EP 7
証拠保全は抜かりなく。社畜令嬢の静かな反撃
魔獣の襲撃をフェイトの圧倒的無双で乗り切った翌朝。
自由貿易特区の現場には、昨日の惨状とは一変して、重苦しく張り詰めた緊張感が漂っていた。
「おい、ロザリア様はどこだ? 昨日壊された資材の補償と、現場の安全対策はどうなってるんだ!」
「作業員の治療費も、あのお方の文官たちは『我が家には関係ない』って突っぱねてんだぞ!」
ポポロ村や周辺から集まった職人たちが、旧館の庭に押し寄せ、怒り混じりの声を上げていた。
自分たちの失策で防衛線を解除して魔獣を呼び寄せ、現場を壊滅させかけた挙句、怪我をした職人たちの治療費すら踏み倒そうとするマルキース侯爵家の不誠実な対応。職人たちの不満は、すでに限界突破寸前まで高まっていた。
当のロザリア・フォン・マルキースはといえば、昨夜ナツコから『証拠映像がすでにジルヴェスター公爵へリアルタイム転送された』と告げられて以来、自室に閉じこもったまま出てこない。
「な、何ですの! 泥臭い平民どもが騒ぐんじゃないわよ!」
旧館の二階の窓から、ロザリアが厚化粧の顔を半分覗かせ、震える声でキンキンと叫んでいた。
「魔獣が出たのは事故ですわ! それに、怪我をしたのは勝手に現場にいたお前たちの自己責任でしょう!? 我がマルキース侯爵家に一銅貨たりとも請求しようだなんて、身の程を知りなさいッ!」
「な、なんだとぉっ!?」
職人たちが拳を握りしめる。
その時、二階のバルコニーの扉が優雅に開いた。
そこに姿を現したのは、作業用オーバーオールの上から綺麗なエプロンを纏った私——ナツコ・クラウディアだ。
「皆さん、落ち着いてくださいな」
私の静かで通りやすい声に、職人たちが一斉に見上げる。
「ナツコ様……!」
「ナツコ様、あのお嬢様たちの無茶苦茶な指示のせいで、もう現場はボロボロです! やっぱり俺たちは、ナツコ様の指揮じゃなきゃ働けません!」
「ありがとうございます、皆さん。皆さんの怪我と壊された資材の件については、どうぞご安心ください」
私は微笑むと、手元に置かれた一冊の分厚いバインダー——【コンプライアンス監査用・監査報告ファイル】を軽く掲げてみせた。
「皆さんの治療費、危険手当、壊された資材の全額補償、そして昨日の混乱による休業損害。……すべて、マルキース侯爵家から『三倍の金額』で支払われるよう、すでに法的な手続きを完了させておりますわ」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
職人たちから、驚きと歓喜の声が上がった。
二階の窓から見ていたロザリアが、血相を変えて乗り出してきた。
「な……何ですのその出鱈目はッ!? 私がいつそんな補償を認めたと言いますの、ナツコ! でたらめを言って職人を煽動するんじゃないわよッ!」
「出鱈目ではありませんわ、ロザリア様」
私はそっとバインダーの中から、一枚の羊皮紙を取り出した。
二日前、ロザリアが「ナツコから全指揮権を奪う」と息巻いて、威勢よく署名と指印を押したあの『全損害補償誓約書』の原本だ。
「貴女が署名されたこの誓約書、第十三条をご査収くださいまし。——『引き継ぎ後に発生した現場の遅延、事故、第三者への損害、ならびに指導監督の怠慢による経済的損失は、マルキース侯爵家が法定損害額の三倍を即座に補償する』。貴女の直筆の署名と、マルキース侯爵家の正式な印章が、くっきりと押されていますわね?」
「な……っ!? ななな何ですのその条項はぁぁぁっ!?」
ロザリアが叫び声を上げる。
「私はそんな条項、読んでいませんわ! 貴女が私を騙して判を押させたのですわね! 詐欺ですわ、不敬罪ですわッ!」
