EP 15
置かれた場所で咲いた花は、少しだけ背伸びをする
昨夜の賑やかな盛宴が嘘のように、ポポロ村の朝は静かで爽やかな光に包まれていた。
シェアハウスの窓を開けると、遠くに見える連山から澄んだ風が吹き込んでくる。
畑からは、早朝から精を出す農家たちの元気な声が聞こえ、『タローソン』の看板の下では朝の買い出しをする村人たちが笑い合っていた。
「う〜んっ! 今日もいい天気!」
ポニーテールに結い上げた髪を揺らしながら、私は両手を高く伸ばして深呼吸をした。
前世の社畜時代、朝といえば、鳴り響くアラームの音に絶望し、重い身体を引きずって死んだ魚のような目で満員電車に揺られる恐怖の時間だった。
ロマン伯爵家にいた頃も、いつエドワード様から怒鳴り散らされるか、いつ理不尽な書類の山を押し付けられるかとビクビク怯えて過ごしていた。
けれど――今の私には、そんな恐怖は微塵もない。
「おはよう、ナツコちゃん! 朝ご飯できたよー!」
階下から、ウサギ耳を揺らしたキャルルちゃんの明るい声が響く。
1階のダイニングに降りると、焼きたての香ばしいトーストと、太陽芋の温かいスープ、そしてポポロ・コーヒーの甘い香りが部屋中に満ちていた。
「おはよう、キャルルちゃん。昨日はあんなに遅くまでパフェを食べていたのに、もう起きて朝ご飯を作ってくれたの?」
「ふふん、月兎族の回復力を舐めちゃダメよ! ナツコちゃんに美味しい朝食を食べてもらうのが、今の私の一番の生き甲斐なんだから!」
二人で向かい合って座り、温かいスープを口に運ぶ。
一口ごとに、お腹と胸の奥がぽかぽかと温まっていく。
「ねえ、ナツコちゃん」
キャルルちゃんがスープカップを置き、可憐なピンク色の瞳でまっすぐに私を見つめた。
「ポポロ村での暮らし……どうかしら? 王都の華やかな貴族社会と比べたら、泥臭くて賑やかすぎるかもしれないけれど……」
「何言っているの、キャルルちゃん」
私は首を横に振り、心の底からの微笑みを浮かべた。
「ここは私にとって、世界で一番温かくて、一番大切な場所よ。前世でも、今世でも……私はずっと、自分の存在を肯定してくれる居場所を探していたんだと思う。それを見つけさせてくれたのは、キャルルちゃん、あなたよ」
「ナツコちゃん……っ!」
キャルルちゃんの瞳が潤み、ウサギ耳が嬉しそうにピンと跳ねた。
「私、決めたの。もう過去の傷や理不尽に囚われて下を向くのはおしまい。私はこのポポロ村を私の『ホーム』にして、自分の足で、自分の意志で、幸せに生きていくわ」
『置かれた場所で咲きなさい』という有名な言葉がある。
かつての私は、腐った土壌の中でも我慢して咲こうとして、自滅した。
けれど今、私は自分の足で最高に豊かな土壌を選び、自分の手で大輪の花を咲かせようとしている。
「うん……っ! ナツコちゃんなら、絶対に世界一綺麗な花になれるよ!」
二人の温かな誓いと笑顔が、爽やかな朝の陽光の中に弾けた。
◇
午前十時。
ポポロ村役場の最上階にある特別応接室にて。
重厚な木製テーブルを挟んで、私とキャルルちゃん、そして深く落ち着いた藍色の正装軍服を纏ったジルヴェスター様が向かい合っていた。
テーブルの上には、金箔押しの紋章が輝く一枚の羊皮紙が広げられている。
『ルナミス帝国筆頭公爵領・ポポロ村包括優先通商協定書』。
「——よし。これにて、ヴァルハイト公爵家とポポロ村との正式な通商条約の調印を完了とする」
ジルヴェスター様が流麗な筆致で自らのサインを記し、公爵家の印章を押された。
続いて、キャルルちゃんが村長印を押し、最後に私が『実務作成者』として署名を添える。
