第三十話 運命の選択【後編】
アルクスレイブンの言葉が終わるや否や、カインは勢いよく立ち上がった。
「貴様!」
怒声が広場へ響く。
「辞退すると言っておいて、今さら何を言い出す!」
鋭い眼差しがアルクスレイブンを射抜く。
だが、アルクスレイブンは表情一つ変えなかった。
「殿下」
「私は、本来あるべき順位で大会を終えるべきだと考えただけです」
「侮辱するのも大概にしろ!」
カインは壇上を降り、アルクスレイブンへ詰め寄る。
会場がざわつく。
「殿下……!」
「まずい……!」
教師たちが動こうとした、その時だった。
カインはアルクスレイブンの胸ぐらへ手を伸ばす。
「お前は俺を愚弄しているのか!」
しかしアルクスレイブンは避けようともせず、静かにカインを見つめ返した。
「そのようなつもりはございません」
「私は、殿下ご自身が正当な順位で栄誉をお受けになる方がよいと申し上げているだけです」
「黙れ!」
今にも掴みかかろうとした、その瞬間――。
「カイン!!」
国王エドワードの一喝が広場を震わせた。
誰もが息を呑む。
カインの身体がぴたりと止まった。
「次期国王たる者が、人前で何をしている」
低く重い声だった。
怒りを押し殺したその一言に、広場は水を打ったように静まり返る。
「……ですが、陛下」
カインはなおも言い募ろうとする。
しかしエドワードは静かに右手を上げ、その言葉を制した。
「ゼイン殿」
「あなたの申し出、確かに聞き届けた」
アルクスレイブンは静かに一礼する。
「ありがとうございます」
エドワードは教師たちへ視線を向けた。
「諸君、この申し出について異議はあるか」
教師たちは互いに顔を見合わせる。
やがて代表の教師が一歩前へ出た。
「ございません」
「辞退は本人の意思によるものであり、撤回を妨げる規則もございません」
他の教師たちも静かに頷く。
「異議ありません」
エドワードはゆっくりと頷いた。
そして隣に立つ王妃マクベリアへ目を向ける。
「マクベリア、お前はどう思う」
マクベリアはしばらく考えるようにアルクスレイブンを見つめ、穏やかに口を開いた。
「彼の申し出を受け入れることに異存はありません」
「ですが……」
一度言葉を区切る。
「これほど会場が動揺しておりますもの」
「皆が納得できるよう、正式に結果を発表するべきではないでしょうか」
エドワードは静かに頷く。
「その通りだ」
リヒトへ視線を送る。
「リヒト・フェイン」
「第一位の結果を発表しなさい」
「かしこまりました」
リヒトは一枚の記録用紙を受け取る。
広場には再び緊張が走った。
誰もが固唾を呑み、その口が開かれるのを待つ。
「第一位――」
一瞬の静寂。
「アルクスレイブン・ゼイン」
大きなどよめきが起こる。
一年生の男子生徒たちから歓声が上がった。
「やっぱりゼインだった!」
「すげぇ!」
「だからあんなに落ち着いてたのか!」
リヒトは続けて読み上げる。
「熊一頭、鹿五頭、雉三羽、鷹二羽――」
一度言葉を切る。
会場は静まり返っていた。
「そして――」
「白虎、一頭」
その一言が響いた瞬間、広場全体が凍り付いた。
誰も、声を発することができなかった。
白虎。
それは今年最大の獲物。
教師たちでさえ警戒を呼び掛け、生徒の中には狩りを諦めた者までいた存在だった。
「……白虎だって?」
「嘘だろ……」
「本当に狩ったのか……?」
ざわめきが一気に広場を包み込む。
教師たちも驚きを隠せない。
「まさか、本当に仕留めていたとは……」
「だから目撃情報がなかったのか……」
令嬢たちも思わず息を呑む。
「信じられませんわ……」
「白虎を、お一人で……?」
「留学生の方だったなんて……」
一年生の男子生徒たちは目を輝かせていた。
「すげぇ……!」
「だから熊を追い払った時も、あんなに落ち着いてたのか!」
「ゼイン、格好良すぎるだろ!」
クレイスは静かにアルクスレイブンへ視線を向け、小さく笑みを浮かべる。
「やはり、ゼイン殿だったか」
その隣でメリンダは肩をすくめた。
