第三十九話 野外合宿一日目【中編】
森へ向かう道は、まだ穏やかだった。
整備された道が続いており、足元もそれほど悪くない。
生徒たちは班ごとにまとまりながら、思い思いに会話を楽しんでいた。
「思っていたより歩きやすいわね」
キリカが隣を歩くルルシルへ話しかける。
「ええ。第一拠点までは、それほど距離もないようですし」
「もっと険しい道を歩くのかと思っていたわ」
「三泊四日ですもの。最初から疲れてしまったら大変でしょうね」
「それもそうね」
二人はそんな他愛のない話をしながら歩いていく。
前方ではカインとエミリーが並んで歩いていた。
「疲れていないか?」
「大丈夫です、カイン様」
「無理するなよ」
「はい。ありがとうございます」
二人の距離は近く、時折顔を見合わせては楽しそうに笑っている。
その様子をキリカはちらりと見た。
けれど、何も言わずに視線を前へ戻す。
少し後ろでは、ナイルが黙々と歩いていた。
余計なことは口にせず、周囲を見ながら一定の歩調を保っている。
周囲を見渡せば、同じように楽しそうに話している生徒たちが多い。
まだ道は険しくない。
魔物の気配も感じられず、先ほどローガンから聞いた話が嘘のように穏やかな森だった。
やがて木々の間から、開けた場所が見えてくる。
「第一拠点です」
先頭を歩いていた教師が声を上げた。
生徒たちの間から歓声が上がる。
そこにはテントを設営するための広い空間が広がっていた。
生徒たちはさっそく、それぞれの班に分かれて場所を決め始める。
ルルシルたちも自分たちの場所を探した。
「ここがいいんじゃないですか?」
エミリーが指差したのは、大きな木の下だった。
「木陰もありますし、ここなら過ごしやすそうです」
「そうね」
キリカが周囲を見渡す。
「では、ここにしましょうか」
ルルシルも頷いた。
五人で場所を決めると、さっそく野営道具を広げる。
テントは男女で分かれて使用することになっていた。
「女子はこちらですね」
エミリーが支給されたテントを取り出した。
「私に任せてください!」
エミリーはそう言うと、テントを地面へ広げた。
そして杖を取り出し、魔力を流す。
淡い光がテントを包み込んだ。
「――えいっ」
魔法が発動すると、折り畳まれていたテントが一気に形を変えていく。
骨組みが自動的に組み上がり、布が大きく広がっていく。
あっという間に、木陰に三人用のテントが完成した。
「完成です!」
エミリーが嬉しそうに振り返る。
「すごいわね」
キリカがテントを見上げる。
「では、中へ入りましょう」
エミリーが入口を開ける。
「えっ……」
中へ入ったエミリーが、思わず声を漏らした。
外から見れば、三人用の小さなテントにしか見えない。
ところが、中へ入ってみると、その広さは外観からは想像できないほどだった。
ゆったりとした空間には三人分のベッドが並び、壁際には荷物を置くための棚まである。
天井には小さなシャンデリアまで吊り下がっていた。
どう見ても、普通のテントとは思えない。
「これ……テントなんですか?」
エミリーが辺りを見回す。
ルルシルは特に驚いた様子もなく、自分の荷物を置いた。
キリカが呆れたように笑う。
「最近の流行りのテントね」
「流行り、ですか?」
「そうよ。魔法で空間を拡張してあるの。外から見ると小さいけれど、中はかなり広いのよ」
「貴族の間で流行っているものなんですか?」
「ええ。野外で過ごす時も、できるだけ快適に過ごしたいっていう人が多いから」
キリカはシャンデリアを見上げる。
「いかに豪華にするかが最近の流行りなの」
「へえ……すごいです」
エミリーは嬉しそうにベッドへ近づいた。
「こんなところで寝られるんですね!」
そして、ルルシルを見る。
「ルルシル様、すごいですね。私、こんなの初めてです」
「そうですか。楽しそうでよかったです」
ルルシルは微笑んだ。
その様子を見ていたキリカは、ほんの少しだけ不満そうに眉を寄せた。
けれど、何も言わず荷物をベッドの横へ置いた。
ルルシルも自分の荷物に手を伸ばした。
「2人とも、私は準備ができたから先に行ってますね!」
エミリーが入り口を指して言う。
「私も行くわ」
キリカが荷物の蓋を閉じる。
「 ルルシル様、ゆっくりでいいから」
「ありがとう。キリカさん」
2人に手を振り、ルルシルは荷物の蓋を開けた。
その時だった。
荷物の隙間から、ふわりと花びらが舞い上がる。
「……?」
花びらはルルシルの目の前を漂うと、次第に一輪の花へと形を変えていった。
現れたのは、小さな花の精霊だった。
『ぷはぁ……! 苦しかったよー!』
精霊は、両手を広げるようにして大きく息を吐いた。
「……まあ」
ルルシルは驚いたように目を瞬かせる。
「着いてきてしまったのですか?」
『そう!』
花の精霊は嬉しそうに頷いた。
『ルルシルと離れるの寂しかったから、お屋敷から着いてきたの〜』
ルルシルは困ったように微笑む。
「ここは魔物が出る場所なのですよ。危険なんですから、勝手についてきてはいけません」
『大丈夫だよ』
花の精霊は胸を張る。
『ルルシルのそばなら安全でしょ?』
「でも……」
『ちゃんと隠れておくから!』
花の精霊は楽しそうに笑った。
ルルシルは小さな精霊を見つめ、それから小さく息を吐く。
「……困りましたね」
そう言いながらも、その声には少しだけ嬉しそうな響きが混じっていた。
