第三十話 運命の選択【前編】
澄み渡る秋空へ、高らかな鐘の音が響き渡った。
カーン――。
庭園で開かれていたお茶会は、その音を合図に静かに幕を閉じる。
案内役の教師が一歩前へ進み、生徒たちへ声を掛けた。
「皆さん、お茶会はこれで終了です」
「これより中央広場にて、狩猟大会の結果発表ならびに閉会式を執り行います」
令嬢たちは立ち上がり、それぞれドレスの裾を整えながら歩き始める。
ルルシルも椅子から立ち上がると、隣にいたイザベルとエミリーへ穏やかな笑みを向けた。
「参りましょう」
「ええ」
三人は並んで庭園を後にする。
歩きながら、エミリーは少し照れくさそうに二人へ頭を下げた。
「ルルシル様、イザベル様」
「今日はご一緒させていただいて、本当にありがとうございました」
「……とても楽しかったです」
その笑顔は、先ほどまで涙を浮かべていたとは思えないほど柔らかかった。
イザベルは前を向いたまま、小さく肩をすくめる。
「はいはい」
「今日は特別ですわ」
素っ気ない返事だったが、その声音はどこか優しい。
ルルシルはくすりと微笑む。
「エミリーさんが楽しんでくださったのなら、私も嬉しいです」
「はい!」
エミリーは嬉しそうに頷いた。
三人は秋風に揺れる木々の間を抜け、中央広場へと向かう。
◇◇◇
広場には、すでに狩猟を終えた男子生徒たちが集まり始めていた。
狩猟服には土埃が付き、馬たちも長い一日を終えたように静かに鼻を鳴らしている。
教師たちは獲物の最終確認を終え、慌ただしく集計表を見比べていた。
「女子生徒の皆さんはこちらです」
案内され、令嬢たちは男子生徒と向かい合うように整列する。
ルルシルは自然と男子生徒たちへ目を向けた。
そこには疲れた様子を見せながらも堂々と立つカインの姿。
そして少し離れた場所では、クラスメイトと穏やかに談笑するアルクスレイブンの姿もあった。
誰もが結果発表を待っている。
広場には静かな緊張が流れていた。
やがて鐘が鳴り、生徒会長リヒト・フェインが演壇へ姿を現す。
「皆さん、本日は狩猟大会お疲れ様でした」
穏やかな声が広場へ響く。
「これより結果発表ならびに閉会式を執り行います」
生徒たちは一斉に姿勢を正した。
続いて学園長ハロルド・グレイスが演壇へ上がる。
「諸君」
「本日は怪我人も少なく、無事に大会を終えられたことを嬉しく思う」
広場に安堵の空気が流れる。
「最後まで正々堂々と競い合った諸君へ、心から拍手を送りたい」
自然と拍手が広がった。
その拍手が収まると、リヒトが再び前へ出る。
「それでは、狩猟大会の結果を発表いたします」
広場の空気が張り詰める。
「第三位――」
一瞬の静寂。
「ガルシア・エーベルハイト」
拍手が湧き起こる。
ガルシアは軽く肩をすくめながら前へ歩き出した。
『よくやったわね』
肩の上のメルゼルカが、どこか誇らしげに告げる。
「ありがとうございます」
ガルシアは柔らかく微笑んだ。
「あなたのおかげですよ」
『ふふ。当然です』
そのやり取りに、ガルシアは小さく笑みを漏らす。
リヒトが記録を読み上げる。
「鹿四頭、狐六匹、雉二羽――」
周囲から感嘆の声が漏れた。
続いて。
「第二位――」
生徒たちが息を呑む。
「カイン・フィオレイン殿下」
ひときわ大きな拍手が響く。
カインは堂々と演壇へ向かった。
「熊一頭、鹿七頭、狐一匹、野兎一匹――」
記録が読み上げられるたび、生徒たちからどよめきが起こる。
「さすが殿下だ……」
「やっぱり強い」
しかし、カインは表情を変えなかった。
視線はただ前だけを見据えている。
リヒトは一度深く息を吸い、静かに続けた。
「なお、第一位の生徒は本人の申し出により辞退されました」
広場がざわつく。
「辞退?」
「一位なのに?」
「そんなことあるのか……?」
戸惑いの声が次々と上がった。
リヒトは静かに続ける。
「そのため、規定により第二位のカイン・フィオレイン殿下へ、クイーン選出の権利が与えられます」
令嬢たちの間にも緊張が走る。
「カイン殿下に!」
「やっぱり……」
「婚約者のルルシル様でしょう」
「当然ですわ」
囁き合う声があちこちから聞こえてくる。
イザベルは嬉しそうにルルシルを見た。
「ルルシル」
「いよいよですわね」
ルルシルは少し困ったように微笑む。
「まだ決まったわけではありませんよ」
「もう……」
イザベルは呆れたように息をついた。
「婚約者なんですから。あなたが選ばれますわ」
その隣で、エミリーは静かに俯く。
胸の前で両手をそっと重ね、小さく笑顔を作った。
