EP 10
焦燥する元婚約者と、忍び寄る悪意
――ガタガタと、机の上の書類が山ごと崩れ落ちる。
「くそっ……! なぜだ、なぜどこも私の言う通りに動かんのだッ!?」
ルナミス帝国・ロマン伯爵領の本邸執務室。
かつてナツコを追い出したエドワード・フォン・ロマンは、血走った目で荒い息を吐き出していた。
ナツコという『真の実務担当者』を失ってから、二週間。
ロマン伯爵領の経済は、目を覆いたくなるほどの惨状を呈していた。
ナツコが頭の中にしか置いていなかった複雑な新関税の計算式は誰も解解できず、アバロン国境の関所では膨大な商隊が滞留。怒り狂った大手商会「ゴルド商会」からは、ロマン伯爵領を通る全流通ラインの差し止めを通告されていた。
さらに、街道の修繕工事は資材不足で中断し、現場の作業員たちへの給料未払いが発覚して暴動寸前。
「エドワード! 一体どういうことだッ!」
バンッ!と執務室の扉が叩き開かれ、父であるロマン伯爵が真っ赤な顔で怒鳴り込んできた。
「王都の社交界から苦情が殺到しているぞ!『ロマン伯爵領の物流が止まったせいで、我が家の特産品が届かない』『お前の言っていた新税制改革とは、単なる関税の踏み倒しか』とな! このままでは我がロマン伯爵家は破産し、王宮からの信用も完全に失墜するぞ!」
「父上……っ、し、しかし、これはすべてナツコめが……! あの女が私をハメて、書類を持ち去って逃げ出したからで……っ!」
「黙れッ! 追放を言い渡したのはお前だろうが! 言い訳などどうでもいい、今すぐこの赤字と物流の停止をどうにかしろ! できなければ、お前から嫡男の座を剥奪し、平民に落とすぞッ!」
父の容赦ない言葉に、エドワードの顔からサーッと血の気が引いた。
(ちくしょう……ちくしょうッ! ナツコめ、私をここまで追い詰めるとは……!)
自分の無能さと横暴さが招いた自滅であることなど、エドワードの頭には微塵もなかった。
だが、このままでは本当に自分が破滅してしまう。
窮地に陥ったエドワードの脳裏に、先日役人から届いた一つの『報告』が閃いた。
『エドワード様……緩衝地帯のポポロ村にて、枯れかけていた特産品の「ポポロシガー」や「陽薬草」が、謎の劇的な復活を遂げ、飛ぶように売れているとの情報が……』
(……そうだ! ポポロ村だ!)
エドワードの歪んだ唇に、邪悪な笑みが浮かんだ。
(あの弱小なポポロ村の高品質な特産品を、我がロマン伯爵領の権力でタダ同然で独占買収してしまえばいい! それを他国や王都へ高値で転売すれば、関税の赤字など一気に補填できる! あんな緩衝地帯の田舎村など、我が家の脅し一つで簡単に屈するはずだ!)
エドワードはすぐさま、自領で最も高圧的で悪知恵の働く悪徳執事を呼びつけた。
「おい! 今すぐポポロ村へ向かえ! 不当な独占買取契約書を持たせてな! 従わねば、ロマン伯爵領の軍を使ってポポロ村の物流網を完全に封鎖すると脅し上げろ!」
「ははっ! お任せくださいませ、エドワード様!」
自らの破滅を回避するため、エドワードは最悪の一手を指したことに、まだ気づいていなかった。
◇
ぽかぽかと陽光が降り注ぐ、ポポロ村の村役場前広場。
「おい! 村長を出せ! キャルル・ムーンハートはどこだッ!」
静かな村の静寂を破り、下品で高圧的な怒鳴り声が響き渡った。
集まってきた村人たちの前に立っていたのは、高級な絹のコートを着た肥満体の男――ロマン伯爵家から派遣された悪徳執事・バートンだった。後ろには、強面で大きな剣を腰に下げた私設用心棒の男たちを四人も引き連れている。
「何ごとですか!? ここはポポロ村の役場ですよ!」
農家のゴードンさんや、学校のネギオ先生が駆け寄ってくるが、バートンは手に持った羊皮紙を鼻の先でひらひらと揺らした。
「ふん、田舎者の農夫どもが! 私は名門ロマン伯爵家からの使者だ! 今日からこのポポロ村で生産される『ポポロシガー』『陽薬草』『月見大根』の全量を、我がロマン伯爵家が従来の十分の一の価格で全量買い取ってやる! 光栄に思え!」
「じ、十分の一の価格だぁ!?」
ゴードンさんが目を剥いた。
「そんな破格で売ったら、俺たちは干上がっちまう! 冗談じゃねえぞ!」
「ふん、拒否する気か? 我がロマン伯爵領の街道を通らねば、お前たちの荷はどこへも出荷できんのだぞ! 従わねば、ポポロ村に入る一切の物流を封鎖し、この村を餓死させてやる! さあ、村長を呼べ! この不当……ゲホン、特例契約書に判を押させろ!」
「――あんた、誰に向かって威張ってるのかしら?」
シュバッ……!!