「気配すら感じなかったよ」
「完敗だね」
ガルシアも苦笑しながら頷く。
「どうりで森が静かだったわけだ」
その時、王妃がゆっくりと口を開いた。
「まぁ……あれを本当に狩ったのですね」
その声音には驚きと、そして確かな感嘆が滲んでいた。
「見事ですわ。あの白虎は、並の騎士でも手を出せぬ存在。ましてや単独で仕留めるなど……」
王妃はアルクスレイブンへと優雅に視線を向ける。
「相変わらず、見事な腕前ですこと」
その言葉に、周囲の視線が一斉にアルクスレイブンへと集まる。
一方――。
カインだけは唇を強く噛み締めていた。
白虎を。
あの白虎を。
アルクスレイブンが、すでに仕留めていた。
探し続けていた自分を嘲笑うかのような事実が、胸へ重くのしかかる。
拳が震える。
悔しさと、怒りと、敗北感。
様々な感情が渦巻いていた。
しかし、その視線の先に立つアルクスレイブンは、歓声を浴びてもなお穏やかな表情を崩さない。
まるで、それが特別なことではないかのように。
国王エドワードは静かに立ち上がり、広場を見渡した。
「これで異論のある者はいるか」
広場は静まり返る。
誰一人として、声を上げる者はいなかった。
国王エドワードは広場を見渡し、大きく頷いた。
「異論はないようだな」
「では、アルクスレイブン・ゼイン」
「クイーンを選出してくれ」
「かしこまりました」
アルクスレイブンは静かに一礼すると、令嬢たちの列へ向かって歩き始めた。
会場が再びざわめく。
「どなたを選ばれるのかしら……」
「留学生のゼイン様ですものね」
「どなたをお選びになるのでしょう……」
誰もがその行方を見守る。
アルクスレイブンは迷うことなく歩みを進める。
そして、一人の令嬢の前で足を止めた。
ルルシル・ヴァン・ヴェリテ。
会場が息を呑む。
アルクスレイブンは片膝をつき、静かに右手を差し出した。
「ヴェリテ公爵令嬢」
「この栄誉を、あなたへ贈らせていただきたく存じます」
ルルシルはわずかに目を見開く。
「……私に、ですか?」
「どうして……」
アルクスレイブンは穏やかに微笑んだ。
「学園へ来たばかりの私へ、最初に手を差し伸べてくださったのは、あなたでした」
「あの日いただいた親切に、まだきちんとお礼を申し上げられておりませんでしたので」
「この栄誉を、あなたにお受け取りいただきたく存じました」
静かな声だった。
しかし、その言葉には嘘も打算も感じられない。
ルルシルは一瞬だけ戸惑うように視線を伏せ、やがて小さく微笑む。
「……ありがとうございます」
そう言って、そっと手を差し出す。
その瞬間――
ルルシルの髪の奥で、ふわりと淡い光が揺れた。
誰にも気づかれぬほど小さな、しかし確かな気配。
隠れていた精霊が、まるで祝福するかのように姿を現し、二人の手の間をくるりと舞う。
柔らかな光が指先に触れ、ほんの一瞬、温かな風が吹き抜けた。
アルクスレイブンの手とルルシルの手が重なる。
その瞬間、精霊はふわりと弾けるように光を散らし、二人の周囲に淡い輝きを残して消えた。
ルルシルはわずかに目を瞬かせる。
アルクスレイブンもまた、ほんの一瞬だけその気配を感じ取ったように視線を細めたが、何も言わずにその手を優しく支えた。
その時だった。
「待て!」
怒声が響く。
カインだった。
「ルルシルは俺の婚約者だぞ!」
アルクスレイブンはゆっくりと振り返る。
その表情は驚くほど落ち着いていた。
「そうですね」
「ですが殿下」
「殿下はエミリー嬢をお選びになりました」
「でしたら、私も私の意思で選ばせていただきます」
一瞬、広場が静まり返る。
カインは言葉を失った。
アルクスレイブンは再びルルシルへ向き直る。
「後日、白虎の毛皮もお届けいたします」
「きっと、あなたによくお似合いになるでしょう」
ルルシルは驚きながらも、小さく頭を下げた。
「……ありがたく頂戴いたします」
国王エドワードは満足そうに頷く。
「これにて本年度狩猟大会を閉会とする」
その宣言とともに、大きな拍手が広場を包み込んだ。




