第四十三話 野外合宿の終わり
謎の男が姿を消したあと。
森には、再び静かな時間が流れていた。
ルルシルは地面に横たわるカインへ視線を向ける。
「……まずは、ここから離れなければなりませんね」
「ああ」
アルクスレイブンも頷いた。
「誰かに見つけてもらう必要がある」
「でしたら、魔法を使いましょう」
ルルシルは腰に収めていた杖を取り出した。
アルクスレイブンも杖を構える。
「救援を呼ぶなら、できるだけ高く上げた方がいいな」
「はい」
二人は同時に杖を空へ向けた。
ルルシルの杖先に淡い光が集まり、アルクスレイブンの杖先には赤い炎が灯る。
次の瞬間。
二つの光が夜空へ向かって勢いよく飛んでいった。
高く、高く舞い上がった光は、森の上空で大きく弾ける。
淡い光と赤い炎が夜空を照らし、しばらくの間、星のように輝いた。
「これなら、誰かが気づくでしょう」
「ああ」
アルクスレイブンが空を見上げる。
やがて光が消えていく。
その時だった。
「……う……」
地面から、小さな声が聞こえた。
「殿下?」
ルルシルがすぐにカインへ駆け寄る。
カインの瞼がゆっくりと動いた。
「……ここは……」
「森の中です」
「……森?」
カインはぼんやりと周囲を見渡した。
そして、すぐそばにいるルルシルへ視線を向ける。
「……ルルシル?」
「はい」
ルルシルが頷く。
カインは少し安心したように息を吐いた。
けれど、その視線がルルシルの隣へ移った瞬間。
「……なんでまたこいつと!」
カインが勢いよく起き上がろうとする。
しかし――。
「……っ」
身体に力が入らない。
起き上がることができず、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「殿下!」
ルルシルが慌てて身体を支える。
「無理をなさらないでください」
「くっ……」
カインは悔しそうにアルクスレイブンを睨んだ。
「お前……また……」
「元気そうで何よりだな」
アルクスレイブンが苦笑する。
「寝ていても良かったんだがな」
その言葉に、レグロナグラが鼻を鳴らした。
『本当にな』
「お前まで……!」
カインがレグロナグラを睨む。
しかし、やはり身体には力が入らない。
ルルシルはそんなカインを見て、小さく息を吐いた。
「殿下。覚えていますか?」
「……何を?」
「森で何があったのかです」
カインは眉を寄せた。
しばらく考え込む。
けれど、やがて首を横に振った。
「……何も覚えていない」
「何も?」
「ああ」
カインは額に手を当てる。
「気づいたら、森の中で一人になっていた。それから……」
そこまで言って、言葉を止める。
「……それ以上は、何も」
「そうですか……」
ルルシルは静かに頷いた。
カイン本人にも、何が起きたのか分からない。
そのことが、かえって不気味だった。
その時――。
「君たち!」
遠くから声が響いた。
ルルシルとアルクスレイブンが同時に顔を上げる。
木々の向こうから、複数の足音が近づいてくる。
「こちらです!」
「おーい!」
やがて、ノア・リンデルとドミニクの姿が見えた。
ドミニクは誰かを肩に担いでいる。
「お前たち、何をしている!」
ドミニクが声を上げる。
そして、地面に横たわっているカインへ目を向けた。
「……って、殿下!」
ドミニクが目を見開く。
「カイン殿下がいたのか!」
「先生……」
ルルシルが立ち上がる。
「殿下を見つけました」
ノアもすぐにカインへ駆け寄る。
「ご無事ですか?」
「ああ……」
カインが答える。
ノアは安堵したように息を吐いた。
「よかった……」
そして、ドミニクが肩に担いでいる人物へ視線を向ける。
「それから、こちらは?」
「森の中で倒れていたんだ」
ドミニクが答える。
「ナイルさんです」
ルルシルが続けた。
「穢れに侵されていたので、浄化魔法をかけました」
「……穢れに?」
ノアの表情が険しくなる。
「詳しい話は、テントへ戻ってから聞きましょう」
「はい」
ルルシルたちは、ナイルとカインを連れて森を出ることにした。
◇◇◇
テントへ戻ると、そこには教師たちとローガン、ガルシアが集まっていた。
ルルシルたちの姿を確認すると、全員が一斉に立ち上がる。
「殿下!」
ローガンがカインへ駆け寄る。
「ご無事でしたか」
「……ああ」
カインはまだ顔色が悪かったが、意識ははっきりしている。
「ひとまず、こちらへ」
教師に支えられながら、カインは用意された寝台へ横になった。
その隣では、ナイルも治療を受けている。
「まず、何があったのか話してもらえますか?」
ノアがルルシルたちを見る。
ルルシルとアルクスレイブンは、森で起きたことを順番に説明した。
