EP 6
ギャンブル男の奇跡。コインの表がもたらす無双
ロザリア・フォン・マルキース侯爵令嬢が「全指揮権の引き継ぎ」と「マルキース家の全損害補償誓約書」に威勢よく署名と指印を押してから、わずか二日。
自由貿易特区予定地の前線基地は、見るも無残な大混乱に陥っていた。
「ちょっと! 何なんですのこの遅れは!? 今日中に第二区画の資材をすべて運び込めと命令しましたでしょう!?」
キンキンとした金切り声を響かせているのは、派手なドレス姿のロザリアだ。
だが、現場の作業員や職人たちの目は冷ややかだった。
「無茶を言うな! ナツコ様の工程表じゃ『資材は午前中に搬入、午後は現場の疲労度を考慮して交替制で作業』って決まってたんだ! あんたが連れてきた文官の無計画な指示のせいで、資材馬車が街道で渋滞して一歩も動かねえんだよ!」
「黙りなさい泥臭い平民が! つべこべ言わずに夜徹して働けば済む話ですわ! ナツコのような無能にできて、我がマルキース家にできないはずがありません!」
「夜徹……!? 冗談じゃねえ、そんな無謀な労働で怪我人でも出たらどうするんだ!」
現場の空気は完全に冷え切り、作業効率はナツコが指揮をとっていた頃の三分の一以下にまで落ち込んでいた。
一方その頃。
旧館の二階バルコニーでは、優雅なお茶会が開かれていた。
「ふぅ……今日のポポロ・コーヒーも深みがあって美味しいわね」
私は通販から取り寄せたフレンチローストの珈琲を一口含み、ほっと胸を撫で下ろした。
私の隣では、マンミアさんが特製の人参スコーンを美味しそうに頬張り、フェイトはバルコニーの手すりに脚をかけて、ポポロ・シガレットの煙をフッと吐き出している。
「いや~、高みの見物ってのは最高だねぇ、ボス。あのお嬢様、ナツコさんが残していった超精密な作業マニュアルを『こんな細かい指示書、読む価値もない』って破り捨てたらしいぜ?」
「……何と愚かな。ナツコ様の工程表は、現場の安全と物流の最適化が極限まで計算された至高の芸術だというのに……」
マンミアさんが呆れ果てたように吐き捨てる。
「ええ。案の定、工程の前後関係を無視して人員を投入したせいで、現場で資材の二重手配と搬入ラインの過密事故が起きているわ。……まあ、すべての損失と遅延の全責任は、彼女自らが署名したあの『誓約書』に基づいてマルキース侯爵家が全額賠償することになっているから、私たちが心配する必要はないのだけれど」
私は完璧なビジネススマイルを浮かべ、手元にある【コンプライアンス監査用・特殊複写用紙】の原本を優しく撫でた。
——だが、その時だった。
ズズズズ……ッ! ゴゴゴゴゴゴッ……!!
突如として、大地を揺らす不気味な地鳴りが樹海の奥深くから響き渡った。
「な……なに!? 地震!?」
マンミアさんが馬体をピンと硬直させ、耳を澄ます。
「違う……! これは……魔獣の群れ(スタンピード)の足音だ!!」
現場の職人たちが叫び声を上げた。
見れば、国境沿いの暗い樹海を押し割り、体長三メートルを超える巨躯を誇る高ランク魔獣『甲殻大角バイソン』の群れが、数十頭も猛スピードで工事現場へと雪崩込んできていたのだ!
「キャぁぁぁぁぁっ!? な、なにあの化物どもはぁぁぁっ!?」
ロザリアが悲痛な悲鳴を上げてその場にへたり込む。
本来なら、ナツコが現場の周囲に設置していた【防虫・防魔アロマ結界器】と、ポポロ村自警団による定期的な外郭見張りによって、魔獣の接近は未然に防がれるはずだった。
しかし、ロザリアが無能な文官たちの進言に従い「こんな得体の知れない機械など不要!」とアロマ結界器の魔石を抜き取り、防衛線を解体してしまっていたのだ。
「ひえぇぇっ! 助けて! 誰か助けてぇぇぇっ!」
ロザリアと彼女の文官たちが、我先にと民や職人たちを押し退けて逃げ惑う。
「くっ……! 不覚……! 防衛網が完全に破られている!」
マンミアさんが即座にパイルバンカー『アグニ』を装着し、バルコニーから飛び降りようとした。
——だが!