「……ルルシル様」
「おめでとうございます」
その声には、どこか寂しさが滲んでいた。
ルルシルは優しく首を横に振る。
「ありがとう、エミリーさん」
「でも、本当にまだ決まったわけではありません」
エミリーは「はい」と頷いたものの、その視線は自然と壇上のカインへ向かっていた。
リヒトがゆっくりと口を開く。
「それでは、カイン・フィオレイン殿下」
「今年のクイーンを、お選びください」
広場が静まり返る。
カインはゆっくりと演壇を降り、一歩、また一歩と令嬢たちの列へ歩き始めた。
その姿を、生徒たちは固唾を呑んで見守る。
誰もが、その行き先を知っていると思っていた。
――婚約者である、ルルシル・ヴァン・ヴェリテ。
そう信じて疑う者は、一人もいなかった。
◇◇◇
広場を包む静寂の中、カインはゆっくりと歩みを進める。
一歩。
また一歩。
その姿を、誰もが固唾を呑んで見守っていた。
「やっぱりルルシル様ですわ」
「当然でしょう」
「お二人は婚約者ですもの」
令嬢たちの囁きが小さく広がる。
ルルシルは静かにカインを見つめていた。
表情に大きな変化はない。
ただ、その青い瞳だけが真っ直ぐ前を見据えていた。
やがてカインは二人の前で足を止める。
ルルシル。
そして、その隣に立つエミリー。
周囲の生徒たちは誰もが息を止めた。
「ほら……」
「やっぱり」
イザベルは小さく微笑み、ルルシルへ囁く。
「行ってらっしゃいませ」
ルルシルは困ったように微笑み返す。
その時だった。
カインが一歩踏み出す。
ルルシルの前を通り過ぎ――。
その隣に立つエミリーの前で静かに膝をついた。
「……え?」
誰かの声が漏れる。
広場が静まり返った。
エミリーは目を大きく見開く。
「カ、カイン様……?」
カインは真っ直ぐエミリーを見上げた。
「エミリー」
「俺が今年、クイーンとして獲物を献上したいのは君だ」
そう言って右手を差し出す。
「受け取ってくれるか」
エミリーは何が起きたのか理解できず、その場に立ち尽くしていた。
「わ、私……ですか?」
「ああ」
カインは迷いなく頷く。
その瞬間。
広場中が大きくどよめいた。
「なっ……!」
「エミリーさんですって!?」
「どういうことですの!?」
「婚約者のルルシル様ではなく!?」
令嬢たちの驚きの声が次々と上がる。
男子生徒たちも顔を見合わせ、ざわめきは瞬く間に広場全体へ広がっていった。
イザベルも目を見開く。
「そんな……」
ルルシルだけは静かだった。
驚きはしたものの、その表情は穏やかなまま変わらない。
王妃マクベリアは思わず席から腰を浮かせる。
「カイン……!」
隣にいた国王エドワードも目を見開いた。
「何をしている……」
カインは周囲のざわめきなど気にも留めない。
エミリーだけを見つめ続ける。
「受け取ってくれ」
震える手を胸の前で握り締めながら、エミリーはゆっくりとその手へ伸ばそうとした。
その時だった。
「――お待ちください」
落ち着いた声が広場へ響いた。
その一言だけで、会場が静まり返る。
全員の視線が、一人の男子生徒へ集まった。
赤髪を秋風になびかせながら立っていたのは、留学生ゼイン――アルクスレイブンだった。
アルクスレイブンは一歩前へ進み、国王と王妃へ向かって深く一礼する。
「陛下、王妃殿下」
「発言のお許しをいただけますでしょうか」
広場には再び静寂が訪れる。
国王エドワードはアルクスレイブンを見つめ、ゆっくりと頷いた。
「許可しよう」
「申してみよ」
アルクスレイブンはもう一度一礼する。
「ありがとうございます」
静かに顔を上げると、その穏やかな眼差しは真っ直ぐ前を向いていた。
「陛下」
「入賞した場合は辞退させていただくよう、あらかじめ先生方へお願いしておりました」
その一言が落ちた瞬間。
広場は再び騒然となった。
「えっ!?」
「じゃあ、ゼインが一位だったのか!?」
「やっぱりそうだったのか!」
一年生の男子生徒たちから驚きの声が上がる。
アルクスレイブンはざわめきが収まるのを待ち、静かに続けた。
「私は留学生ですので、三年生の皆様にとって最後となる狩猟大会を優先したいと考え、そのようにお願いしておりました」
一度言葉を区切る。
「ですが、その結果、本来の順位が変わってしまうのであれば、それは私の本意ではありません」
ゆっくりとカインへ視線を向ける。
「殿下も、本来とは異なる順位で得た栄誉より、ご自身の力で勝ち取られた栄誉の方がお望みではありませんか」
静かな口調だった。
しかし、その言葉は真っ直ぐカインへ届いた。




