EP 5
嫉妬の影。自称・婚約者候補の傲慢令嬢
国境の『自由貿易特区』予定地に、爽やかな朝の光が降り注いでいた。
「よし! 第一区画の整地作業、工程表通りに完了いたしましたわ!」
私はタローマンで購入した耐久性の高い作業用オーバーオールに身を包み、額の汗を爽やかに拭った。
旧館を前線基地として改修してから数日。
私の作成した『作業動線図』と『重機・人員の最適配置表』に基づき、特区の開発工事は驚異的なスピードで進んでいた。
ポポロ村から派遣された農家や職人たちも、疲労度の計算された15分ごとの休憩と、【善行ポイント通販】から差し入れられる冷たいスポーツドリンクや軽食によって、極めて高いモチベーションで作業に励んでいる。
「ナツコ様! 第二区画の資材搬入、すべて完了いたしました! 怪我人もゼロでございます!」
「ボス~、俺もコイントスで『表』が出たから、ガレキの運搬速攻で片付けてきたぜ~。褒美の缶コーヒーくれ~」
栗色のポニーテールを揺らしたマンミアさんが凛々しく報告し、その隣でミスリルアーマーを着たフェイトが欠伸を噛み殺しながら手を差し出してくる。
「ふふ、二人ともありがとう。はい、フェイトさんには微糖の缶コーヒー、マンミアさんには特製の人参ビタミンジュースよ」
「感謝いたします、ナツコ様! ……うぅ、このジュース、人参の甘みが芯まで染み渡りますわ……っ!」
「ひゃー、冷えてて最高! やっぱりボスの下で働くのが一番だわ!」
二人とも通販のドリンクを受け取り、嬉しそうに喉を鳴らしている。
チームの結束も高まり、現場の空気は最高潮だ。
——だが。
その穏やかな現場の空気を切り裂くように、街道の奥から、下品なまでにギラギラとした黄金の装飾が施された高級馬車が、ガタゴトとけたたましい音を立てて近づいてきた。
「ん……? なんだあの趣味の悪い馬車は?」
フェイトが眉をひそめる。
馬車を引き護衛するのは、ルナミス帝国首都の紋章をつけた豪奢な騎兵たちだ。
特区の中央広場で乱暴に停車した馬車から、うやうやしく踏み台が降ろされ、そこから一人の女性が降り立ってきた。
見事な縦ロールに巻かれた派手な金髪。
泥や埃の舞う工事現場には不釣り合いな、レースとフリルがこれでもかとあしらわれた真っ赤な高級ドレス。
手には扇子を持ち、丸く塗りたくった厚化粧の顔をあからさまな不快感で歪めている。
「まあ……! お生憎様ですこと! 何なんですの、この泥臭くてカビ臭い場所は!? 私の高級なドレスの裾が汚れてしまいますわ!」
甲高いキンキンとした声が、現場全体に響き渡る。
彼女の後ろからは、文官の服を着た気取った男たち数人と、高圧的な使者たちがズラリと従っていた。
「誰だあいつ……? 作業現場にド派手なドレスで乗り込んでくるなんて、バカなのか?」
フェイトがポポロ・シガレットを咥え直しながら吐き捨てる。
「私にお尋ねですか? 無礼な平民どもめ!」
金髪の令嬢は扇子をバシッと閉じると、私を上から下まで、ゴミ屑でも見るような蔑みの視線で見下ろした。
「私はルナミス帝国・マルキース侯爵家が令嬢、ロザリア・フォン・マルキースですわ! そして……我が帝国筆頭公爵、ジルヴェスター・フォン・ヴァルハイト閣下の『未来の公爵妃(自称)』にして、本プロジェクトの特別監査官ですの!」
「「「……は?」」」
現場にいた全員の顔が固まった。
(ロザリア・フォン・マルキース侯爵令嬢……?)
