第四十一話 第二拠点へ【後編】
第二拠点に着く頃には、周囲に他の班の姿は見当たらなくなっていた。
森の中はすっかり薄暗くなっている。
何度も休憩を挟みながら、それでもなんとか歩みを進め、ようやく第二拠点の入り口へ辿り着いた。
そこには、ノアが立っていた。
「……遅かったですね」
ノアは五人の姿を確認すると、ほっとしたような、それでいて心配そうな表情を浮かべた。
「あなたたちが最後ですよ」
「すみません」
ルルシルが頭を下げる。
すると、カインが苛立ったようにナイルへ視線を向けた。
「……ナイルのせいだな」
「カイン殿下……」
「やっぱり、最初から辞退すべきだったんじゃないか?」
ナイルの表情が曇る。
しかし、ルルシルが静かに口を開いた。
「誰のせいでもありません」
「ルルシル?」
「第二拠点には着けたのですから、今日はここまで来られたことを大切にしましょう。明日、少しずつ巻き返せばいいのです」
カインは不満そうに眉を寄せる。
「……やけにナイルを庇うな?」
「え?」
「なんなんだ?」
その言葉に、ルルシルが僅かに目を見開く。
キリカが呆れたように口を挟んだ。
「殿下は口ばかりで、改善策を何も出さないじゃない」
「何だと?」
「ナイルさんの体調が悪いならどうすればいいか考えるのが先でしょう。人に当たり散らさないでよ!」
「二人とも」
ノアが小さく咳払いをした。
カインとキリカが口を閉じる。
ノアは五人を見渡した。
「少し確認したいことがあります」
「はい」
ルルシルが答える。
「今回の野外合宿で、皆さんに課されていることは何ですか?」
突然の問いに、五人は顔を見合わせた。
ルルシルが少し考えてから口を開く。
「第三拠点まで班員全員で向かうこと。そして、途中に設定された課題をこなしながら、班で行動することです」
「それだけですか?」
ノアが尋ねる。
「……班員全員で協力し、安全に行動すること」
ルルシルが付け加えた。
「そうですね」
ノアは頷いた。
「この野外合宿で一番大切なのは、皆さんが無事に戻ってくることです。そして、そのために五人で考え、協力して行動することが課題でもあります」
ノアの表情が少し厳しくなる。
「今の皆さんを見ていると、正直に言って、この班がもし本当に立ち入り禁止区域に入ったら全滅すると思います」
「……」
五人の間に沈黙が落ちた。
「統率が取れていません」
ノアはカインを見る。
「特に、カイン王太子殿下」
「……」
「あなたはこの班をまとめて、皆を引っ張る立場にあるのではありませんか?」
「……分かっている」
カインが低く答えた。
ノアは続けてエミリーを見る。
「エミリーさんも、優れた能力を持っていますよね」
「はい……」
「なら、ヴェリテ嬢に任せきりにせず、自分の力を使ってください」
エミリーは小さく頷いた。
「ランゲスさんの体調不良はアクシデントです。それをどう受け止め、どう切り抜けるかを班員全員で考えることが一番大切なんですよ」
ノアの言葉に、五人は黙って聞いている。
「昨日、この班はヴェリテ嬢とランゲスさんに勝手な行動をするなと言っていませんでしたか?」
「……」
誰も答えなかった。
昨日、森へ入ったルルシルとナイルを責めたのは自分たちだった。
けれど今は、班員の一人が体調を崩したことで、互いに責任を押しつけ合っている。
その事実を、五人とも理解していた。
「よく考えてくださいね」
ノアはそれだけ言うと、少し表情を和らげた。
「今日はもう遅いです。第二拠点に到着できたのですから、まずは身体を休めることを考えましょう」
「はい」
ルルシルが頷く。
そして、四人を見渡した。
「今日は、ここから少し進んだところで休みませんか?」
キリカが頷く。
「そうね。第二拠点の中でも、もう少し落ち着いて休める場所を探しましょう」
「……」
カインとエミリーは何も言わなかった。
ナイルが小さく頷く。
「はい」
五人は再び歩き始めた。
今度は誰も先を急ごうとはしなかった。
薄暗くなった森の中を、五人はゆっくりと進んでいった。
