第四十話 第一拠点の夜【前編】
「それでは、授業を始めるぞ」
夕暮れの第一拠点に、ドミニクの声が響いた。
生徒たちは敷物の上に腰を下ろし、前方に立つドミニクへ視線を向ける。
「今日の授業は、フィオレイン王国の歴史と、魔物についてだ」
その言葉に、生徒たちの表情が少し引き締まった。
「まずは二百年前の話から始めよう」
ドミニクはゆっくりと話し始めた。
「当時、フィオレイン王国の南にあるミルベラ王国では、ある異変が起きていた」
生徒たちは静かに耳を傾けている。
「当時のミルベラ国王が、魔物に操られていたんだ」
ルルシルは黙って聞いていた。
「国王は次第に精霊を敵視するようになり、国内にいる精霊たちを大量に殺し始めた」
生徒たちの間に、僅かなざわめきが起こる。
「殺された精霊たちの血は国王によってルミナス川へ流されたんだ」
ルルシルは静かに目を伏せた。
ルミナス川。
フィオレイン王国とミルベラ王国の間を流れる、大陸を南北に繋ぐ大河。
かつては多くの精霊が暮らす、神聖な川だった。
「川は穢れ、多くの精霊がその穢れに侵された。そして、一部の精霊は自我を失い、魔物へと変わっていった」
ドミニクの声が低くなる。
「魔物は次第に増え、ミルベラ王国内だけでは収まらなくなった。国境を越えてフィオレイン王国へも被害が広がったんだ」
生徒の一人が手を挙げた。
「フィオレイン王国は、そのときどうしたんですか?」
「まずはミルベラ王国へ停止を求めた」
ドミニクが答える。
「精霊の殺害をやめること。そして、これ以上穢れを広げないことだ」
しかし――。
「ミルベラ国王は、それを拒んだ」
生徒たちが息を呑む。
「国王は魔物に操られたまま、精霊への攻撃を続けた」
ルルシルの表情が僅かに曇る。
「その間にも、ルミナス川は穢れ続けた。魔物の被害も増え、フィオレイン王国側の町や村まで襲われるようになった」
ドミニクは生徒たちを見渡した。
「そこでフィオレイン王国は、自国の民と精霊を守るため、ミルベラ王国へ軍を派遣した」
それが、二百年前の戦争の始まりだった。
「つまり……フィオレイン王国がミルベラ王国を攻めたというより、魔物の被害を止めるために動いたんですね」
エミリーが呟く。
「そうだ」
ドミニクは頷いた。
「戦争は長く続いた。穢れによって生まれた魔物との戦いも同時に続いていたからな」
そして、その戦いの中で――。
「この地を守ったのが、当時のエーベルハイト家だ」
ドミニクが、少し離れた場所に立つローガンへ目を向ける。
「初代エーベルハイトは土の高位精霊と契約し、国境へ押し寄せる魔物からフィオレイン王国を守った。その功績によって辺境伯の爵位を与えられた」
ローガンは何も言わず、静かに授業を聞いている。
「やがてフィオレイン王国は戦争に勝利し、ミルベラ王国は大きな被害を受けた」
しかし、戦争が終わったからといって、すべてが元に戻ったわけではなかった。
「戦争が終わっても、穢れたルミナス川は残った」
ドミニクの言葉に、生徒たちの表情が曇る。
「川に残った穢れは完全には消えず、今でもミルベラ王国側の土地から新たな穢れが流れ込んでいる」
だからこそ、二百年経った今も浄化は続いている。
「フィオレイン王国は、二百年前からルミナス川の浄化を続けている。ヴェリテ公爵家がその役目を代々担っているのも、お前たちは知っているだろう」
ルルシルは静かに目を伏せた。
「だが、川は両国にまたがっている。こちら側だけを浄化しても、ミルベラ王国側に残る穢れが再び流れ込んでくる」
それが、二百年経った今も続いている問題だった。
「だからフィオレイン王国は、魔物を討伐するだけではなく、穢れそのものを減らすことを目指している」
ドミニクは生徒たちを見渡した。
「ここで重要なのが、魔物についての考え方だ」
生徒たちは姿勢を正した。
「魔物は危険な存在だ。人間を襲い、命を奪うこともある。だから、魔物と遭遇した場合は自分たちの安全を最優先にしなければならない」
そこで一度、言葉を切る。
「だが、すべての魔物が最初から魔物だったわけではない」