前世の社畜時代に培った『記憶のデータベース』と、社交界の知識が素早くリンクする。
確か王都のマルキース侯爵家といえば、大貴族の権勢を笠に着て、自領の平民から重税を搾り取っていると噂のある家柄だ。ロザリア令嬢は社交界でも高慢で知られ、ジルヴェスター様に一方的な執着を燃やしていると噂されていた。
「まあ! それにしても見苦しいですわね!」
ロザリアは鼻をハンカチで覆いながら、作業服を着た私を指さした。
「貴女が噂のナツコ・クラウディアね? 伯爵家を追放され、身一つで逃げ出した落ちぶれ令嬢のくせに、公爵閣下の情けにすがりついてこのような泥臭い作業着で泥に塗れるなんて……まさに『落ちぶれた無能』に相応しい姿ですこと!」
「なっ……何だと貴様ッ!?」
マンミアさんの顔が一瞬で激怒に染まり、背中のパイルバンカー『アグニ』へと手が伸びかけた。
「マンミアさん、下がっていてください」
私は片手を挙げてマンミアさんを静かに制した。
前世の限界社畜時代、私はこういう『大した能力もないのに、親や会社の権力を後ろ盾にして現場に理不尽なイチャモンをつけてくる二世タレントや役員の親族』を、山ほど相手にしてきたのだ。
ここで感情的になって相手の土俵に上るのは、一番下策である。
『他人の無礼に腹を立てるな。それは相手の無知と愚かさのあらわれであり、己の心を乱す価値もない』――『自省録』の教えが、頭の中で冷静に響く。
「お初にお目にかかります、ロザリア様。自由貿易特区開発・最高実務顧問を務めております、ナツコ・クラウディアです。本日はどのようなご用件でしょうか?」
私が完璧な一礼とともに静かに問うと、ロザリアは期待通りの反応が得られなかったことにイラついたのか、チッ……と大きく舌打ちをした。
「白々しいですわね! 理由など決まっていますわ! このような帝国の最重要プロジェクトを、実家からも捨てられた落ちぶれ無能令嬢などに任せておけるはずがありませんでしょう! ジルヴェスター閣下はお優しい方ですから、貴女のような哀れな女に騙されて、気まぐれで役職を与えてしまわれただけですのよ!」
ロザリアは後ろに控えていた文官から、一通の金ピカの文書をひったくると、私の目の前に叩きつけるように突き出してきた。
「マルキース侯爵家の強い推薦により、本日よりこの特区開発の全指揮権は、この私ロザリア・フォン・マルキースが引き継ぎますわ! 我が家の優秀な文官たちが開発を指導して差し上げます! 貴女のような泥臭い女は、今日限りでこの現場から出て行きなさい!」
「指揮権の……引き継ぎ、ですか?」
「そうですわ! 貴女が今までやっていたような、泥に塗れて穴を掘るだけの田舎くさいやり方など不要ですの! 明日からは我がマルキース家の豊富な資金と威光を使い、贅を尽くした絢爛豪華な交易都市を作り上げますわ! 成果はすべて、私とジルヴェスター閣下の共著として皇帝陛下に報告いたします!」
(……出たわね。人の作った成果と現場を横取りする、典型的な『クラッシャー上司・手柄泥棒』タイプ……!)
