずる。
「私、貴族的で華やかなダンスなんて、昔少し習ったきりで……上手く踊れる自信がありませんわ……っ」
「大丈夫だ。君の身も心も、すべて私に委ねてくれればいい」
ジルヴェスター様は拒否する隙を与えないほど優雅に、けれど強引に右手を差し出された。
その蒼い瞳には、逃がさないという強い熱と、溢れんばかりの愛おしさが宿っている。
その手に導かれるように、私はそっと自分の右手を重ねた。
「……よろしくお願いいたします、ジルヴェスター様」
彼が左手を私の腰へと回し、グッと引き寄せる。
息が詰まるほどの近距離。彼の胸の温もりと、力強い鼓動が、ドレス越しにダイレクトに伝わってきた。
一歩、また一歩。
星空の下、月光に照らされたバルコニーで、私たちは静かに滑るように踊り始めた。
クルリと旋回するたびに、ドレスの裾が夜風を孕んで美しく舞う。
ダンスに不慣れなはずの私の足が、彼の完璧なリードによって、まるで魔法にかかったかのように軽やかにステップを刻んでいく。
(ああ……すごい……)
見上げる視線の先には、いつも自分をまっすぐに見つめてくれる、世界で一番美しいお顔。
どんなに冷たい世界の中でも、私を『至宝』と呼び、私の努力を正しく評価し、全力で守ってくれた人。
前世で過労死した夜、暗闇の中で私がずっと求めていたのは、きっとこの温もりだったのだ。
(私は……この人の隣にいたい)
胸の奥で、確かな熱が弾けた。
誰かの道具として使い捨てられるためじゃない。
自分の知恵で、自分の手で、大好きな人たちを豊かにし……そして、このお方の歩む未来を、私が一番近くで支えていきたい。
二度目の人生で芽生えた、かけがえのない恋心。
私は彼の肩にそっと手を回し、胸に顔を寄せるようにして、少しだけ背伸びをした。
「ジルヴェスター様……」
「なんだい、ナツコ殿?」
「私……ジルヴェスター様の隣にいられて、今、世界で一番幸せですわ」
私が上目遣いにそう囁くと、ジルヴェスター様の足がピタリと止まった。
彼の蒼い瞳が大きく見開かれ、次の瞬間、絶句したように私の腰を抱きしめる腕の力が一段と強くなった。
「……ナツコ殿。君は……私を本気で狂わせたいのか?」
低く、掠れた情熱的な声。
ジルヴェスター様がゆっくりと顔を近づけてくる。
彼の綺麗な唇が、私の唇へと重なろうとした——まさにその瞬間!!
——ドガシャァァァァァンッ!!
バルコニーの真下の庭から、雰囲気を木端微塵に打ち砕く絶叫と爆音が響き渡った!
『うぐおぉぉぉぉっ!! ダメだあぁぁっ! コイントスで【裏】が出たあぁぁっ! 急に激しい吐き気と全身の金縛りがぁぁぁっ! うえっ……うえぇぇぇっ!!』
「「「……は?」」」
甘いムードが一瞬で吹き飛び、私とジルヴェスター様は思わず静止した。
手すりから下を覗き込むと、そこには泥の上に倒れ伏し、胃の中のローストビーフを盛大に吐き出そうと悶絶しているフェイトの姿があった。
どうやら、パーティの余興で「ここでコイントスで表を出して、明日のパチンコで大勝ちするぜ!」と調子に乗ってコインを弾き、見事に『裏』を出して激しい体調不良に見舞われたらしい。
そして、そのフェイトの頭上に、鬼のような形相のマンミアさんが仁王立ちしていた。
「貴様ぁぁぁぁぁッ!! フェイトぉぉぉッ!!」
マンミアさんが栗色のポニーテールを逆立て、左腕のパイルバンカー『アグニ』の杭をガシャン!と構える。
「ナツコ様と公爵閣下の最高にロマンチックな雰囲気を、そのきたないゲロ吐きでブチ壊すとは何事かぁぁぁッ! 25歳未婚の私の乙女の夢まで踏みにじりおって! ここで死ねぇぇぇッ!」
ドスゥゥゥゥンッ!!
『ギャぁぁぁぁぁっ!? すまねぇぇぇぇっ!!』
夜の庭に、パイルバンカーの打撃音と、フェイトの惨めな悲鳴が空しく響き渡った。
「あは……あははははっ!」
あまりの惨状と落差に、私は思わず噴き出してしまった。
ジルヴェスター様も一瞬ポカンとされた後、呆れたように肩をすくめ、くすくすと気品ある笑声を漏らされた。
「……やれやれ。君の周りは、退屈する暇がなさそうだな」
「ふふ、すみませんジルヴェスター様。私の自慢の部下たちですので」
二人で顔を見合わせ、声を合わせて笑い合う。
甘くて、少しドタバタで、どこまでも温かな夜。
ピンポンパンポーン――♪
【※『第二章:公爵領特区開発編』コンプリート!】
【特別ボーナスポイント 1,000 pt 獲得!】
【現在の総所持ポイント:3,880 pt】
脳内に響き渡る、ファンファーレのような豪華なチャイム音。
視界の端で輝く【3,880 pt】の数字が、これから始まる新しい物語への期待を予感させていた。
ポポロ村を拠点とし、ジルヴェスター様とともに歩む新しい未来へ。
私はもう、誰の不当な搾取にも屈しない。
社畜令嬢ナツコのV字回復の物語は、最高の愛と信頼、そして温かな仲間たちとともに、どこまでも輝かしく続いていくのだった!