大気を引き裂くような旋風とともに、バートンの目と鼻の先に一人の少女が舞い降りた。
ウサギ耳をピンと逆立て、特注の安全靴(鋼鉄芯入り)をコンコンと鳴らすキャルルちゃんだ。その可憐な全身から、バチバチと紫電の闘気が溢れ出している。
「キャルル村長……っ!」
「ポポロ村の村長は私よ。うちの村人に脅しをかけて、タダ同然で特産品を巻き上げようとするなんて……いい度胸じゃない」
キャルルちゃんのピンク色の瞳に、凄まじい怒りの炎が宿る。
「一分以内にその汚い羊皮紙を畳んで出て行かないなら、一億ボルトの『超電光流星脚』で、あんたたち全員をロマン伯爵領まで吹っ飛ばしてあげるわ!!」
「ひっ……! ひええぇぇっ!?」
あまりの密度の闘気に、用心棒たちが腰を抜かしかける。
だが、バートンは引きつった顔で叫び返した。
「く、屈するもんか! もし私を殴れば『ポポロ村がロマン伯爵家の使者を暴力で撃退した』と大嫌疑をかけ、ルナミス帝国軍に通報して村ごと平らげさせてやるからなッ!」
「な……ッ!?」
キャルルちゃんが歯噛みする。
(くっ……! ここで私が手を突っ張れば、ナツコちゃんや村のみんなに迷惑がかかっちゃう……!)
暴力で追い返せば、相手は被害者ぶって正式な包囲網を敷いてくる。
キャルルちゃんが抑えきれない怒りに悔しがっていた、その時だった。
「――そこまでです、キャルルちゃん」
静かな、けれど通る声が広場に響いた。
人群れを割って進み出たのは、作業服の上着を整えた私――ナツコ・クラウディアだった。
「ナ、ナツコ様……!?」
「あ……お前は、エドワード様が追い出されたあの無能な……ナツコ・クラウディアッ!?」
バートンが指をさして嘲笑した。
「なんだ、こんな田舎村に落ちぶれておったのか! ハッ、無能なお前がしゃしゃり出てきて何になる! 村長に早くこの不当独占契約書に判を押させろ! さもなければ――」
「バートンさん」
私は取り乱すことなく、冷ややかな瞳でバートンをまっすぐ見つめた。
「前世で……いえ、社畜時代に、貴方のような脅迫まがいの不当取引を持ちかける悪質業者を、嫌というほど相手にしてきましたわ」
「は……? しゃちく……?」
「暴力で追い返す必要なんてありません。――ここは、私の『社畜の段取り力』と『道具』で料理させていただきます」
私はそっと背を向け、視界の右隅で光る画面――【善行ポイント通販】を立ち上げた。
【現在の所持ポイント:700 pt】
(前世のコンプライアンス研修で学んだ『法的手続き』と『完全な証拠保全』! これをどう使えば、相手を言い逃れできない自滅へ追い込める……!?)
私は社畜の知恵をフル回転させ、二つの現代アイテムを選択した。
【超小型高音質・魔導ICボイスレコーダー(超長期間録音・改ざん不可証明機能付き):100 pt】
【現代版・リーガルチェック機能付き精密複写契約用紙(罠条項自動蛍光検知機能):80 pt】
【合計:180 pt を消費します。購入しますか?】
(即座に購入!!)