前世の吉岡課長や、今世のエドワード様とまったく同じ匂いがする。
自分で一から企画を立ち上げる能力も、現場の苦労を理解する気もないくせに、他人が形にした美味しい成果だけをかっさらおうとする横暴さ。
「おいおい……お嬢さん」
フェイトがニヤニヤしながら、ポポロ・シガレットの煙を吐き出した。
「あんた、この特区開発がどれだけ複雑な税制計算と、国境のロジスティクスで成り立ってるか分かって言ってんのか? ナツコさんの作った超精密な工程表なしで、一日でも現場が回ると思ってんの?」
「黙りなさい、たかが自警団の傭兵分ざいが!」
ロザリアは扇子でフェイトを指さし、キーキーと叫んだ。
「そんなもの、我が家の文官たちが計算すれば一瞬ですわ! 書類など、数字を並べるだけで誰にでも書けますでしょう!? 貴女のような無能にできて、我がマルキース家にできないはずがありませんわ!」
「まあ……素晴らしい自信ですこと」
私は思わず、くすりと小さく微笑んでしまった。
『書類など、数字を並べるだけで誰にでも書ける』。
かつてエドワード様も、まったく同じセリフを吐いて私を追い出し、その数日後に計算破綻を起こして自滅していった。
現場の労苦も、ロジスティクスの裏にある緻密な試算も知らない愚者ほど、他人の専門的な仕事を「簡単だ」と見下すのだ。
「分かりましたわ、ロザリア様」
「ナ、ナツコ様!?」
マンミアさんが驚愕して声を上げる。
「私からの指揮権の移譲ですね。……ですが、これはジルヴェスター公爵閣下より直接委任された国家事業です。口頭での引き継ぎは帝国法およびコンプライアンス上、認められません。正式な公文書による『業務引き継ぎ確認書』と、マルキース侯爵領からの『損害全般補償誓約書』に、貴女ご自身の署名と印章をいただかなければ、指揮権をお渡しすることはできませんわ」
「な……ッ!?」
ロザリアが眉をひそめる。
「な、なんですのその細かい手続きは!? 私を誰だと思っていますの!?」
「これは帝国の最高実務顧問としての正式な法的手続きです。指揮権を引き継がれるのであれば、今後の現場で生じるすべての遅延、事故、経済的損失の責任は、すべてマルキース侯爵家とロザリア様が全額負うことになります。……もちろん、ご自身の優秀な手腕に絶対の自信がおありなのですから、署名くらい簡単にしていただけますわよね?」
私が完璧なビジネススマイルで問い詰めると、ロザリアはぐぬぬ……と顔を赤くして言葉を詰まらせた。
「ふ、ふん! 当たり前ですわ! そんな書類、今すぐ我が家の文官に書かせて署名して差し上げますわ! 明日からこの現場は私のものですから、覚悟しなさいッ!」
ロザリアは捨て台詞を残すと、怒り心頭で高級馬車へと乗り込み、けほけほ(埃)と咳き込みながら去っていった。
静まり返る現場。
「ナツコ様……! よろしいのですか!? あんな傲慢な女に現場を明け渡してしまっては、今までのナツコ様の苦労が……っ!」
マンミアさんが悲痛な顔で私の両手を握りしめてくる。
「大丈夫よ、マンミアさん」
私はそっと彼女の手を握り返し、優しく微笑んだ。
「相手が自分から『全責任を負う』という公文書に署名して、泥沼に飛び込もうとしているのですもの。止める理由なんてどこにもありませんわ」
「え……?」
「前世でも……いえ、今までもそうでした。現場の何たるかも知らず、他人の手柄を奪おうとする愚者がどういう末路をたどるか……私、嫌というほど知っていますから」
私はそっと背を向け、視界の右隅で光る【善行ポイント通販】の画面を立ち上げた。
【現在の総所持ポイント:1,930 pt】
(さて……相手が自爆するまでの間、こちらは抜かりなく『証拠の保全』と『安全配慮の準備』を進めておきましょう!)
【コンプライアンス監査用・特殊改ざん不可複写用紙(誓約書専用):50 pt】
【広域・高精度魔導ボイス&映像アーカイブ記録機:100 pt】
【合計:150 pt を消費します。購入しますか?】
(即座に購入!!)
パッと手元に出現したコンプライアンス対策セットを抱え、私は冷ややかな笑みを深めた。
「フェイトさん、マンミアさん。明日からは『見学』と『高みの見物』を決め込みましょう。……彼女たちが自滅するカウントダウンは、もう始まっていますわ」
「へっ……相変わらずボスはエグい手際だぜ。よし、明日は高みの見物しながらポップコーンでも食べるか!」
「な、ナツコ様……! どこまでもついていきますわ……っ!」
夕焼けに染まる国境の空の下。
愚かな嫉妬と強欲で墓穴を掘り始めた自称・婚約者候補令嬢へ向けて、社畜令嬢の静かなる反撃の仕掛けが、いま完璧にセットされたのだった。