「ありがとうございます、公爵様! これでポポロ村の特産品は、公爵家の全面的なバックアップのもとで安全に流通できるわ!」
キャルルちゃんが嬉しそうに胸を張る。
「礼を言うのは私の方だ、村長。……ナツコ殿の作成してくれたこの事業計画と流通網の設計は、我が公爵領にとっても計り知れない利益をもたらす」
ジルヴェスター様は私へと視線を向けられた。
その蒼い瞳には、昨日までのような「保護者」としての優しさだけでなく、一人の対等で優秀なパートナーに対する深い敬意が宿っていた。
「さて……ナツコ殿。調印が済んだところで、私から君へ……一つ、個人的な『打診』があるのだ」
「私への……打診、ですか?」
ジルヴェスター様は静かに立ち上がると、私の隣へと歩み寄られた。
その高い体躯と圧倒的な存在感が、優しく私を包み込む。
「我がヴァルハイト公爵領では今、アバロン魔皇国との国境付近にある広大な荒廃地を改革し、新たな『自由貿易特区』を建設する一大プロジェクトが始動しようとしている」
ジルヴェスター様は懐から、一通の美しい羊皮紙の委任状を取り出し、私の手元へと差し出された。
「そこはポポロ村と同じく、複雑な流通と税制、そして現地住民たちの生活再建が絡み合う難所だ。……そこに、君のその素晴らしい『段取り力』と『現場の知恵』、そして何より人を温かく生かす『人柄』を貸してはくれないだろうか?」
「え……っ? 私が、公爵領の特区開発を……!?」
思わず目を見開いた。
「無論、君をポポロ村から連れ去るつもりはない。君のホームがこのポポロ村であることは百も承知だ。……だからこそ、ポポロ村を拠点としつつ、我がヴァルハイト公爵家の『最高実務顧問』として、プロジェクトに加わってほしいのだ」
「最高……実務顧問……!?」
あまりの重職の打診に、私の喉がヒッと鳴った。
「君の力を、世界はまだ知り尽くしていない。お前を『無能』と侮蔑し、使い捨てようとした者たちに……君という存在がどれほど高く、尊い場所に立つ知恵者であるかを、証明させてはくれないか?」
ジルヴェスター様はそっと手を伸ばし、私の手の上に自らの温かな手を重ねてくださった。
彼の蒼い瞳が、逃がさないような強い熱を帯びて私を見つめる。
「そして……何より。私自身が、君とともにもっと同じ未来を見つめ、同じ時間を歩みたいのだ。……ナツコ殿」
「〜〜〜〜っ!?」
耳元で低く囁かれた情熱的な言葉。
公に「庇護」され、選ばれた存在としての確信。
まだ正式な「恋人」や「婚約者」という言葉こそ交わしていないものの、互いの胸の中にある好意と確固たる絆は、誰の目にも明らかなほど熱く熟していた。
顔が熟したトマトのようにカッと赤くなるのが分かる。
「お……公爵様……っ、大勢の文官さんたちが見ていますわ……っ!」
「構わないさ。私は自分の心に嘘はつけんタチでね」
ジルヴェスター様がふっと見せた極上の微笑みに、私の心臓が爆発しそうなほどの音を立てて跳ね上がった。
「む〜〜〜〜ッ!!」
そこへ、シュバッ!と割り込んできたのは、ウサギ耳を限界まで逆立てたキャルルちゃんだった。
二人の間に割って入り、公爵様をギロリと睨みつける。
「公爵様! 仕事の依頼にかこつけて、ナツコちゃんを口説くのはルール違反です! 実務顧問の件はナツコちゃんの自由だけど、ポポロ村からナツコちゃんを奪おうとしたら、私が一億ボルトの流星脚で公爵邸の屋根を吹き飛ばしますからね!」
「ふ……相変わらず頼もしい護衛だな、村長。だが安心するといい。彼女の意思を無視して引き回すつもりは毛頭ない」
ジルヴェスター様は柔らかく微笑み、私へと向き直られた。