「マンミアさん、待って! 敵の数が多すぎます! 正面から一人で受け止めれば、貴女の馬体が危険ですわ!」
「しかし、このままでは作業員たちや現場が……っ!」
甲殻バイソンの群れは、硬質な甲殻で覆われ、並の弓矢や剣撃では傷一つ追わない。いくらマンミアさんの【チャージタックル】でも、三十頭を超える突進を一人で一度に受け止めるのは物理的に不可能だった。
絶体絶命の危機。
その時、のそりと前に踏み出した影があった。
「あーあ……せっかくの美味い珈琲タイムだったのになぁ」
銀茶髪を夜風になびかせ、だるそうに前進したのは——フェイト・ラックだった。
「フェイトさん!?」
「ボス、一つだけ確認させてくれ」
フェイトはポポロ・シガレットを地面に放り捨て、足で踏み消すと、ポケットからいつもの一枚の銀貨を取り出した。
「もし俺が……あのバイソンの群れを全部片付けたら、今夜の夕飯にあの最高級の『特選ローストビーフ』と、エナジードリンク十本もらえるか?」
「ええ! 望むものなら何だって用意しますわ!」
「交渉成立だ」
フェイトの琥珀色の瞳から、いつもの適当でだらしない光が消え去った。
そこに宿っていたのは——かつて最前線の修羅場を幾度となく潜り抜けてきた、生粋の『A級冒険者』の圧倒的な勝負師の眼光。
「頼むぜ……俺の運勢(相棒)……ッ!!」
フェイトが親指で、銀貨を天空高く弾き飛ばした。
キィィィィン……ッ!
銀色が陽光を反射し、空中でくるくると綺麗に回転する。
現場にいた全員の視線が、そのコインに集中した。
回転が止まり、フェイトの手の甲へと落ちてくる。
パシッ……!!
静寂。
フェイトがそっと、上の手を退けた。
そこに刻まれていたのは——王冠の意匠。
圧倒的な勝利を示す——【表(Heads)】!!
その瞬間!
バシィィィィィィンッ!!
フェイトの全身から、天を突くような黄金色の光の柱が爆発的に噴き上がった!
「な……何という闘気の密度……!? 全能力が……倍増しているだと……!?」
マンミアさんがその圧倒的な圧力に思わず息をのむ。
ユニークスキル【コイントス】——発動。
能力2倍。運気2倍。
元よりA級冒険者としてトップクラスだったフェイトの全ステータスが、一瞬にして超人(S級)の領域へと到達したのだ!
「へっ……当たりだ」
不敵な笑みを浮かべたフェイトが、背中の大剣『ミスリルソード』を引き抜いた。
本来なら両手で振るうべき重量級の白銀の大剣が、彼の右手一本で羽毛のように軽々と掲げられる。
ミスリルアーマーが黄金の闘気を帯び、ギラギラと眩い光を放ち始めた。
「オラぁッ! 俺のローストビーフの邪魔をするんじゃねぇぇぇっ!!」
ドシュッ……!!
残像すら残さない、圧倒的な超神速の踏み込み!
フェイトの身体が視界から消えたと思った瞬間には、彼はすでに突き進む甲殻バイソンの群れの最前線へと到達していた。
瞬閃——【一閃・銀河斬り】ッ!!
ズバアァァァァァンッ!!
一振りの薙ぎ払いから放たれたのは、斬撃の波ではない。空間そのものを切り裂くような、巨大な光の刃!
並の魔導砲すら弾く甲殻バイソンの強靭な装甲が、まるで豆腐のように真っ二つに叩き斬られ、先頭の五頭が一瞬で崩れ落ちた!
「な……なんだあの男はぁぁぁっ!?」
へたり込んでいたロザリアが、恐怖と驚愕で目を剥いた。
「まだまだ行くぜぇぇぇっ!」
フェイトの無双は止まらない!
