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Lumiel Princess〜精霊姫と暁炎の王子〜  作者: 香百杏
第二章 初嵐

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第三十四話 それぞれの朝【後編】

 


 翌朝。


 ヴェリテ公爵家の屋敷は、今日も静かな時間が流れていた。


 コンコン。


 控えめなノックの音とともに、部屋の扉がゆっくりと開く。


「……ルルシル」


 車椅子に腰掛けたエリザが、侍女に押されながら部屋へ入ってきた。


 淡い金色の髪を肩まで流し、どこか儚げな笑みを浮かべている。


 侍女は静かに車椅子をベッドの傍まで進めると、一礼して後ろへ下がった。


 エリザは眠る娘を見つめ、小さく微笑む。


「今日も、よく眠っているのね」


 その時だった。


 部屋の扉が開き、サラが花瓶の花を抱えて入ってくる。


「あっ……奥様。失礼いたしました」


「いいのよ、サラ」


 エリザは穏やかに微笑んだ。


「いつもルルシルのことをありがとう」


「いいえ、とんでもございません。もったいないお言葉です」


 サラは深く頭を下げる。


 エリザはそっとルルシルの手を包み込んだ。


 細く白い指先を優しく撫でながら、静かに娘の寝顔を見つめる。


「寝顔だけは、小さな頃から変わらないわね」


 その声には、母親らしい温もりが滲んでいた。


 サラは窓辺へ歩み寄ると、ゆっくりと窓を開ける。


 爽やかな朝風が部屋へ吹き込み、白いカーテンがふわりと揺れた。


 すると、一羽の小鳥の精霊が楽しそうに飛び込んでくる。


『ルルシル!』


 小鳥はベッドの上をくるりと一周すると、エリザの前へ舞い降りた。


 エリザは目を細める。


「まあ……あなたもルルシルに会いに来てくれたのね」


 そう言って、そっと手を差し出す。


 小鳥の精霊は嬉しそうに鳴きながら、その手の上へちょこんと乗った。


 その光景を見つめるサラは、思わず頬を緩める。


(今のお嬢様にそっくり……)


 精霊へ向ける優しい眼差し。


 柔らかな微笑み。


(やっぱり、お嬢様は奥様によく似ていらっしゃるわ)


