第四十一話 第二拠点へ【前編】
翌朝。
ルルシルは、薄い朝の光を感じて目を覚ました。
テントの中はまだ静かだった。
隣を見ると、エミリーもキリカもまだ眠っている。
二人を起こさないように身支度を整えると、ルルシルはそっとテントの外へ出た。
ひんやりとした朝の空気が頬を撫でる。
第一拠点は、まだ眠りから覚めたばかりのように静かだった。
その中で、焚き火の爆ぜる音が小さく聞こえてくる。
ルルシルが音の方へ目を向けると、焚き火のそばにナイルがいた。
鍋を火にかけ、何かを作っている。
「ルルシル様、おはようございます」
ルルシルに気づいたナイルが振り返った。
「ナイルさん、おはようございます。早いですね」
「はい。少し早く目が覚めまして」
そう答えたナイルの顔を見て、ルルシルは僅かに眉を寄せた。
目の下には濃い隈ができている。
顔色もあまりよくない。
「……ナイルさん、大丈夫ですか?」
「え?」
「少し、お疲れのように見えます」
「ああ……」
ナイルは自分の目元に触れ、困ったように笑った。
「昨日の昼間のことが頭から離れなくて……」
「蜘蛛の精霊のことですか?」
「はい」
ナイルは鍋へ視線を戻した。
「夜も何度か夢に出てきて……うなされてしまったみたいで」
「まあ……」
「はは……。情けないですよね」
ナイルは苦笑する。
「眠れなくなってしまったので、せっかくならと思って、みんなの朝食を作ることにしたんです」
鍋からは、温かな湯気が立ち上っていた。
「そうだったのですね」
ルルシルは鍋を覗き込む。
「何を作っているのですか?」
「野菜と干し肉を使ったスープです。朝は温かいものの方がいいかなと思って」
「美味しそうですね」
「本当ですか?」
ナイルの表情が少し明るくなる。
「よかった……。昨日は結局、野草を探しに行っただけになってしまいましたから」
「そんなことはありませんよ。私も勉強になりました」
「ありがとうございます」
ナイルが嬉しそうに笑う。
「でも、ナイルさん」
「はい?」
「無理はしないでくださいね」
「……はい」
ルルシルの言葉に、ナイルは素直に頷いた。
「では、私もお手伝いします」
「えっ? そんな、ルルシル様にそんなことをしていただくわけには――」
「同じ班なのですから、一緒に準備しましょう」
「……はい」
二人は並んで朝食の準備を始めた。
ルルシルが器を用意し、ナイルが鍋の中を確認する。
朝の静かな時間に、焚き火の音だけが小さく響いていた。
その時だった。
「……また二人でいたのか?」
背後から、低い声が聞こえた。
ルルシルが振り返る。
そこには、眠そうな顔をしたカインが立っていた。
「カイン殿下、おはようございます」
ナイルが慌てて頭を下げる。
「おはようございます」
ルルシルも挨拶をする。
しかし、カインは二人を見たまま眉を寄せていた。
「お前、婚約者がいるのによく他の男と二人きりになれるな」
「……え?」
ナイルが目を瞬かせる。
ルルシルも思わずカインを見る。
「朝食の準備をしていたのです」
「それでもだ」
カインは不機嫌そうに言った。
「婚約者がいる身なら、他の男と二人きりになるようなことは少し考えろよ」
その言葉に、 ルルシルは困ったように黙り込む。
――その言葉を、あなたが言うのですか。
そんな空気が、その場に流れた。
「ナイルさんは早く起きて朝食を作ってくださっていたので、私がお手伝いしていただけです」
「だったら、わざわざ二人でやる必要ないだろ」
「……カイン殿下」
ルルシルは静かにカインを見る。
「私たちは、同じ班なのですよ」
「だからって――」
「朝から何を騒いでいるの?」
テントの方から声がした。
振り返ると、キリカが眠そうな顔でこちらへ歩いてくる。
その後ろにはエミリーもいた。
「おはようございます」
エミリーが小さく欠伸をしながら挨拶する。
