第六話 遠い日の約束
夕暮れを越え、夜の帳がゆっくりと王都を包み始める頃。
ルルシルを乗せた馬車は、ヴェリテ公爵家の屋敷へと帰り着いた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
出迎えた使用人たちが一斉に頭を下げる。
「ただいま戻りました」
穏やかに微笑み返し、ルルシルは自室へ向かった。
今日一日を過ごしただけだというのに、どこか心は少しだけ疲れていた。
王妃マクベリアとのお茶会は、いつも温かな時間だった。
それでも今日の言葉だけは、胸の奥へ静かに残っている。
『昔は、仲が良かったのに』
その一言が、何度も頭の中で繰り返されていた。
部屋へ戻ると、サラがすでに夜の支度を整えて待っていた。
「お疲れ様でございました、お嬢様」
「ありがとう、サラ」
ルルシルは一度部屋を後にし、侍女たちに案内されて浴室へと向かった。
温かな湯に身を沈めると、一日の疲れがゆっくりとほどけていく。
それでも胸の奥に残る思いだけは、静かに揺れ続けていた。
入浴を終え、再び自室へ戻ると、サラが夜着を用意して待っていた。
ルルシルは着替えを済ませ、椅子に腰掛ける。
銀色の髪を丁寧に乾かしたサラは、寝台のシーツを整え、薄手の掛け布をふわりと広げる。
「今日はお疲れでしょう。どうぞ、ごゆっくりお休みくださいませ」
「ええ」
ルルシルは寝台へ腰掛け、小さく微笑んだ。
「今日もありがとう」
「そのお言葉だけで十分でございます」
サラは柔らかく微笑み、一礼する。
「それでは、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい、サラ」
静かに扉が閉まり、部屋には穏やかな静寂が戻った。
窓の外では、夜風に揺れる木々の音だけが小さく響いている。
ルルシルはゆっくりと寝台へ身を横たえた。
天井を見つめながら、今日の出来事を思い返す。
マクベリア王妃との穏やかな会話。
そして――
『昔は、仲が良かったのに』
その言葉が胸の奥で静かに響く。
自然と瞼を閉じる。
意識はゆっくりと、遠い日の記憶へ溶け込んでいった。
◇◇◇
「ルルシル!」
庭園に元気いっぱいの声が響いた。
振り返ると、金色の髪を揺らした少年が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「カイン!」
幼いルルシルは、ぱっと笑顔を浮かべた。
「今日は何して遊ぶ?」
「ふふっ、今日はね、お城の庭で新しい場所を見つけたんだ!」
カインは得意そうに胸を張る。
「ほんと?」
「ああ! 誰も知らない秘密基地!」
そう言うと、ルルシルの手を取って走り出した。
「わっ、待って、カイン!」
「早く早く!」
二人は庭園を駆け抜ける。
花壇を抜け、小道を渡り、大きな木々の間へ。
木漏れ日が二人を優しく包み込み、小鳥たちが枝から枝へと飛び移っていく。
すると、木の陰から淡く光る小さな精霊がふわりと姿を現した。
「あっ!」
ルルシルが嬉しそうに声を上げる。
「精霊さんだ!」
蝶のような精霊が花の周りをくるくると舞い、木の枝には鳥の姿をした精霊が羽を休めている。草むらではリスのような精霊が葉っぱを抱えて遊んでいた。
ルルシルがそっと手を差し伸べると、小さな精霊たちは嬉しそうに集まり、その指先や肩へちょこんと乗る。
銀色の髪にも隠れるように潜り込み、楽しそうにきらきらと光を放っていた。
「やっぱりルルシルはすごいなぁ」
カインは嬉しそうに笑う。
「みんな、ルルシルのところに集まっちゃう」
「えへへ。みんな優しい子ばっかりなんだよ」
ルルシルは肩に乗った小さな精霊を指先でそっと撫でる。
「よーし!」
突然、カインが立ち上がる。
「鬼ごっこしよう!」
「えぇ?」
「ルルシルが鬼ね!」
「ずるい!」
笑いながら追いかけるルルシル。
その後ろを、小さな精霊たちも楽しそうに飛び回り、二人を追いかける。
「待って、カイン!」
「捕まえてみろー!」
二人の笑い声が庭園いっぱいに響いた。
しばらく遊び疲れると、大きな木の根元へ並んで腰を下ろす。
風が優しく吹き抜け、花びらがひらひらと舞っていた。
「ねぇ、ルルシル」
「なあに?」
カインは空を見上げ、小さく息を吐く。
「ぼくさ……大きくなったら王様になるんだよね」
「うん」
「みんなは『王子だから大丈夫』って言うけど、本当にできるのかな」
その声には、幼いながらも不安が滲んでいた。
「ちゃんと王様になれるかな」
ルルシルは少し考え、それからにっこり笑う。
「きっとなれるよ」
「ほんと?」
「うん。カインは優しいもん」
その言葉に、カインは少し照れくさそうに笑った。
「でも、ルルシルだって大変でしょ?」
「え?」
「公爵家のお仕事とか、お勉強とか、いっぱいあるんでしょ?」
ルルシルは小さく頷く。
「うん。でも、お父様もお兄様もいるから」
「それでも大変じゃない?」
「うーん……たまにね」
二人は顔を見合わせる。
するとカインはぱっと笑顔になった。
「じゃあさ!」
「ぼくがルルシルを守る!」
真っ直ぐな瞳だった。
「ぼくが立派な王様になって、ルルシルが困らない国を作る!」
ルルシルは目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「じゃあ、私もカインを助けるね」
「ほんと?」
「うん。一人じゃ大変でも、二人なら頑張れるもん」
その言葉に、カインは何度も頷く。
「そうだね!」
「二人で一緒に頑張ろう!」
「うん!」
カインは右手の小指を差し出す。
「約束!」
ルルシルも笑って小指を絡めた。
「約束!」
二人の笑い声が、青空へ溶けていく。
少し離れた東屋では、その様子を静かに見守る二人の姿があった。
「本当に仲の良い子たちですね」
マクベリア王妃が穏やかに微笑む。
隣には、ヴェリテ公爵オルフェウスが優しく目を細めていた。
「ええ」
「あの二人なら、きっと互いに支え合いながら、この国の未来を歩んでくれるでしょう」
その言葉に、オルフェウスも静かに頷く。
「私もそう信じております」
誰もが疑わなかった。
この約束が、いつまでも続くものだと。
◇◇◇
窓から吹き込む夜風が、眠るルルシルの銀色の髪をそっと揺らした。
夢の中で浮かぶのは、幼い日の笑顔。
楽しそうに笑うカイン。
無邪気に笑う自分。
その光景は優しく、そしてどこか切なかった。
静かな夜は更けていく。
ルルシルは穏やかな寝息を立てながら、遠い日の思い出に包まれたまま、深い眠りへと落ちていった。