 そう改めて思うのだった。


 コンコン。


 再び部屋の扉が叩かれる。


「母上?」


 制服姿のクレイスが部屋へ入ってきた。


「ああ、いらしていたのですね」


「ええ。少しだけルルシルの顔を見に来たの」


 エリザは穏やかに微笑む。


 クレイスも小さく笑みを返し、ベッドの傍らへ歩み寄った。


「今日も変わりありませんか?」


「ええ」


 エリザは眠るルルシルを見つめたまま頷く。


「本当によく眠る子ね」


 親子の間に流れるのは、静かで穏やかな時間。


 誰も焦らない。


 誰も騒がない。


 ただ、ルルシルが目を覚ます日を信じて待っていた。


 しばらくの沈黙のあと、エリザがぽつりと呟く。


「……ルルシルは、私が無理をして産んだ子なの」


 クレイスは目を瞬かせた。


「え……?」


 エリザは小鳥の精霊を優しく撫でながら、小さく微笑む。


「あなたはまだ幼かったものね。覚えていないのも無理はないわ」


 その言葉に、侍女は静かに頭を下げる。


 サラへそっと目配せすると、二人は何も言わず部屋を後にした。


 部屋には、エリザとクレイス、そして眠るルルシルだけが残る。


 小鳥の精霊はエリザの手の上で静かに羽を休めていた。


 エリザはどこか懐かしむように目を細める。


「……あれは、十六年前のことだったわ」


 静かな声とともに、遠い日の記憶がゆっくりと蘇る。


 ◇◇◇


 ◇◇◇


 十六年前――。


 ヴェリテ公爵家の屋敷。


 エリザは自室のベッドへ横になっていた。


 大きく膨らんだお腹へ、医師がそっと手をかざす。


 淡い治癒魔法が優しく包み込み、お腹の中の小さな命の鼓動を確かめていく。


 部屋には重苦しい静寂が流れていた。


 やがて医師は魔法を解き、静かに首を横へ振る。


「……前回より、心音が弱くなっております」


 その一言で、空気が凍りついた。


「このままでは……難しい状況かもしれません」


 エリザは震える手で口元を覆う。


 涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。


 ベッドの傍らでは、オルフェウスがそっと妻の肩へ手を添える。


「エリザ……」


 二歳になったばかりのクレイスは、不安そうに両親を見つめていた。


「……お母様?」


 事情など分からない。


 ただ、大好きな母が悲しそうな顔をしていることだけは分かった。


 エリザは涙を隠すように微笑み、そっと手招きする。


「クレイス、おいで」


 小さなクレイスはよちよちとベッドへ上がり、母へ抱きついた。


 エリザはその身体を優しく抱きしめる。


 医師は静かに頭を下げた。


「今は、とにかく安静になさってください」


「自然にお子様が生まれてくるのを待つしかありません」


「奥様……どうか、お気持ちを強くお持ちください」


 一礼すると、医師は部屋を後にした。


 静かな部屋。


 クレイスは小さな手でエリザのお腹を撫でる。


「赤ちゃん」


「いい子、いい子」


 幼い声が部屋へ響く。


 エリザはその手へ自分の手を重ね、小さく微笑んだ。


「ありがとう、クレイス」


 オルフェウスはそんな二人を見つめることしかできなかった。


 父として。


 夫として。


 何もできない自分が、ただ悔しかった。


 ◇◇◇


 その夜。


 眠れぬまま夜を迎えたエリザは、静かに部屋を抜け出した。


 誰にも告げず、一人で精霊の森へ向かう。


 医師から安静にと言われたことは分かっていた。


 それでも、母として何もしないまま、この子を失うことだけはできなかった。


 屋敷の外へ出た瞬間から、足取りはすでに重かった。


 大きく張ったお腹が一歩ごとに揺れ、呼吸が浅くなる。


「……っ、はぁ……」


 階段を降りるだけで、手すりを強く握らなければ身体が崩れそうになる。


 夜風は冷たく、肌に触れるたびに体力を奪っていくようだった。


 それでもエリザは止まらなかった。


 森へ続く石畳の道は、月明かりに照らされて白く伸びている。


 だがその道のりは、想像以上に遠い。


 一歩踏み出すたびに、腹の奥が重く引かれるような痛みが走る。