「あら、おかしいですね」
私はくすりと小さく微笑んだ。
「あの時、私は『すべての責任を負っていただくことになりますが、よろしいですね?』と明確に確認いたしましたわ。貴女は『我がマルキース家にできないはずがない!』と高笑いしながら、中身をロクに確認もせずに署名されたではありませんか。……それもすべて、こちらの魔導ボイスレコーダーにバッチリと記録されておりますのよ?」
カチッ。
私が手に持ったペン型レコーダーのスイッチを押すと、小型スピーカーから、ロザリアの高慢で高圧的な声が広場全体に響き渡った。
『そんな書類、今すぐ我が家の文官に書かせて署名して差し上げますわ! 明日からこの現場は私のものですから、覚悟しなさいッ!』
「ひっ……! あ、ああぁぁぁっ……!」
自分の高笑いと暴言が寸分違わず再生され、ロザリアの顔からすべての血の気が引き、土気色へと変色していく。
「前世で……いえ、社畜時代に叩き込まれたのです」
私は冷ややかな瞳で、二階のロザリアを見下ろした。
「現場の苦労も知らず、他人の手柄だけを横取りしようとする『クラッシャー上司』や『悪質交渉人』が、後からどんな見苦しい言い訳をするか。……だからこそ、契約と証拠の保全は、逃げようのない完璧な段取りで行うのが鉄則なのですわ」
手柄を奪われ、濡れ衣を着せられ、一人で使い捨てられた前世。
エドワード様に「無能」と蔑まれ、手柄を持ち去られた今世の過去。
もう、同じ失敗は二度と繰り返さない。
私の知識と、現場で働く仲間たちの汗と努力を、二度と誰にも搾取させはしない。
「へっ……相変わらずボスのコンプライアンス(法務対策)は完璧すぎて、敵に回したくねぇな」
横でミスリルソードに肘をかけていたフェイトが、ニヤリと不敵に笑う。
「ナツコ様……! 凄すぎますわ! 悪辣な搾取者を自らの吐いた暴言と契約で縛り上げるそのお姿……まさに正義の女神そのものです!」
マンミアさんが胸の前で手を組み、うっとりと目を輝かせていた。
「おのれ……おのれぇぇぇッ!」
追い詰められたロザリアは、金髪を振り乱して狂乱した。
「認めませんわ! こんな出鱈目な紙切れも録音も、全部偽造ですわ! 文官ども、今すぐあの書類を奪い取りなさい! 証拠さえ消せば私の勝ちですのよッ!」
ロザリアの命を受け、青ざめた文官たちがナイフや紙切りハサミを手にして、一斉に私へ襲いかかろうとした。
惨めな証拠隠滅の企み。
だが——。
「――我が大切なパートナーの証拠品に、その汚い手を向けようとは……良い度胸だな、マルキース侯爵家の狗ども」
地鳴りのような、低く澄んだ冷徹な声。
ズシン……ッ!
広場全体を押し潰すような、圧倒的な威圧感が空間を支配した。
文官たちが悲鳴を上げてその場にへたり込み、職人たちが息をのんで道を開ける。
街道の奥から、堂々たる歩調で進み出てきたのは——。
深黒の軍服に金糸の飾緒を揺らし、流れるような銀髪と、死を予感させるほど冷酷な蒼眸を持つ男。
ルナミス帝国筆頭公爵にして全軍総司令官——ジルヴェスター・フォン・ヴァルハイト様だった。
後ろには、完全武装した近衛騎士団の一隊が整然とズラリと立ち並んでいる。
「ジ……ジルヴェスター閣下ぁぁぁっ!?」
二階の窓からその姿を見たロザリアが、歓喜の声を上げて窓から身を乗り出した。
「閣下! お助けくださいまし! このナツコという無能女が、私を罠にはめて不当な書類を押し付け、現場を崩壊させたのですわ! 今すぐこの女と傭兵どもを死刑にして、私を抱きしめてくださいましーッ!」
自分の過ちをすべてナツコになすりつけ、公爵の慈悲を乞うロザリア。
だが、ジルヴェスター様は彼女に視線すら向けなかった。