しばらく歩いたところで、五人はようやく休めそうな場所を見つけた。
周囲を確認してからテントを張り、焚き火を起こす。
火が安定すると、五人は簡単な夕食を用意した。
けれど、食事の間も会話はほとんどなかった。
必要なことだけを話し、それ以外は誰も口を開かない。
夕食を食べ終えても、誰一人として立ち上がろうとはしなかった。
焚き火の炎だけが、五人の顔をぼんやりと照らしている。
しばらくして、キリカが一番に口を開いた。
「……ルルシル様、ナイルさん」
キリカは二人を交互に見る。
「昨日は、私……言いすぎたわ」
ルルシルが顔を上げる。
「班員のことを思っての行動だったのに……責めるような言い方をしてしまって」
「キリカさん……」
ナイルも驚いたようにキリカを見る。
ルルシルとナイルは、顔を見合わせた。
「いいえ」
ナイルが静かに首を振る。
「僕も、ルルシル様も、誰かに一言言っていくべきだったと思います」
ルルシルも頷いた。
「私もそう思います」
昨日のことを思い返す。
自分たちは、班員に伝えることなく森へ入った。
たとえ結果的に精霊たちを助けることができたとしても、班として行動する以上、伝えるべきだった。
「これからは、気をつけましょう」
ルルシルがそう言うと、キリカも小さく頷いた。
「うん」
しばらく沈黙が続いた。
すると、今度はエミリーが俯いたまま口を開いた。
「……私も」
三人の視線がエミリーへ向く。
「私も、おしゃべりしてばかりで……深く考えずに行動してました」
エミリーは膝の上で手を握った。
「班で行動するって、こういうことなんですね……」
誰もすぐには答えなかった。
カインだけは、ずっと黙ったままだった。
ルルシルはそんな四人の顔を見渡した。
そして、ふっと微笑む。
「明日からは、皆さん思うことがあったら、その都度話し合いませんか?」
キリカが顔を上げる。
「そうね」
エミリーも頷いた。
「はい。私もそうしたいです」
ナイルも小さく笑った。
「僕も……今日はしっかり眠れると思います」
その言葉に、少しだけ空気が和らいだ。
「カイン様?」
エミリーが隣に座るカインを見る。
カインはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……分かった」
エミリーの表情がぱっと明るくなる。
「よかった」
そして、嬉しそうに笑った。
「明日が楽しみですね」
焚き火の炎が、静かに揺れていた。
◇◇◇
夜は深くなっていた。
ルルシルはテントのベッドに横たわり、静かに目を閉じていた。
第一拠点で過ごした夜とは、どこか違う。
同じように結界の中にいるはずなのに、第二拠点には張り詰めた空気が漂っている。
静かなのに、どこか落ち着かない。
ルルシルは、その違和感を肌でひしひしと感じていた。
そして――精霊たちも。
普段なら、夜になっても姿を見せる精霊たちの気配がほとんどない。
姿を隠しているのか、それとも怯えているのか。
精霊たちの声も聞こえない。
かすかに感じる気配には、怯えだけではない。
どこか殺気立ったものまで混じっている。
ルルシルがそっと辺りを見渡す。
その時だった。
『ルルシル……』
髪の中から、小さな声が聞こえた。
「……どうしました?」
ルルシルが囁く。
すると、髪の隙間から花の精霊が、ぷはっと顔を出した。
『ここ……怖いね』
花の精霊は周囲を気にするように、きょろきょろと辺りを見回す。
『みんな怯えてるの』
「そうですね……」
ルルシルは花の精霊をそっと手のひらに乗せた。
小さな身体を両手で包み込むようにして、安心させる。
「大丈夫ですよ」
ルルシルは優しく微笑んだ。
「私がここにいますから」
花の精霊は、ルルシルの手の中で小さく身を寄せた。
けれど、テントの外から感じる張り詰めた気配は、消えることがなかった。
◇◇◇
翌朝。
五人は第二拠点を出発していた。
森の中は、白い霧に包まれている。
少し先を歩くルルシルの姿さえ、霧の向こうへぼんやりと消えてしまうほど濃い。
「なんだか……怖いですね」
エミリーが不安そうに周囲を見渡す。