「……っ、く……」


 思わず膝が折れかけ、エリザは近くの木に手をついた。


 息が乱れ、視界がわずかに滲む。


 それでも、もう一度足を前へ出す。


 母としての意志だけが、身体を支えていた。


 森へ近づくにつれ、足元の草は淡く光り始める。


 精霊たちはすでに彼女の異変を感じ取っていたのか、静かに道を開けていく。


 だがその優しささえ、今のエリザには遠く感じられた。


 呼吸は次第に苦しくなり、歩幅は小さくなる。


 お腹を支えるように両手を添えながら、ゆっくり、ゆっくりと進む。


「……お願い……」


 誰に向けたのかも分からない祈りが、唇から零れた。


 やがて森の入口に辿り着く頃には、額には汗が滲み、足は震えていた。


 それでもエリザは、最後の一歩を踏み出す。


 森の中へ。


 月明かりは木々の隙間から柔らかく降り注ぎ、銀色の光が道を照らす。


 だがその道も、決して平坦ではない。


 根が張り出し、地面は不規則に揺らぐ。


 一歩進むたびに、身体が揺さぶられるような感覚が走る。


「……っ、はぁ……っ」


 息が途切れ、視界が揺れる。


 それでもエリザは止まらない。


 何度も立ち止まり、何度も呼吸を整え、それでも前へ進む。


 やがて辿り着いたのは、森の中心。


 そこだけは風も止み、世界から切り離されたような静寂に包まれていた。


 一本の巨大な紅葉樹。


 森を守る守護樹――ルシェルネオルネス。


 見上げてもなお頂は見えず、幹は何人もの大人が手を繋いでも囲みきれないほど巨大だった。


 エリザはその幹へ、震える手を伸ばす。


 だがその途中で、膝が崩れた。


「……っ!」


 地面に片膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。


 それでも、這うようにして幹へ近づく。


 指先がようやく樹皮に触れた瞬間、全身の力が抜けそうになるのを必死に堪えた。


「……ルシェルネオルネス様」


 か細い声が静かな森へ溶けていく。


「生まれてくるこの子を……あなたにお見せすることができないかもしれません」


 頬を涙が伝う。


「どうか……この子を、お救いください」


 それは、一人の母としての願いだった。


 その瞬間。


 守護樹の枝葉が静かに揺れた。


 風は吹いていない。


 それでも確かに、守護樹はその願いへ応えた。


 巨大な幹が淡い緑色の光を帯びる。


 樹皮はゆっくりと姿を変え、一人の女性の上半身を形作っていく。


 腰から下はなお幹と一体となり、身体そのものが守護樹から生えているようだった。


 長く流れる髪は草木のように枝葉へ溶け込み、一本一本が風に揺れる若葉のように美しく輝いている。


 人でもなく、樹でもない。


 森そのものが姿を得たような、神秘的な存在だった。


「エリザ」


 ルシェルネオルネスは穏やかに微笑む。


「泣いているのですか」


 エリザは涙を拭うこともなく、小さく頷く。


「悲しいのです……とても」


「この子が元気に生まれてきてくれるなら、私は何もいりません」


 ルシェルネオルネスは幹から伸びた腕をゆっくりと動かし、エリザの頬へ優しく触れた。


 その温もりは、春の日差しのように柔らかかった。


「泣かないで、エリザ」


 その言葉とともに、森中から無数の精霊たちが集まり始める。


 小鳥の精霊が肩へ舞い降り、兎の精霊が足元へ寄り添う。


 狐や鹿、花の精霊たちはエリザのお腹を囲むように集まり、小さな前足や羽を伸ばして、まだ見ぬ命へ触れようとしていた。


 ルシェルネオルネスは、その光景を慈しむように見つめる。


「その子を救いたいのですね」


「あなたの何に代えても」


 エリザは迷うことなく頷いた。


「はい」


「私の命に代えても、この子を産みたいのです」

 ルシェルネオルネスは静かに目を閉じた。


 守護樹の枝葉が、風もないのにゆっくりと揺れた。まるで森そのものが呼吸をしているかのように、葉と葉が擦れ合い、さらさらと澄んだ音を立てる。


 その音に呼応するように、周囲に漂っていた精霊たちが一斉に動きを止めた。光の粒のような小さな存在たちは、空中でぴたりと静止し、息を潜めるように淡く輝きを弱めていく。