トランクの陰で確定ボタンを押すと、私の胸ポケットに小さな黒いペンのような魔導具が、手に持ったファイルの中に特殊な複写用紙が落ちてきた。
私はボイスレコーダーのスイッチを秘かに『録音オン』にし、胸ポケットに挿した。
「バートンさん。村長に代わり、私がその契約の条件を改めて確認させていただきますわ」
私は微笑みを浮かべ、バートンに歩み寄った。
「え……? お、おう! 話がわかるではないか、無能女!」
バートンは味をしめたようにニヤニヤと意気揚々と胸を張った。
「条件をもう一度、ハッキリと大きな声でおっしゃってくださいな。我がポポロ村の特産品を、従来の『十分の一の価格』で全量独占買取する……と?」
「そうだ! それ以下の価格だ! ロマン伯爵家の命令だ!」
「もしそれを拒否した場合は、どうされるのですか?」
「ハッ! 決まっているだろう! 我がロマン伯爵領の権力と軍を使って、ポポロ村の全物流網を武力で封鎖し、村人を餓死させてやる! これはエドワード様からの直接の命だぞ!」
バートンは大声で、高圧的に、自らの口から『恐喝と武力封鎖の脅迫』を朗々と語り上げた。
胸ポケットの中で、ICレコーダーの微細な光がチカチカと点滅し、バートンの音声を寸分違わず最高音質で記録していく。
「なるほど……よく分かりましたわ」
私は通販から手に入れた『複写契約用紙』を取り出し、バートンの目の前に差し出した。
「では、今おっしゃった『十分の一の価格での独占買取』と『拒否した場合の武力封鎖』という条件を、こちらの正式な用紙にそのまま記載し、ロマン伯爵家の代理人として署名と指印をいただけますか? 記録として残しておきますので」
「ハッ! お前のような無能が契約書の形式にこだわってどうする! 書いてやるわ!」
バートンは疑いもせず、自分の口で吐いた恐喝内容をそのまま用紙に書き込み、ドヤ顔でロマン伯爵家の印章と自らの署名をドカンと押した。
「これで契約は成立だ! 明日からポポロシガーも陽薬草も格安で差し出せ! 断れば村を潰すぞ! 行くぞ野郎ども!」
高笑いしながら、バートンたちは勝ち誇った顔で引き揚げて行った。
静まり返る広場。
キャルルちゃんが心配そうに私に駆け寄ってきた。
「ナツコちゃん……! あんな不当な紙に署名させちゃって、大丈夫なの……!? 本当にポポロ村が差し押さえられちゃったら……!」
「ふふ、大丈夫よ、キャルルちゃん」
私は胸ポケットから小さなペン型ICレコーダーを取り出し、手元の複写用紙(相手が署名した原本だ)を優しく撫でた。
「あの人たちが置いていったのは、契約書なんかじゃないわ」
「え……?」
「これはね……ロマン伯爵家とエドワード様が、国際法と帝国法を明確に犯したという『完全な恐喝・不当圧力の決定的な証拠』よ」
「えぇぇぇッ!?」
私は冷ややかな笑みを深めた。
相手の発言を完璧な音質で録音したボイスレコーダー。
そして、相手自らが恐喝内容を書き込み、印を押した不当契約書の原本。
前世のブラック企業対策で叩き込まれた『コンプライアンス・証拠保全の完璧な段取り』。
相手が自慢げに差し出してきた攻撃こそが、彼ら自身を完全に破滅させる『自滅の引き金』となったのだ。
「公爵様……ジルヴェスター様が近々、ポポロ村との正式な通商協定を結ぶためにいらっしゃいますわ」
私は手に持った決定的な証拠をぎゅっと握りしめた。
「その際、この『ロマン伯爵家による国際緩衝地帯への武力脅迫と恐喝の証拠』を、告発文書として公爵様へそのまま提出いたします」
「ナ……ナツコちゃん……っ!」
キャルルちゃんの目が、感動でキラキラと輝いた。
「すごい……! 一切殴ってないのに、相手が自分から首をくくる縄を縛って差し出してきたみたいだわ……! ナツコちゃん、天才……っ!」
「ふふ、私に手を出したらどうなるか、あの身勝手な元婚約者様に教えてあげなくちゃね」
誰かを蹴落とすのではなく、自分の知恵と機転で大切な場所を守る。
ピンポンパンポーン――♪
【条件達成:『理不尽な不当圧力の完全証拠保全および自滅トラップの完成』】
【所持ポイント:520 pt → 620 pt へ回復!】
空を見上げると、爽やかなポポロ村の風が吹いていた。
自らの強欲と愚かさで墓穴を掘ったエドワード様。
あなたたちの自滅のカウントダウンは、いま、決定的な音を立てて始まりましたわ!
読んでいただきありがとうございます。
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