ルルシルの脳裏に、昼間の蜘蛛の精霊たちが浮かんだ。
「穢れに蝕まれた精霊が、魔物へ変わることがある」
ドミニクは続ける。
「だからこそ、まだ魔物化していない精霊なら、浄化して救う。それがフィオレイン王国の基本的な考え方だ」
ルルシルは静かに頷いた。
「だが、魔物化してしまえば浄化はできない。その場合は、討伐するしかない」
ドミニクの表情が厳しくなる。
「助けられるものは助ける。だが、人の命を危険にさらしてまで無理をするわけではない。魔物になった存在を討伐することも、人々を守るために必要なことだ」
誰も口を挟まなかった。
「この考え方は、王国だけのものじゃない。王立魔法学園でも同じだ」
ドミニクは生徒たちを見渡す。
「お前たちが魔法を学ぶのも、精霊について学ぶのも、最終的には人々と精霊を守るためだ」
「そして、フィオレイン王国が最終的に目指しているのが、ルミナス川の完全な浄化だ」
ドミニクが南へ目を向ける。
「いつか再び、精霊たちが安心して暮らせる川を取り戻す。それが王国の願いだ」
授業が終わる頃には、空はすっかり夕暮れに染まっていた。
夕食を終えると、ルルシルたちはテントの前に集まった。
「では、明日の予定を決めましょう」
ルルシルが五人を見渡す。
「明日は私たちの班だけで行動します。第二拠点を経由して、第三拠点を目指すことになりますから、どの道を通るか、休憩の場所や時間も決めておいた方がよいと思います」
「そうね」
キリカも頷いた。
「課題もあるんでしょう? どの課題をいつやるかも決めておきましょう」
「はい」
ルルシルは頷きながら、持ってきた紙に予定を書き込んでいく。
「まず、朝食を取ってから出発して……」
「第二拠点まではどのくらいかかりますかね?」
エミリーが尋ねる。
「今日の移動よりは長くなると思います。ただ、道の状態によって変わるでしょう」
「じゃあ、途中で一度休憩を――」
「もういいだろ」
カインが口を挟んだ。
ルルシルが顔を上げる。
「殿下?」
「そんな細かく決めたって、予定通りになるとは限らないだろ」
カインは面倒そうに息を吐いた。
「明日は第二拠点に寄って、そのまま第三拠点を目指す。それでいいじゃないか」
「でも、課題や休憩の時間は――」
キリカが言う。
「なるようになるだろ」
カインは立ち上がった。
「今日はもう疲れた。早く休もう」
「ちょっと、カイン殿下」
キリカが呆れたように呼び止める。
「班で行動するんだから、最低限の予定くらい決めた方がいいでしょう?」
「別に迷子になるわけじゃないだろ」
「そういう問題じゃないわよ」
キリカが眉を寄せる。
しかしカインは、それ以上話す気はないらしい。
「俺はもう休む」
「カイン様……」
エミリーも少し困ったように声をかける。
「ほら、エミリーも来いよ」
「……はい」
エミリーはカインについてテントへ向かっていった。
残された三人の間に、微妙な沈黙が流れる。
「……あの」
ナイルが遠慮がちに口を開いた。
「僕は、カイン殿下の言うことも少し分かる気がします」
キリカが振り返る。
「ナイルさんまで?」
「いえ、予定を決めるのが嫌というわけではなくて……」
ナイルは慌てて手を振った。
「自然の中だと、予定通りにならないことも多いので。天候や道の状態で変わることもありますし」
「それはそうだけど……」
キリカが考え込む。
ルルシルは二人のやり取りを聞きながら、書きかけの紙に目を落とした。
「でしたら、細かな時間までは決めず、大まかな予定だけにしましょう」
「ルルシルさん?」
「朝食後に出発すること。第二拠点を経由して第三拠点を目指すこと。課題をこなすこと。そして、班から離れる時は必ず声をかけること」
ルルシルは紙に簡単に書き込んだ。
「これだけ決めておけば、あとは状況に合わせて動けると思います」
「そうね」
キリカも頷いた。
「それなら私もいいわ」
「ありがとうございます」
ナイルも頷く。
「僕もそれで大丈夫です」
ルルシルは紙を畳んだ。
「では、明日はそのようにしましょう」
それぞれがテントへ戻っていく。
第一拠点の夜は、静かに更けていった。