 森の奥深くまで沈黙が広がった。


 やがて、ルシェルネオルネスはゆっくりと瞼を開く。その瞳は、先ほどまでの静謐さに加え、どこか決意の色を帯びていた。


 優しい視線が、エリザへと向けられる。


「エリザ」


 その声は風のように柔らかく、それでいて森の奥まで響くほど澄んでいた。


「私が、この子へ生きる力を分けましょう」


 エリザは一瞬、言葉の意味を理解できずに息を呑んだ。胸の奥で心臓が強く跳ね、指先がわずかに震える。


「……そんなことが、できるのですか」


 掠れた声は、森の静寂に吸い込まれていく。


「できます」


 ルシェルネオルネスは迷いなく頷いた。その動きに合わせて、幹から伸びた枝がゆっくりと揺れ、まるで意思を持つ腕のようにエリザへと近づいていく。


「ですが、そのためにはあなたの力も必要です」


 枝の先が、そっとエリザの腹部へ触れた。


 その瞬間、冷たさではなく、温かな大地の鼓動のような感触が広がる。森の生命そのものが、そこに触れているかのようだった。


「母であるあなたは、この子へ魔力を注ぎなさい」


 ルシェルネオルネスの声とともに、周囲の空気がわずかに震える。見えない流れがエリザの身体へと集まり始めていた。


「あなたの魔力を器とし、私の精霊力を命の源とします」


 枝葉の隙間から差し込む光が、ゆっくりと色を変えていく。金色と緑色が混ざり合い、森の中に淡い光の層を作り出していた。


「二つの力が一つとなり、この子は生きるでしょう」


 エリザはお腹へそっと手を添えた。そこに宿る小さな命の気配を確かめるように、指先に力を込める。


「本当に……助かるのですね」


 その問いは、祈りにも似ていた。


「ええ」


 ルシェルネオルネスは穏やかに微笑む。その微笑みは、森の奥に差し込む朝の光のように静かで、揺るぎないものだった。


「ですが、その代償は決して小さくありません」


 空気がわずかに重くなる。精霊たちの光が揺れ、不安げに森の周囲を漂い始めた。


「あなたの魔力の大半は、この子へ受け継がれます」


 言葉が落ちるたびに、森の音が一つずつ消えていくような錯覚があった。


「そして、あなたは二度と本来の健やかな身体へは戻れないでしょう」


 枝葉の揺れが止まり、風が完全に消える。


「魔法も、これまでのようには使えなくなります」


 その言葉は、静かに、しかし確実にエリザの未来を形作っていく。


「それでも、あなたはこの子を救いますか」


 問いかけの後、森は完全な静寂に包まれた。


 精霊たちは不安げにエリザの周囲へと集まり、小さな光の輪を作るように漂う。その光は揺れ、まるで彼女の答えを待つかのようだった。


 しかし、エリザの瞳は揺れなかった。


「構いません」


 その声は静かで、しかし確かな重みを持っていた。


「私の命より、この子の命の方が大切です」


 彼女はお腹をそっと撫でる。その手つきは、壊れ物を守るように優しく、そして強い。


「どうか……この子を生かしてください」


 その言葉に、ルシェルネオルネスはわずかに目を細めた。


「あなたは、本当に強い母ですね」


 森の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


 エリザは首元から、懐中時計を外した。


 銀細工の蓋を静かに開く。


 中央には、淡い金色に輝く魔石が納められていた。


 エリザは両手でそれを包み込み、静かに祈る。


「お願い……生きて」


 その願いに応えるように、魔石が柔らかな光を放ち始めた。


 金色の魔力が懐中時計から溢れ、お腹へと流れ込んでいく。


 同時に、ルシェルネオルネスの身体からも柔らかな緑色の光が溢れ出した。


 幹の奥から滲むように広がったそれは、枝葉を伝い、森全体へと染み渡っていく。


 金色と緑色の光は、ゆっくりと重なり合い、夜の森を神々しい輝きで満たしていく。


 精霊たちはその光に誘われるように舞い上がり、嬉しそうに輪を描いた。


 その時だった。


「……っ!」


 エリザの身体に鋭い痛みが走る。


 息が詰まり、視界が一瞬白く弾ける。思わず膝が崩れ、守護樹の根元へと座り込んだ。


「はぁ……っ、ぁ……!」


 腹部を抱え込むようにして、必死に呼吸を繰り返す。指先が冷たくなり、全身に波のような痛みが押し寄せては引いていく。


 そのたびに、身体が小さく跳ねるように震えた。


 ルシェルネオルネスはその様子を静かに見つめている。


「その子は、生まれようとしています」


 その声は、嵐の中心にいる者へ向けるような静けさを持っていた。


 精霊たちは慌ててエリザの周囲へと集まり、小さな手を合わせるようにして祈り始める。光の粒が震えながら、彼女の周囲を包み込んでいく。


 そして――。


 森の奥深くから、一つの産声が響き渡った。


「おぎゃあっ……おぎゃあっ!」


 その瞬間、守護樹の枝葉が大きく揺れた。まるで森全体がその声に応えるように、幹が震え、根が大地を打つ。


 森中の木々が一斉にざわめき、眠っていた花々が次々と開花していく。夜の森が、一瞬で祝福の色に染まった。


 無数の精霊たちが歓声を上げ、光の軌跡を描きながら夜空へと舞い上がる。


『生まれた!』


『かわいい!』