カインとはぐれたこと。
森でナイルと出会ったこと。
ナイルが穢れに侵され、ルルシルを襲ったこと。
その後、ナイルから石が見つかったこと。
そして、カインを連れた謎の男が現れたこと。
男はカインを返したあと、姿を消したこと。
「その男について、何か分かることは?」
ローガンが尋ねる。
「それについては……」
ルルシルが答えようとした時だった。
「……う……」
寝台の方から、小さな声が聞こえた。
全員が振り返る。
ナイルが、ゆっくりと目を開けていた。
「意識が戻ったか!」
ドミニクが嬉しそうに声を上げる。
ルルシルがナイルのそばへ歩み寄る。
「大丈夫ですか?」
「……ここは……?」
「テントです」
ナイルはぼんやりと周囲を見渡した。
やがて、自分の手を見つめる。
「……僕は……」
「森で倒れていたんです」
ノアが静かに告げる。
「あなたには、いくつか聞きたいことがあります」
ナイルの顔が強張った。
「……はい」
「まず、あの森で何があったのか話してください」
ナイルはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「僕は……ルルシル様を探していました」
ルルシルが目を伏せる。
「どうして?」
「……手紙を、ずっと送っていました」
ナイルの声が震える。
「僕の気持ちを知ってほしくて……」
カインの眉がぴくりと動いた。
けれど、まだ何も言わない。
「ある日、図書室の本に……メモが挟まっていたんです」
「メモ?」
ローガンが尋ねる。
「はい」
ナイルは頷いた。
「そこには、僕の願いを叶える方法が書かれていました」
「誰が書いたものかは分かりますか?」
「分かりません」
ナイルは首を横に振る。
「名前はありませんでした」
「その相手と、直接会ったことは?」
「……ありません」
「では、どうやってやり取りを?」
「本に挟まれたメモを通してです」
ナイルは答えた。
「何度か、同じ場所にメモが挟まっていました」
「そして、何を言われたのですか?」
「……石を探せ、と」
ナイルは両手を握りしめる。
「学園のどこかに隠されているから、それを見つければいいと言われました」
「石を持っていれば、どうなると?」
「……願いが叶う、と」
テントの中に沈黙が落ちる。
「僕は……信じました」
ナイルは俯いた。
「ルルシル様に、僕を見てもらいたかった」
「それで、石を探したのですね?」
「はい」
「誰かに渡されたのですか?」
「いいえ」
ナイルは首を横に振る。
「自分で探しました」
「学園のどこにあったのですか?」
「……それは、メモに書かれていました」
ナイルは震える声で続ける。
「言われた場所を探して……見つけました」
ローガンが険しい表情を浮かべる。
「では、石を手に入れたあと、誰かと会ったことは?」
「……いいえ」
「メモの相手とは?」
「会っていません」
ナイルは首を横に振った。
「最後まで、メモだけでした」
「では、森にいたあの男は?」
ナイルの顔が強張った。
「……男?」
「カイン殿下を連れていた男です」
「知りません」
ナイルははっきりと答えた。
「僕は……その男は知りません」
ルルシルとアルクスレイブンが顔を見合わせる。
ナイルが嘘をついているようには見えなかった。
ノアが手にしていたものへ視線を落とした。
それは、黒い炎によって封印された石だった。
森でナイルから見つかったものだ。
ノアは石を見つめたあと、ナイルへ視線を戻す。
「ランゲスさん」
「……はい」
「これが、あなたが探した石ですか?」
ノアが封印された石を見せる。
ナイルは石をじっと見つめた。
しばらくして、ゆっくりと頷く。
「……はい。それです」
ノアの表情が変わった。
「そうですか……」
ノアは石を慎重に見つめる。
濁った色をした石。
その周囲には、レグロナグラによって施された封印が残っている。
「これは、穢れ石です」
「穢れ石……?」
ナイルが目を見開く。
「はい」
ノアは静かに答えた。
「強い穢れを帯びた石です。魔力を持つ者が長く触れていれば、精神に影響を及ぼす危険があります」
「……そんな」
ナイルの顔から血の気が引いていく。
「僕は……そんなものだとは……」
「知らなかったのでしょうね」
ノアは石から視線を離さない。
「ですが、誰かがあなたにこれを探させたことに変わりはありません」
ナイルは俯いた。
「……はい」
しばらく、誰も口を開かなかった。
そんな中、カインがゆっくりと身体を起こす。
「……お前」
低い声に、ナイルが顔を上げる。
「ルルシルに毎日手紙を送っていたのも、お前だったのか?」
「……はい」