「では、私のそばを離れないでくださいね」
『うん!』
花の精霊は嬉しそうにルルシルの肩へ腰掛けた。
外から男子たちの声が聞こえてきた。
「こっちも終わったぞ」
ルルシルは小さな花の精霊をそっとなでる。
「髪に隠れていてくださいね」
『はーい』
精霊は嬉しそうに ルルシルの髪をかき分けた。
ルルシルは微笑み出口に向かった。
◇◇◇
隣には男子用のテントが張られており、カインとナイル、エミリーとキリカが待っていた。
「揃ったか」
カインが声を掛ける。
「そちらも終わったのですね」
「ああ」
カインが頷く。
その横でナイルが荷物を確認していた。
「それじゃあ、僕は火を起こします」
ナイルは支給された着火装置を取り出した。
小さな器具の中央には魔石が埋め込まれている。
魔力を流すと、すぐに小さな炎が上がった。
「それと、薪も少し集めてきます」
「一人で?」
キリカが眉を上げる。
「ええ。近くに落ちているものを拾ってくるだけなので」
ナイルは森の方へ向かおうとした。
「ナイルさん」
ルルシルが呼び止める。
「一人で行動するのは、避けた方がよろしいのでは?」
ナイルが足を止めた。
「あ……そうですね」
ローガンやノアから聞いた注意を思い出したように頷く。
ルルシルは五人を見渡した。
「せっかくですから、昼食までの動きを決めておきませんか?」
「そうだな」
カインも頷いた。
「昼食はどうしますか?」
エミリーがカインに聞く。
「携帯食でいいんじゃないか?」
カインが支給された保存食を取り出す。
「材料もないだろうし」
「野草がありますよ」
ナイルがすぐに答えた。
その表情が、先ほどまでより少しだけ明るくなる。
「食べられるものを探せば、簡単な料理くらいならできます」
「……料理?」
エミリーが目を丸くする。
「はい。こういう場所なら、食材を探すところから楽しめますし」
ナイルの目がわずかに輝いていた。
キリカがそんなナイルを見て、少しだけ呆れたように笑う。
「……ナイルさん、やけに張り切ってるわね」
「え?」
「こういうの、好きなの?」
「……はい」
ナイルは少し照れたように笑った。
「こういう野外で過ごすの、好きなんです」
普段は大人しく目立たないナイルが、珍しく嬉しそうな顔をしている。
ルルシルはそんな彼を見て、微笑んだ。
「それなら、頼りにさせていただきましょうか」
「はい!」
ナイルの元気な返事が響いた直後だった。
「……俺は疲れた」
カインが小さく息を吐いた。
「初日から無理して動く必要もないだろ。昼食は携帯食でいい。俺は少し休む」
「えっ……」
エミリーが戸惑ったようにカインを見る。
「カイン様、お昼は……」
「いらない。腹も減ってないからな」
そう言うと、カインはそのまま男子用のテントへ戻っていった。
「カイン様……」
エミリーはどうしたらいいのか分からない様子で、入口とキリカたちを交互に見つめる。
すると、キリカが小さく息を吐いた。
「まあ、確かに初日だもの。私もあまり体力を使いたくないわ」
そう言って、自分の荷物へ手を伸ばす。
「作りたい人たちで作ればいいんじゃない? 私は昼食はいらないから」
「キリカさん……」
「無理に付き合う必要もないでしょう?」
キリカはそう言うと、女子用のテントへ向かって歩き出した。
エミリーは少し迷ったあと、ルルシルとナイルを見る。
「……私も、二人がそうするなら……」
そして慌ててキリカの後を追った。
「キリカさん、待ってください」
二人がテントの中へ入っていく。
その場に残されたのは、ルルシルとナイルだけだった。
ナイルは、しばらく森の方を見つめていた。
そして――。
「……」
肩を落とした。
先ほどまでの張り切った様子が嘘のようだった。
「ルルシル様……」
申し訳なさそうにルルシルを見る。
「一人で張り切ってしまって、すみません」
「いいえ、そんなことありません」
ルルシルは首を横に振った。
「みんな疲れていたのに、私も気付けませんでした」
「……」
ナイルは何も言わなかった。
しばし、二人の間に静かな時間が流れる。
森を抜ける風が、木々の葉を揺らしていた。
ルルシルは、これからの合宿の予定を思い返した。
二日目からは、五人一組の班ごとに決められた行程を進み、第三拠点を目指すことになっている。
途中では、地図を使った現在地の確認や魔法の実技、鉱物の採取など、班員同士で協力しなければならない課題も用意されている。
第三拠点は演習地の中でも特に危険な区域にあるため、そこでの活動を終えた後は、各班が別々に戻ることはない。
教師たちの先導のもと、全員で第一拠点まで戻る。
つまり、今日のうちに少しでも野外で役立つ知識を身につけておけば、明日からの活動にもきっと役立つ。
ルルシルは森へ視線を向けた。
「今回は保存食で済ませて、野草は探しに行きませんか?」
ナイルが顔を上げる。
「授業の時間まで、まだ時間がありますし。明日からのためにも、食べられるものが少しでも分かっていれば、みんな安心すると思いますよ」
ナイルの表情が、少しずつ明るくなっていく。
「ルルシル様……ありがとうございます」
ルルシルは微笑んだ。
「こちらこそ。よろしくお願いしますね」
ナイルは嬉しそうに頷いた。
どうやら、野外で過ごすことを楽しみにしていた彼にとって、ようやく出番が回ってきたらしい。
二人は保存食を準備すると、森へ入るための荷物を整え始めた。