『新しい命だ!』


 その声は森全体に響き渡り、祝福の歌のように重なっていく。


 エリザは息を切らしながら、震える腕で赤子を抱き上げた。


 その小さな温もりが胸に触れた瞬間、張り詰めていたものが静かにほどけていく。


「……ありがとう」


 その言葉は、誰に向けたものか分からないほど静かだった。


 ルシェルネオルネスは、母子をただ優しく見つめている。


「あなたが、この子を守りました」


 エリザは赤子の顔を見つめ、涙をこぼしそうなほど柔らかく微笑んだ。


「この子に……名前を贈ってもよろしいでしょうか」


「もちろんです」


 ルシェルネオルネスは静かに頷く。


 エリザは赤子を胸に抱き寄せ、そっと息を整えた。


「あなたのお名前を、この子に少しだけいただいてもよろしいでしょうか」


 その言葉に、ルシェルネオルネスはわずかに驚いたように目を細め、それから穏やかに微笑んだ。


「私の名を……」


 エリザはその名を、何度も確かめるように口の中で転がす。


「ルシェルネオルネス……」


「ルシェル……」


「……ルルシル」


 その響きが、森の静寂の中に優しく溶けていく。


 エリザは赤子を強くも優しく抱きしめた。


「あなたの名前は、ルルシル」


「どうか、優しく、強く生きて」


 ルシェルネオルネスは赤子の額へそっと触れ、まるで祝福を刻むように目を閉じた。


「ルルシル……」


「美しい名前ですね」


 その名を祝うように、森中の精霊たちが一斉に舞い上がった。


 ◇◇◇


 エリザは静かに話し終えると、小さく息をついた。


 そっとルルシルの手を包み込み、愛おしむように優しく撫でる。


 穏やかな静寂が部屋を包んだ。


「……そんなことがあったとは」


 クレイスは信じられないというように目を伏せる。


「私は、何も覚えていません」


 その言葉に、エリザはくすりと笑った。


「ふふっ。それもそうね」


「あなたはまだ二歳だったもの」


 懐かしむように目を細める。


「そのあと、屋敷は大騒ぎだったのよ」


「オルフェウスが私の姿が見えないことに気づいて、屋敷中を探し回ったそうよ」


 エリザは思い出すように小さく笑う。


「森へ駆けつけた時には、精霊たちが私とルルシルを抱えて運んできてくれたんですって」


「私は目を覚ましてから、オルフェウスにとても叱られたわ」


「しばらく外出禁止令まで出されたのよ」


 その話に、クレイスも思わず口元を緩めた。


 父らしい、と。


 そんな微笑ましさが二人の間に流れる。


 しかし、その笑みは長くは続かなかった。


 静かな沈黙が部屋を満たす。


 エリザはルルシルの寝顔を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。


「……クレイスを産んですぐ、私は妊娠したの」


「でも、その子は産まれてくることができなかったわ」


 クレイスは息を呑む。


「だから……どうしてもルルシルを産みたかったの」


「その子には、本当に悪いことをしたと思っているわ」


「お母様……」


 クレイスは静かに首を横へ振る。


「そんなこと、おっしゃらないでください」


 エリザは小さく微笑み、頷いた。


 そして再び、ルルシルへ視線を落とす。


「ルルシルは、この子自身が持って生まれた膨大な魔力に加えて、私の魔力も受け継いでいるわ」


「それだけじゃない」


「ルシェルネオルネス様から授かった精霊力まで、その身に宿しているの」


「だから、この子の身体には、とても大きな負担がかかっているはずよ」


 クレイスは静かに頷いた。


「精霊力は、精霊の命の源」


「私たち人間には本来存在しない力です」


「人が精霊魔法を使えるのは、精霊から精霊力を借りているから……学園でそう習いました」


「ええ、その通りよ」


 エリザは優しく微笑む。


「その精霊力を、この子は身体に宿しているの」


「だからルルシルは、とても精霊に近い存在なのよ」


「それに、守護樹様からお名前までいただいたでしょう」


「この子は、生まれた時から精霊との縁が誰よりも深いの」


「私たちには想像もできないほどの力を、その小さな身体で抱え続けているのよ」


 クレイスは静かに呟いた。


「……縁、ですか」


 エリザはその言葉に穏やかに微笑んだ。


「ええ」


「だから……もしかしたら、精霊の森へ連れて行ってあげれば、目を覚ますかもしれないわ」


 クレイスは眠る妹を見つめる。


 だがエリザは、ルルシルの前髪をそっと整えながら、小さく首を振った。


「でも……」


「こんな時くらいは、ゆっくり眠らせてあげたいわ」


「この子は、いつも頑張りすぎるから」


 窓の外では、夕暮れの風が庭の木々を静かに揺らしていた。


 柔らかな陽光が部屋へ差し込み、ルルシルの銀色の髪を淡く照らす。


 その穏やかな寝顔を見つめながら、エリザは優しく娘の手を握り続けた。


 部屋を包む静寂は、不思議と悲しいものではなかった。


 大切な者を想う、温かな時間だけが、ゆっくりと流れていた。

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