跳躍一回で数十メートルを飛び越え、空中から縦一文字に大剣を振り下ろす!
ドガァァァァァンッ!!
大地が激しく割れ、衝撃波だけで十数頭のバイソンが吹き飛び、空中で粉砕される!
圧倒的な剣術A、体術A、闘気Aの基本スペックが2倍に跳ね上がった彼の前には、高ランク魔獣の群れすら単なる藁人形に過ぎなかった。
「ハハハッ! 運も味方してくれてるぜ! ほらよッ!」
フェイトが足元に転がっていた石ころを適当に蹴り飛ばすと、それが偶然にも魔獣たちの急所に跳ね返り、連鎖反応を起こして倒れていく。運気2倍の補正が、すべての戦況を彼に有利へと導いていた。
わずか一分。
現場を絶望に陥れていた三十頭を超える甲殻バイソンの群れは、フェイトたった一人の手によって、跡形もなく全滅させられたのだった。
静まり返る現場。
チャリン……と、ミスリルソードを背中に納め、フェイトがポポロ・シガレットを咥え直した。
「ふぅ……腹減った。ボス、約束通りローストビーフ頼むぜ?」
完璧な勝利。完璧な無双。
「フェイトさん……! 凄いですわ! 完璧な手際でした!」
私が駆け寄り、目を輝かせて称賛すると、マンミアさんも感無量の面持ちで深々と頭を下げた。
「フェイト……見直したぞ。普段はサボり魔のクズだが、真面目にやればここまでの力を発揮するとは……さすがはA級冒険者だ!」
「へへッ、まあな。たまには格好いいところ見せとかねぇと、ボスに捨てられちまうからよ」
フェイトが照れくさそうに鼻の下をこする。
その時である。
「あ……あなたたちッ!!」
腰を抜かしていたロザリアが、プルプルと震えながら立ち上がり、指をさして叫んだ。
「な、何ですのその暴力は!? 野蛮ですわ! 我がマルキース家の現場で勝暴れて……! ええい、責任者であるナツコ! 魔獣を呼び寄せたのも、現場を混乱させたのもすべて貴女の責任ですわ! 今すぐ公爵閣下に報告して、貴女を死刑にして差し上げますからねッ!」
自分たちの不手際で結界を解除し、現場を崩壊させ、命を救われたことすら忘れてナツコに濡れ衣を着せようとするロザリア。
だが、私は取り乱すことなく、冷ややかな微笑みを浮かべた。
「ロザリア様。……すべて、手遅れですわ」
「は……? 何がですの!?」
私はそっと胸ポケットから、通販で取り寄せた【広域・高精度魔導ボイス&映像アーカイブ記録機】を取り出し、その再生ボタンを押した。
空中に投影されたのは——ロザリアが「アロマ結界器など不要!」と叫んで魔石を抜き取らせた瞬間の映像、現場をパニックに陥れた無能な指示、そして彼女自らが署名した『全損害補償誓約書』のドアップだった。
「な……ッ!? ななな何ですのその魔導具はぁぁぁっ!?」
「こちらの映像と、貴女が自筆で署名された誓約書は、すでにリアルタイムで公爵閣下のもとへ転送されておりますわ」
「ひっ……! あ、公爵閣下に……!?」
ロザリアの顔から、一瞬ですべての血の気が引き、土気色へと変わった。
自らの嫉妬と強欲でナツコから現場を奪い、無能を晒し、命を救われながら濡れ衣を着せようとした悪行のすべてが、逃げようのない『完璧な証拠』として公爵のもとへ届いたのだ。
ピンポンパンポーン――♪
【条件達成:『部下の無双による難局打開および不当濡れ衣の完全破砕』】
【所持ポイント:1,780 pt → 2,080 pt へ大幅回復!】
「さあ、ロザリア様。……ジルヴェスター様からの『正式なお返事』を楽しみに待つことにいたしましょう」
私が完璧な微笑みを向けると、ロザリアはその場に崩れ落ち、絶望の悲鳴を上げるのだった。