「おはようございます、エミリーさん」
ルルシルが微笑む。
「朝食、もうできてますよ」
ナイルが鍋を指差した。
「スープを作ってみました」
「わあ、ありがとうございます!」
エミリーが嬉しそうに声を上げる。
キリカも鍋を覗き込んだ。
「朝からちゃんと作ったのね」
「あ、いや……」
ナイルは少し苦笑した。
「実はあまり眠れてなくて」
「え?」
キリカがナイルの顔を見る。
「ちょっと、顔色悪くない?」
「大丈夫です」
「大丈夫そうには見えないけど」
「まあまあ。とりあえず朝食にしましょう」
エミリーが穏やかに声をかける。
五人は焚き火を囲んで朝食を取った。
温かなスープが身体に染み渡り、昨日の疲れが少しずつ和らいでいく。
朝食を終えると、出発の準備が始まった。
「では、テントを片付けましょう」
ルルシルが立ち上がり、魔法を唱えると、女子用のテントが淡い光に包まれる。
テントが、次々と折り畳まれ、元のコンパクトな状態へ戻っていく。
「さすがね」
キリカが感心したように言う。
男子用のテントも片付けられ、五人は荷物をまとめた。
その頃、第一拠点のあちこちから教師たちの声が響き始めた。
「各班、準備ができたところから集合場所へ!」
「忘れ物がないか確認しろ!」
「出発前に班員を確認するように!」
ノアたち教師が、生徒たちを集合させていく。
ルルシルたちも班員全員が揃っていることを確認し、集合場所へ向かった。
そこには、すでに多くの生徒たちが集まっていた。
これから始まる班行動を楽しみにしているのか、あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。
ドミニクが前へ出た。
「よし、全員揃ったな!」
生徒たちが静かになる。
「ここからは班ごとに行動する! 各班、昨日説明した通り第三拠点を目指せ!」
生徒たちの間から、小さな歓声が上がった。
「途中では第二拠点を経由することを忘れるな! 第二拠点までは比較的安全な区域だが、それでも気を引き締めて行け!」
生徒たちは、それぞれの班へ戻っていく。
ルルシルたちも五人で集まった。
「それじゃあ、行きましょうか」
キリカが声をかける。
「はい」
ルルシルが頷いた。
ナイルも荷物を背負い直す。
「第二拠点では、周辺の植物も少し見られるでしょうか……」
「ナイルさん、無理はしないでくださいね」
「気をつけます」
ナイルが苦笑する。
その様子を見ていたカインが、小さく息を吐いた。
「……とにかく、早く行こう」
「そうね。じゃあ行きましょう」
五人は歩き出した。
第一拠点を出ると、森の中へ続く道が見えてくる。
ここからは、それぞれの班が別々の道を進む。
ルルシルたちも第二拠点を目指し、森の奥へと歩を進めていった。
◇◇◇
森の中へ入ると、道は次第に細くなっていった。
ルルシルとキリカは自然と歩みが早くなり、少し前を歩いている。
一方、後ろではカインとエミリーが並んで歩いていた。
二人は相変わらず楽しそうに話している。
キリカはそんな二人を横目で見てから、隣を歩くルルシルへ視線を向けた。
「ねえ、ルルシルさん」
「はい?」
「あれ……あなたはなんともないの?」
キリカがちらりと後ろを見る。
ルルシルも一瞬だけ振り返った。
カインとエミリーの姿が目に入る。
「……考えないようにしています」
「そうなの?」
「殿下が決められたことですから」
ルルシルは小さく苦笑した。
「私が口を出すことではありません」
「えぇー……」
キリカが思わず声を漏らす。
「私には考えられないわ。婚約者が、すぐ隣で別の女とあんなに仲良くしているのよ?」
「……」
「王族の婚約者って大変なのね」
「そうですね」
ルルシルは苦笑するだけだった。
キリカは少し考えるように黙ったあと、また後ろを振り返った。