彼はまっすぐに私の元へ歩み寄ると、その大きな手で私の手を優しく包み込み、引き寄せるようにして私の肩を抱いてくださったのだ。
「ナツコ殿。怪我はなかったか?」
「あ……はい、ジルヴェスター様。フェイトさんとマンミアさんのおかげで、怪我人は一人もおりませんわ」
「そうか。……よく無事でいてくれた」
ジルヴェスター様の蒼い瞳に、安堵と深い情愛の色が宿る。
そして——彼がロザリアの方へとゆっくりと振り返った瞬間。
そのお顔から一切の温度が消え去り、絶対零度の冷酷な「氷の司令官」の表情へと変貌した。
「マルキース侯爵家令嬢、ロザリア・フォン・マルキース」
ジルヴェスター様の低く響く声が、旧館全体を震わせる。
「……お前のあさましい醜態と、犯罪行為のすべて……しかと検分させてもらった」
「え……? あ……あさましい……?」
ロザリアが固まる。
「お前は自らの嫉妬と強欲ゆえに、帝国の最重要プロジェクトであるこの特区開発に割り込み、現場の最高責任者であるナツコ殿から強引に指揮権を奪った。……さらに」
ジルヴェスター様が冷ややかに手を挙げると、近衛騎士がロザリア自筆の『全損害補償誓約書』と『防犯映像の記録水晶』をうやうやしく掲げた。
「現場の防衛結界を無断で解除して魔獣の襲撃を招き、民や職人を危険に晒し、発生した損害の補償すら踏み倒そうとした。……それどころか、己の無能を隠すためにナツコ殿に濡れ衣を着せようとしたな」
「ひっ……! あ、あれは……あれはナツコが私を騙したのですわ! 私は被害者ですのよ、閣下ッ!」
「黙れ、下衆が」
一刀両断。
ジルヴェスター様の眼光が、刃のようにロザリアを射抜いた。
「ナツコ殿が提示した誓約書は、帝国法に基づいた完璧なコンプライアンス文書だ。内容も確認せず、己の手柄欲しさに署名したお前の愚かさ以外の何物でもない。……『孫子』に言う『暗主は軍を危うくし、利を貪る者は滅ぶ』。お前のような無能で強欲な女が、我が公爵家の妃になどなれると思ったか?」
「な……ッ!? む、無能……!? この私が……!?」
社交界で持て囃され、公爵妃の座を疑わなかったロザリアにとって、初恋の人であり憧れのお方からの容赦ない拒絶と「無能」の烙印。
それは、彼女の誇りと虚栄心を完膚なきまでに叩き潰す、最大の地獄だった。
「これより、明日開催される『特区第一期完成記念式典』の場において、皇帝陛下名義の監査結果を公表する」
ジルヴェスター様は冷徹に宣告した。
「マルキース侯爵家に対し、誓約書に基づき、現場の損害額の三倍——金貨十万枚の即時支払いを命じる。支払えぬ場合は、マルキース侯爵家の全財産没収および爵位剥奪。ロザリア、お前は国境での永久強制労働に処す」
「ひ……ひええええええええっ!? 全財産没収……!? 永久強制労働ぉぉぉぉっ!?」
ロザリアの絶叫が、秋の空に惨めに響き渡った。
自らの嫉妬と強欲でナツコから手柄を奪おうとし、完璧な法的手続きと証拠によって自滅へと追い込まれた自称・婚約者候補。
ピンポンパンポーン――♪
【条件達成:『完璧な証拠保全による悪質搾取者の完全詰み状態の確定』】
【所持ポイント:2,080 pt → 2,380 pt へさらに増加!】
ジルヴェスター様は私へと向き直ると、その大きな手で私の手をしっかりと握り直された。
「ナツコ殿。不快な思いをさせてすまなかった。……明日、すべての決着をつけよう」
「はい、ジルヴェスター様」
私は溢れ出る感謝とともに、優しく微笑み返した。
明日開催される、特区完成記念式典。
そこは、愚かな搾取者が完全に破滅し、社畜令嬢が新時代のトップとして世界にその名を轟かせる、最高のV字回復の舞台となるのだった!