ナイルは小さく頷いた。
カインの表情が一気に険しくなる。
「ルルシルのストーカーはお前だったのか!」
「殿下……」
ルルシルが止めようとする。
けれど、カインの怒りは収まらなかった。
「人の婚約者に、よくそんなことができたな!」
声がテントの中に響き渡る。
ナイルは何も言い返さなかった。
「毎日毎日、気味の悪い手紙を送りつけて……!」
「申し訳ありません……」
ナイルは深く頭を下げる。
「僕は……ただ、ルルシル様に気持ちを分かってほしくて……」
「だからって――」
その時だった。
「カイン様!」
テントの入口から、声が響いた。
全員が振り返る。
そこにはキリカとエミリーが立っていた。
二人ともドミニクに連れてこられたようだった。
「エミリーさん……?」
ルルシルが目を向ける。
エミリーはカインの姿を確認すると、すぐに駆け寄った。
「カイン様!」
そのままカインへ抱きつく。
「よかった……!本当に心配したんですから……!」
「……エミリー」
カインは驚いたように目を見開いた。
けれど、すぐに表情を和らげる。
「心配かけたな」
「……はい」
エミリーはカインの胸元に顔を埋めた。
ルルシルは、その様子を黙って見ていた。
何も言わない。
「ルルシル様……」
キリカがルルシルへ視線を向ける。
エミリーはカインを見つめる。
「カイン様、ご無事で良かったです」
「ああ」
カインは頷いた。
その様子を見ていたアルクスレイブンが、少し困ったように口を開く。
「エミリー嬢」
「……はい?」
「いまは、やめてくれないか?」
エミリーが顔を上げる。
「……え?」
「場の空気を読んでくれ」
アルクスレイブンの声は、いつになく冷たかった。
「今は、そういう状況じゃない」
エミリーの表情が固まる。
「……すみません」
ガルシアも腕を組んだまま、冷ややかな目をエミリーへ向ける。
「俺も同感だ」
「……」
エミリーはしょんぼりと俯いた。
テントの中に、重い沈黙が落ちる。
その空気を変えるように、ローガンが口を開いた。
「今回の野外合宿は、ここで切り上げた方がいいでしょう」
全員がローガンを見る。
「犯人が学園に出入りできる人間である可能性が高い」
ローガンは、ノアが持つ穢れ石へ視線を向けた。
「学園内に穢れ石が隠されていた以上、外部の人間だけを疑うことはできません」
「確かに」
ノアも頷く。
「これ以上、生徒たちをこの場所に留めておくのは危険です」
「生徒たちの安全を最優先にしましょう」
ドミニクも同意する。
「学園長にも早く知らせないとな」
ガルシアも頷いた。
ローガンは一同を見渡した。
「野外合宿は予定を繰り上げて終了する」
誰も反対しなかった。
野外合宿の続行よりも、生徒たちの安全を優先する。
それが、この場にいる全員の結論だった。
◇◇◇
翌朝。
まだ朝日が昇ったばかりだというのに、拠点には慌ただしい空気が流れていた。
予定より早い帰還が決まったため、生徒たちは急いで荷物をまとめている。
「こんなに早く帰ることになるなんて……」
「何があったのか、結局よく分からないね」
「カイン殿下が見つかったのは良かったけど……」
あちらこちらで、そんな声が聞こえてくる。
ルルシルも荷物をまとめていた。
「ルルシル様、片付いた?」
キリカがテントの入り口から、ルルシルに声をかけた。
「えぇ、今行きます」
ルルシルは最後にテントの中を見渡した。
三泊四日の予定だった野外合宿。
本来なら、今日も班ごとの活動が続くはずだった。
けれど――。
今回の事件によって、すべての予定が変わってしまった。
テントの外へ出ると、すでに生徒たちは集合を始めている。
アルクスレイブンも、少し離れた場所に立っていた。
その隣にはレグロナグラがいる。
『終わったな』
「ああ」
アルクスレイブンが森を振り返る。
朝の光に照らされた森は、昨夜とはまるで違って見えた。
けれど、ルルシルには分かっていた。
あの森で起きたことは、まだ終わっていない。
穢れ石。
傷つけられた精霊。
ナイル。
そして、姿を消した謎の男。
まだ、何も分かっていない。
「ルルシル様」
キリカが声をかける。
「そろそろ馬車へ行きましょう」
「はい」
ルルシルは頷いた。
森へ向けていた視線を戻す。
「……行きましょう」
生徒たちは教師たちに誘導され、次々と馬車へ乗り込んでいく。
やがて、最後の荷物が積み込まれた。
「出発します!」
御者の声が響く。
馬車がゆっくりと動き始めた。
窓の外に、野外合宿で過ごした森が少しずつ遠ざかっていく。
ルルシルは、その景色を静かに見つめていた。
三泊四日のはずだった野外合宿は、予定より早く幕を閉じた。




