EP 11
君の価値は、私が誰よりも理解している
バートンたちが捨て台詞を残して去った後、ポポロ村の役場執務室には、どこかピンと張り詰めた静寂が漂っていた。
私は木製のデスクに向かい、先ほど手に入れた『証拠品』の最終チェックを行っていた。
胸ポケットから取り出した、ペン型ICレコーダー。
スイッチを操作すると、小型の魔導スピーカーから、バートンのあさましく高圧的な声が鮮明に再生される。
『拒否した場合は、我がロマン伯爵領の権力と軍を使って、ポポロ村の全物流網を武力で封鎖し、村人を餓死させてやる! これはエドワード様からの直接の命だぞ!』
ノイズ一つない、完璧な音声データ。
そして、テーブルの上に広げられた複写契約用紙。バートンの署名とロマン伯爵家の印章が、くっきりと朱色に浮かび上がっている。
「うん……音声データの保存状態も良好。契約用紙の筆跡鑑定・印章照合もこれで完璧ね」
私は手帳にチェックを入れ、深く息を吐き出した。
(前世でも、こういう悪質な取引先や無茶ぶりをする上司の言質を取るために、こっそりメモや録音を残していたっけ……)
あの頃の記憶が、かすかに胸を掠める。
吉岡課長から無理難題を突きつけられるたび、私は「自分が我慢して証拠を集めて、会社に報告すれば分かってもらえる」と信じて一人で抱え込んでいた。
だが結局、誰も私を守ってはくれなかった。会社は課長の手柄を優先し、私は使い潰された。
(だから、今回も同じ。ポポロ村やキャルルちゃんに迷惑をかけるわけにはいかないわ。私が自分で立ち回って、自分でこの問題を片付けなきゃ……)
無意識のうちに、奥歯を噛み締めていた。
人に頼るのが怖かった。自分の問題は自分一人で完璧に解決しなければ、またあの時のように捨てられてしまうのではないかという、前世からの深い強迫観念。
「ナツコちゃん……」
隣で帳簿を整理していたキャルルちゃんが、可憐なウサギ耳をキュッと伏せ、心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「顔色が少し固いわよ? バートンたちのことなら、本当に気にしなくていいんだからね。もし何かあったら、私がマッハ1の足でロマン伯爵領に突撃して――」
「ううん、大丈夫よキャルルちゃん。ポポロ村の村長である貴女に余計な政治的負担はかけさせないわ。この証拠があれば、法的にも論理的にも私たちが完全に優位だもの」
私は無理に微笑んでみせた。
だが、その強がりをキャルルちゃんの鋭敏な心音透過能力が聞き逃すはずもなかった。彼女が何かを言いかけようとした、その時だ。
トントン――。
控えめだが、どこか重厚なノックの音が執務室のドアに響いた。
「失礼する。ポポロ村長、並びにナツコ殿」
聞き間違えようのない、低く澄んだ美しい声。
扉が開くと、そこに立っていたのは――深い藍色の軍服を寸分の乱れもなく纏い、黒い外套を肩にかけたジルヴェスター様だった。
「公爵様……!?」
私とキャルルちゃんが慌てて立ち上がる。
ジルヴェスター様の後ろには、二名の近衛騎士が控えていたが、彼らは静かにドアの外で待機し、室内にはジルヴェスター様お一人だけが入ってきた。
「約束通り、ポポロ村との正式な通商協定の草案を持ってきた。……だが、村の入口で少し不穏な気配を感じてな。何かあったのだろうか?」
ジルヴェスター様の鋭い蒼眸が、私の表情と、テーブルの上に置かれたICレコーダー、そして複写用紙を一瞬で捉えた。
「あ……はい。実は、先ほどロマン伯爵家からの使者がまいりまして……」
私は息を整え、状況を説明した。
エドワード様が自領の経済破綻を穴埋めするため、ポポロ村の特産品を十分の一の価格で不当買収しようとしてきたこと。
拒否すれば武力封鎖すると脅迫してきたこと。
そして――私が通販スキルで取り寄せた魔導具を使い、相手の言質と自筆の不当契約書を『完全な証拠』として押さえたこと。
「こちらが、そのICレコーダーの音声データと、相手の署名入りの不当契約書です」
私は二つの証拠を、整然とファイルにまとめてジルヴェスター様へ差し出した。
「これさえあれば、ロマン伯爵家が国際緩衝地帯に対して不当な恐喝を行ったことが証明できます。公爵様のお手を煩わせることなく、私の方で帝国法に基づき、正式な控訴手続きを進める所存です」
私は「完璧な仕事をした」という自負とともに、背筋を伸ばした。
これでポポロ村も守れるし、公爵様にもご迷惑をかけずに済む。私ひとりの力で、すべてを完璧に処理できたはずだった。
――だが。
証拠ファイルを受け取ったジルヴェスター様は、音声を一度再生し、契約書に目を通した後……静かにそれをデスクの上に置いた。