「エミリー、手を離すなよ」
カインがエミリーの手を握る。
「はい、カイン様」
二人の姿を確認しながら、ルルシルは静かに辺りを見渡した。
「……悪い気配はしません。大丈夫だと思います」
「本当?」
キリカが尋ねる。
「はい。少なくとも、今のところは」
けれど、霧が濃すぎる。
五人は互いの姿を確認するため、自然と近くに集まって歩くことになった。
隣同士にいなければ、誰がどこにいるのか分からないほどだった。
「これでは、なかなか進めませんね」
ナイルが困ったように呟く。
ルルシルは少し考えると、杖を取り出した。
「少し待ってください」
杖を構え、魔法を唱える。
すると、五人の周囲を覆っていた霧がゆっくりと薄くなった。
「わあ……」
エミリーが驚いた声を上げる。
「これなら、少し見やすくなりましたね」
「はい。ただ、この魔法は簡易魔法です。長時間は維持できません」
ルルシルは荷物を開け、一本のロープを取り出した。
「これをみんなで持って進みましょう」
「ロープ?」
キリカが首を傾げる。
「はい。先頭の私が身体に結びますから、皆さんはこれを握ってついてきてください」
ルルシルはロープの端を自分の身体に結ぶ。
「これなら、霧で姿が見えなくなっても、離れてしまうことはありません」
「なるほど」
キリカがロープを手に取る。
エミリー、ナイルも続いてロープを握った。
カインも無言で手に取る。
「では、行きましょう」
ルルシルが先頭を歩き始めた。
五人は一本のロープで繋がりながら、霧の中を進んでいく。
しばらく歩くと、少しずつ霧の向こうに道が見え始めた。
「もう少し歩けば、第三拠点の入り口よね?」
キリカが尋ねる。
「そうだと思います」
ナイルが答えた。
「みんな、いるわよね?」
キリカが後ろを振り返る。
「大丈夫です!」
エミリーが答える。
「僕もいます」
ナイルも答えた。
「カイン様?」
エミリーが呼びかける。
「……」
返事がない。
「え?」
エミリーが振り返る。
キリカも、ナイルも足を止めた。
「カイン殿下?」
しかし、返事はない。
ルルシルはすぐにロープを確認した。
その先には――誰もいない。
「……」
ルルシルの表情が変わった。
「少し待ってください」
杖を構える。
先ほどと同じように魔法を使い、五人の位置を確認しようとした。
しかし――。
バチンッ。
「……!」
魔石に流し込んだ魔力が弾かれた。
「魔法が……」
ルルシルが驚いたように杖を見る。
キリカも杖を取り出した。
「私もやってみるわ」
魔力を流す。
しかし、同じように弾かれた。
「どういうこと?」
キリカが戸惑う。
エミリーとナイルも試してみる。
けれど、二人の魔法も発動しなかった。
「魔法が使えない……?」
エミリーが不安そうに呟く。
「カイン様はどこに!?」
エミリーの声が震える。
ルルシルは霧の向こうを見つめた。
胸の奥に、嫌な感覚が広がっていく。
けれど、今は慌ててはいけない。
「落ち着いてください」
ルルシルが三人を見る。
「もう少し進めば第三拠点です。先生方もいらっしゃいます」
「でも、カイン殿下が……」
「殿下も、もしかしたら先に行かれたのかもしれません」
ルルシルはそう言い聞かせるように続けた。
「ここで立ち止まっているより、まずは第三拠点へ向かいましょう」
キリカは不安そうに霧の向こうを見る。
「……そうね」
「急ぎましょう」
四人は再び歩き始めた。
霧の中を、先へ進む。
どれほど歩いたのか分からない。
やがて、霧の向こうに人影が見えてきた。
「……誰かいます!」
ナイルが声を上げる。
近づいていくと、そこにはドミニクが立っていた。
「おお! 来たか!」
ドミニクが四人の姿を確認する。
「遅かったな。無事で――」
そこで、ドミニクの表情が止まった。
「……あれ?」
四人しかいない。
「お前たち、五人だったよな?」
その言葉に、エミリーが顔を青ざめさせる。
「……カイン様が」
ドミニクの表情が一気に険しくなった。
「殿下が、いないのか?」
四人は、何も答えられなかった。