「どうだろうか、ナツコ殿? 君の新しい『挑戦』として、私の手を取ってはくれないだろうか?」
私は、手元に置かれた委任状と、ジルヴェスター様のあたたかい手、そして傍らで心配そうに見守ってくれるキャルルちゃんの顔を交互に見つめた。
前世の限界社畜時代、私は会社からの無理難題に怯え、言われるがままに押し付けられた仕事をこなして死んだ。
けれど――今の私は違う。
私には、私を信じてくれる最高の親友がいる。
私を正しく評価し、尊んでくれる最高のお方がいる。
そして、前世の知恵と【善行ポイント通販】という、人を幸せにするための強力な道具がある。
自分の足で立ち、自分の意志で、新しい未来へ踏み出す準備は……もう完璧に整っていた。
「……はい!」
私は深々と頷き、ジルヴェスター様の手をしっかりと握り返した。
「私で良ければ……喜んで、その最高実務顧問のお仕事、お受けさせていただきます!」
「ナツコちゃん……っ!」
「ありがとう、ナツコ殿。君ならそう言ってくれると信じていた」
ジルヴェスター様の蒼い瞳に、眩しいほどの喜びの光が宿る。
ピンポンパンポーン――♪
【条件達成:『第一章の完結・新たな未来への選択と最高の居場所の確定』】
【現在の所持ポイント:940 pt】
【※『第一章:ポポロ村の奇跡編』コンプリート! 特別ボーナスポイント 1,000 pt 獲得!】
【現在の総所持ポイント:1,940 pt】
脳内に響き渡るファンファーレのような豪華なチャイム音。
視界の端で輝く【1,940 pt】の文字が、これから始まる新しい物語への期待を予感させていた。
ポポロ村を拠点とし、ジルヴェスター様とともに広大な公爵領の改革へ。
私の前には、前世の暗闇からは想像もつかないほど、色鮮やかで輝かしい未来が広がっていた。
◇
――その頃。
ルナミス帝国の首都社交界では、一つの衝撃的なニュースが駆け巡っていた。
「聞いたか!? あのロマン伯爵家が、新関税の不法改ざんと不当恐喝で完全失脚! エドワードは全財産没収の上、鉱山での終身労働だと!」
「しかも、彼らが『無能』と追放したナツコ・クラウディア令嬢は、なんとあのヴァルハイト公爵閣下から『最愛の至宝』として見初められ、公爵領の最高実務顧問に就任されたらしいぞ!」
自滅した元婚約者の無様と、泥の中から一気に帝国の頂点へと上り詰めた社畜令嬢の劇的な逆転劇。
誰もがナツコの輝かしい噂に目を見張る中――。
王都の高級サロンの片隅で、絢爛なドレスに身を包んだ一人の美しい令嬢が、紅茶のカップを握りつぶさんばかりの力で握りしめていた。
「ナツコ・クラウディア……。ただの落ち目の不遇令嬢のくせに、ジルヴェスター様のお側へ侍り、あのような寵愛を受けるなんて……絶対に許さないわ……!」
嫉妬に狂う令嬢の、仄暗い怨嗟の執念。
だが、そんな遠くの悪意など、今のナツコの足元にも及ぶはずもなかった。
◇
ポポロ村の爽やかな秋風の中。
「さあ、ナツコちゃん! 今日もルナキンで朝定食を食べて、元気に新しいお仕事の打ち合わせをはじめようよ!」
「ふふ、ええ! 行きましょう、キャルルちゃん、ジルヴェスター様!」
「ああ。君とともに歩む未来が、楽しみでならないよ」
大好きな親友の手を握り、愛おしいお方の隣で、私は誇らしく前を向いて歩き出す。
誰の道具にもならない。誰の不当な搾取にも屈しない。
私は私の知恵と優しさで、私自身の人生を、これからもどこまでも幸せに咲かせていくのだから!
(第一章・完 / 第二章・公爵領特区開発&社交界激震編へ続く)
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