第二十九話 終わりを告げる角笛
秋の陽はゆっくりと西へ傾き始めていた。
色づいた木々の間を吹き抜ける風は、朝よりも少し冷たくなり、森の中へ静かな秋の香りを運んでいく。
狩猟大会も終盤。
森のあちこちでは、生徒たちが最後の獲物を求めて馬を走らせていた。
教師たちも持ち場を巡回しながら、生徒たちの安全確認と獲物の記録を続けている。
その時だった。
――ゴーン……。
森中へ重く澄んだ鐘の音が響く。
続けて二度、三度と鐘が鳴り渡った。
教師たちは顔を上げ、一斉に声を張る。
「終了まで残り三十分!」
「深追いは禁物だ!」
「帰路も考えて行動するように!」
その声は森の奥深くまで響き渡り、生徒たちの表情が一斉に引き締まった。
「あと三十分か……」
「思ったより早いな」
「白虎なんて見つからなかったぞ」
ざわめきが木々の間へ広がっていく。
◇◇◇
鐘の音を聞いたカインは、馬の手綱を強く握り締めた。
「もう時間が……」
焦りが胸を締め付ける。
鹿も、狐も、雉も。
十分すぎるほど仕留めた。
それでも。
「違う……」
欲しいのは、そんな成果ではない。
エミリーと交わした約束。
必ず優勝し、クイーンに選ぶ。
そのためには、誰も成し遂げていないことを成し遂げなければならない。
白虎。
その一頭だけが見つからない。
その時、見張りの教師が馬を寄せた。
「カイン殿下!」
「残り時間はわずかです!」
「そろそろ集合地点へ向かう準備をしてください!」
しかしカインは首を横に振る。
「まだだ」
「殿下!」
「まだ終わっていない!」
言い終えるより早く、馬腹を蹴る。
白いマントを翻しながら、さらに森の奥へと駆け出した。
教師はその背中を見送り、小さく息を吐く。
「……まったく」
「本当に諦めないお方だ」
◇◇◇
一方、その頃。
森の別の場所では、教師へ獲物を引き渡す生徒たちの姿があった。
「俺はもう戻ります」
「十分狩れました」
教師は記録へ目を落とし、頷く。
「賢明な判断だ」
「帰りも気を抜くな」
「はい!」
疲れたように笑い合いながら、生徒たちは森の出口へ向かっていく。
「白虎なんて、本当にいたのかな」
「いたとしても会いたくないよ」
「命あっての狩猟大会だしな」
誰もが半ば諦めたように笑っていた。
◇◇◇
森の小道で、クレイスは馬を止めた。
向こうから歩いてきたメリンダが気付いて笑顔を見せる。
「あれ、クレイス」
「そっちも戻るところ?」
「ああ」
二人が言葉を交わしていると、その後ろからガルシアも馬を進めてきた。
「おや、集合ですか」
軽く肩をすくめながら笑う。
「偶然だね」
メリンダも笑い返した。
「今年は王妃殿下も思い切ったことをしたね」
「白虎なんて」
ガルシアは苦笑する。
「熊でも十分大物なのに、あれ以上を用意するとは」
「来年は竜でも出てくるんじゃないか?」
メリンダが吹き出した。
「それは流石に困るよ」
クレイスも小さく笑う。
「まだ終了ではない」
「誰かが見つける可能性は残っている」
その一言に、二人も静かに頷いた。
「そうだね」
「最後まで分からないか」
秋風が三人の間を吹き抜けていった。
◇◇◇
森のさらに奥。
アルクスレイブンは静かに馬を歩かせていた。
慌てる様子はない。
穏やかな表情のまま、木漏れ日の差す森をゆっくりと進む。
その肩には、落ち葉が一枚乗っていた。
狩猟服にもところどころ土埃が付いている。
しかし本人は気にも留めない。
やがて教師とすれ違う。
「ゼイン君」
「時間だ。集合地点へ戻ってくれ」
「はい」
短く返事をすると、アルクスレイブンは静かに馬首を返した。
その横顔からは、何を考えているのか誰にも読み取ることはできなかった。
◇◇◇
森を吹き抜ける風が、少しずつ冷たさを増していく。
西へ傾いた陽が木々の隙間から差し込み、長く伸びた影が森を包み始めていた。
その時だった。
――ゴォォォォォ……。
低く長い角笛の音が、森全体へ響き渡る。
狩猟大会終了を告げる合図だった。
教師たちは一斉に声を張り上げる。
「狩猟大会終了!」
「これ以上の狩猟は禁止!」
「全員、速やかに集合地点へ戻りなさい!」
森のあちこちで馬首が返され、生徒たちは名残惜しそうに帰路へついた。
◇◇◇
カインは角笛を聞いてもなお、森の奥を睨みつけていた。
「……くそっ」
白虎だけが見つからない。