その蒼い瞳に宿っていたのは、私への称賛ではなかった。
酷く切なく、そして胸が締め付けられるような、深い憂いの色だったのだ。
「……ナツコ殿」
「は、はい……?」
ジルヴェスター様はゆっくりと歩み寄ると、私の目の前で立ち止まった。
見上げるような高い体躯。彼の全身から漂う品格と圧倒的な存在感が、私を優しく包み込む。
「君の仕事は完璧だ。証拠の保全、法的な論理構成、相手の自滅の誘導……何一つとして付け入る隙がない。実務家として、これ以上なく見事な立ち回りだ」
「あ……ありがとうございます――」
「――だが」
ジルヴェスター様は私の言葉を遮り、そっと私の両手を包み込んだ。
彼の大きな手はとても温かく、そして力強かった。
「なぜ、そこまで一人で抱え込もうとするのだ?」
「え……?」
予想外の問いかけに、私は言葉を詰まらせた。
「君の心音は……いや、心音など聞かずとも分かる。君の瞳には、『誰にも頼ってはいけない』『自分が傷ついてでもすべてを一人で背負わねば捨てられる』という、悲しいほどの強迫観念が見えるのだ」
「ッ……!」
胸の奥を、ドスリと突かれたような衝撃が走った。
ジルヴェスター様の深い蒼眸が、私の瞳の奥――前世からずっと隠し続けてきた、一番柔らかくて脆い『傷口』を真っ直ぐに見つめていた。
「君は前世から……いや、これまでずっと、そうやって生きてきたのだろう? 周りの理不尽に耐え、一人で努力し、一人で始末をつけ……それでも最後は裏切られ、手柄を奪われてきた」
「あ……う……」
「だから今も、私や村長に迷惑をかけまいと、一人で刃の前に立ち、一人で盾になろうとしている」
ジルヴェスター様の手が、優しく私の手を握り直す。
「……ナツコ殿。私を頼ることは、君の『弱さ』ではないのだぞ」
「公爵……様……」
「君がどれほど優秀で、どれほど強靭な知恵を持っていようと……君は守られるべき一人の尊い女性だ。君が背負う必要のない理不尽や悪意まで、君が一人で傷つきながら引き受ける必要はどこにもない」
ジルヴェスター様は低く、そして地鳴りのように深い声で、はっきりと宣言した。
「君を脅かし、君の知恵を搾取しようとする愚者どもは――この私が、我がヴァルハイト公爵家の全権をもって、叩き潰す」
「ッ……!――――」
涙が、溢れた。
ポロポロと、止めようもなく、大粒の涙が私の頬を伝って溢れ出してきた。
前世でも、今世でも。
誰も私に「頼っていい」と言ってくれなかった。
「君が頑張るのが当たり前だ」「一人でやれ」と突き放され、使い潰されて死んだ。
だから私は、誰も信じられなくなっていた。
自分で戦い、自分で証拠を集め、自分で身を守らなければ、誰も私を助けてくれないと思い込んでいた。
なのに――このお方は。
帝国で最も高く、最も尊い場所に立つこのお方は。
私の完璧な仕事の裏にある『怯え』と『孤独』を一目で見抜き、私をまるごと守ると言ってくれたのだ。
「もう……一人で戦わなくていいのだ、ナツコ殿。君の本当の価値は、私が誰よりも理解している。君が咲くべき場所は、冷たい戦場ではない。誰もが君の優しさを称え、愛おしむ……温かな場所なのだから」
ジルヴェスター様は親指で、私の頬を伝う涙を優しく拭ってくれた。
「あ……あ……っ、ありがとうございます……っ! 公爵様……っ!」
私は彼の胸に顔を埋めるようにして、声を上げて泣いた。
前世で過労死した夜から、ずっと胸の奥に凍りついていた冷たい氷が。
このお方のあたたかい腕の中で、跡形もなくけていくのを感じていた。
傍らで静かに見守っていたキャルルちゃんも、目を潤ませながら、そっと私の背中に手を添えてくれた。
(……ああ。私、もう一人じゃないんだ)
この人は、ただ私の「能力」を利用しようとしているのではない。
「ナツコ」という存在そのものを、心から尊重し、愛おしみ、守ろうとしてくれている。
胸の奥で高鳴る鼓動。
それは、恐怖でも焦燥でもない――このお方への、絶対的な『信頼』と『ときめき』の音だった。
ピンポンパンポーン――♪
【条件達成:『魂の孤独からの救済および絶対的信頼の獲得』】
【爆発的な心の安定を受信しました:200 pt を獲得!】
【現在の所持ポイント:820 pt】
ジルヴェスター様に温かく抱きしめられながら、私は涙を拭った。
もう、恐れるものなど何もない。
私を捨て、蔑んだ元婚約者様。
あなたの差し向けた悪意は、私を傷つけるどころか――私とこの最高のお方との絆を、より強固に結びつける結果にしかならなかったのですから!
読んでいただきありがとうございます。
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