「でも、あなたに務まらないなら、エミリーさんなんて王妃になんてなれないでしょ?」
そう言って、キリカは肩をすくめる。
ルルシルは少し驚いたように目を瞬かせた。
「……そんな。エミリーさんは努力家ですから、きっと大丈夫ですよ」
「そうかしら」
キリカはどこか納得していない様子だった。
二人がそんな話をしていた、その時だった。
「――ドサッ」
後ろから、何かが倒れるような音がした。
「え?」
ルルシルとキリカが同時に振り返る。
そこには、膝をついたナイルの姿があった。
「ナイルさん!」
ルルシルとキリカが駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「すみません……」
ナイルは額に手を当てながら、苦しそうに笑った。
「少し、目眩がしてしまって……」
「まあ……」
ルルシルが心配そうに顔を覗き込む。
「少し休みましょう」
「すみません。少しだけ休んでもいいですか?」
「もちろんです」
ルルシルが答えた。
しかし、その様子を見ていたカインが眉をひそめる。
「おいおい、まだ全然進んでないぞ」
「カイン様」
エミリーが咎めるようにカインを見る。
「ナイルさん、しんどそうですよ」
カインは罰の悪そうな顔をする。
「……」
「みんなで休みましょう」
「……分かったよ」
カインは渋々頷いた。
ルルシルは周囲を見渡し、近くにある木の根元を見つける。
「ナイルさん、こちらへ」
「はい……」
ルルシルはナイルを木の根元へ座らせた。
「少し失礼しますね」
そう言って杖を取り出す。
杖の先から淡い光が生まれ、ナイルの身体を包み込んでいく。
簡単な回復魔法だった。
「……ありがとうございます」
ナイルが小さく息を吐く。
「すみません。僕のせいで……」
「謝らなくていいですよ」
ルルシルは穏やかに微笑んだ。
そこへキリカも腰を下ろす。
「まあ、仕方ないわよね」
キリカはナイルを見る。
「昨日あんなことがあったんだもの。魔物に襲われたら、みんな不安になるのが当たり前よ」
「ありがとうございます……」
ナイルは申し訳なさそうに頭を下げた。
するとエミリーが周囲を見ながら口を開く。
「でも……昨日計画していた予定より、だいぶ遅れていますね」
その言葉に、カインの表情が険しくなる。
「……そうだな」
カインはナイルを見る。
「ナイル、辞退したらどうだ?」
「え……」
ナイルが目を見開く。
「殿下」
ルルシルが静かにカインを見る。
「まだ始まったばかりです。時間にも余裕があります」
「でも――」
「辞退はしなくても大丈夫です」
ルルシルはナイルへ視線を向けた。
「先ほど回復魔法も行いました。少しは身体が楽になっているはずです」
「はい……。だいぶ楽になりました」
ナイルが頷く。
「なら、無理に辞退させる必要はないでしよ?」
キリカがカインを見る。
「それに、殿下とエミリーさんだって、ゆっくり歩いてるんだから、ナイルさんのこと悪く言えないわよ」
「なっ……」
カインが言葉を詰まらせる。
エミリーも少し困ったような顔をした。
「キリカさん……」
「事実でしょう?」
キリカは肩をすくめる。
その場に、なんとも言えない空気が流れた。
先ほどまでの穏やかな雰囲気は消え、班の間にぎこちない沈黙が落ちる。
「……あの」
ナイルが慌てて立ち上がった。
「もう、十分休みました」
「ナイルさん」
「本当に大丈夫です。もう出発できます」
ナイルは心配をかけまいと、無理に笑った。
ルルシルはそんなナイルの顔をじっと見つめる。
まだ少し顔色は悪い。
それでも、本人が歩けると言うのなら――。
「……分かりました」
ルルシルは立ち上がった。
「では、ゆっくり進みましょう」
五人は再び歩き始めた。
けれど、先ほどまでとは違う空気が、班の中に残っていた。