鹿も、野兎も、狐も。
十分すぎるほど仕留めた。
それでも胸は満たされなかった。
エミリーとの約束。
優勝して、彼女をクイーンに選ぶ。
そのためには、白虎を仕留めるしかないと思っていた。
教師が馬を寄せる。
「カイン殿下」
「終了です。お戻りください」
カインは悔しそうに歯を食いしばる。
「……分かってる」
短く答えると、手綱を引いた。
白いマントが秋風を受けて揺れる。
そのまま無言で集合地点へ向かった。
◇◇◇
集合地点では、戻ってきた生徒たちが次々と獲物を引き渡していた。
「鹿二頭です!」
「こちらは雉一羽!」
「狐一匹!」
教師たちは忙しく記録を書き留める。
「次はこちら!」
「怪我はないか?」
「ありません!」
緊張から解放された生徒たちの表情には、安堵の色が浮かんでいた。
やがて、カインも広場へと姿を現す。
周囲の視線が自然と集まった。
「カイン殿下だ……」
「どれだけ仕留めてきたんだ?」
カインは無言のまま馬を降りると、従者に合図を送る。
荷台から次々と獲物が降ろされた。
鹿、狐、野兎――。
その数は明らかに他の生徒よりも多い。
教師の一人が目を見開く。
「これは……見事な成果ですな」
別の教師が記録を取りながら頷いた。
「さすがカイン殿下」
しかしカインは、その言葉にも反応を示さない。
「……以上だ」
短く告げると、背を向けた。
その表情には、満足の色はなかった。
◇◇◇
教師たちは一息つきながら、互いに顔を見合わせる。
「今年は大きな事故もなく終わりましたな」
「ああ……正直、白虎が出ると聞いた時はどうなることかと思ったが」
「怪我人もほとんどいない。上出来だ」
「王妃殿下も胸を撫で下ろされるでしょう」
安堵の空気が広場に広がる。
◇◇◇
その頃、アルクスレイブンも静かに集合地点へ戻ってきた。
「ゼイン!」
同じ高等部一年の男子生徒たちが笑顔で駆け寄ってくる。
「お疲れ!」
「今日はどうだった?」
アルクスレイブンは穏やかに微笑んだ。
「ぼちぼちだよ」
「皆も怪我なく戻って来られて良かった」
「俺なんて熊に遭遇して肝が冷えたよ」
「白虎なんて見つけたら卒倒してたかもな」
周囲から笑いが起こる。
「結局、誰も見つけられなかったみたいだな」
「今年は王妃殿下も思い切ったことをしたよな」
アルクスレイブンは静かに頷く。
「皆が無事だったことが何よりだ」
「狩猟大会は勝ち負けも大事だけど、無事に帰って来られてこそだから」
「ゼインらしいな」
一人の男子生徒が笑った。
「俺だったら獲物の数ばっかり気にしてるよ」
「ははっ、それも狩猟大会らしいけどね」
穏やかな笑い声が広がる。
◇◇◇
その少し離れた場所では、クレイス、メリンダ、ガルシアの三人も合流していた。
「お疲れ様、二人とも」
クレイスが軽く手を上げる。
「クレイスこそ、無事で何よりだ」
ガルシアが腕を組みながら頷いた。
「危うく鹿を逃すところだった」
メリンダが肩をすくめる。
「でも、ちゃんと仕留めたんだろ?」
「ああ、もちろん」
得意気にメリンダは答えた。
「白虎は?」
ガルシアが問いかける。
三人は一瞬だけ顔を見合わせた。
「……見てないな」
クレイスが静かに答える。
「私もだ」
メリンダが肩をすくめる。
「気配すらなかった」
ガルシアも苦笑した。
クレイスが小さく息を吐く。
「今のところ、見つかったという話は聞かないな」
「それだけ危険だったってことかもしれないな」
メリンダが腕を組み大きく頷いた。
「まあ、無事に終わっただけでも良しとするか」
ガルシアが肩を回す。
三人はそれぞれの成果を抱えながら、広場の喧騒へと戻っていった。
◇◇◇
広場では、それぞれが今日の成果を語り合っていた。
「今日は調子が良かったな」
「俺は全然だったよ」
「熊が出た時は本当に終わったと思った」
「でも全員無事で何よりだ」
笑い合う者。
悔しそうに肩を落とす者。
それぞれに違う一日だった。
そんな中、一つだけ誰もが口にする話題があった。
「結局、白虎はどうなったんだ?」
「誰か見た奴いるか?」
「俺は気配すら感じなかった」
「本当に森にいたのかな」
誰も答えを知らない。
夕暮れの風が広場を静かに吹き抜ける。
生徒たちは、それぞれ今日という一日を胸に刻みながら、学園へと戻っていく。
こうして、波乱に満ちた狩猟大会は静かに幕を閉じた。




