第二十六話 狩猟大会の始まり【後編】
ルルシルたちは控え室を後にし、開会式が行われる学園中央広場へと足を運んだ。
秋晴れの空の下、色づき始めた木々が穏やかな風に揺れている。
中央広場には、すでに多くの生徒たちが集まっていた。
男子生徒たちは色とりどりの狩猟服に身を包み、女子生徒たちは華やかなドレス姿で並んでいる。
いつもの制服姿とは違う装いに、学園全体がまるで王宮の祝祭のような華やかさに包まれていた。
その中で、どこか浮き足立った空気も漂っている。
「見て、あちらの方……クレイス様じゃない?」
「本当だわ……素敵……」
「今年のクイーンは誰になると思う?」
「やっぱりイザベル様かしら?」
「でもルルシル様も……あのドレス、とてもお似合いだもの」
ひそひそと交わされる声が、あちこちから聞こえてくる。
男子生徒たちもまた、どこか気負った様子で姿勢を正していた。
その一角では、アルクスレイブンの面々が早くも周囲の生徒たちに囲まれていた。
「ゼイン、今日は獲物何匹くらい狩る予定なんだ?」
「さあな。数より質だろ」
軽く肩をすくめるゼインに、周囲から感嘆の声が上がる。
「さすがだな……」
「いやいや、絶対十匹以上は狩るだろ!」
「お前ら勝手に期待値上げるなよ」
わいわいと騒ぐ男子生徒たちの中に、別の声が混じった。
「なあ聞いてくれよ……俺、婚約者に『絶対クイーンにして』って頼まれたんだ」
「は? それ無理じゃないか?」
「だよな!? どうしよう……」
「まずは生きて帰ることを考えろ」
どっと笑いが起こる。
軽口を叩き合いながらも、その視線にはどこか期待と憧れが混じっていた。
その様子を少し離れた場所から見ていたカインは、無言で拳を握りしめる。
ぎゅっと力を込めた指先が、わずかに震えた。
――負けるわけにはいかない。
胸の奥で、静かに燃えるものがあった。
ルルシルはゆっくりと辺りを見渡す。
広場の正面には、王族や来賓のために設けられた高い演壇。
その左右には生徒たちが整然と並び、さらに奥には狩猟の森へ続く巨大な門が静かに閉ざされている。
あの門が開けば、いよいよ狩猟大会が始まる。
「ルルシル、こちらですわ」
イザベルに促され、女子生徒の列へ加わる。
反対側では男子生徒たちも整列を始めていた。
「一年生は前へ。二年生、三年生は後方へお願いします」
澄んだ声が広場へ響く。
声の主は、生徒会長リヒト・フェインだった。
明るい金茶色の髪を風になびかせながら、生徒たちへ穏やかに指示を出している。
「列を詰めてください。まだ時間はありますから、慌てなくても大丈夫ですよ」
柔らかな口調にもかかわらず、生徒たちは自然と従っていく。
その姿を見て、ルルシルは小さく目を細めた。
学園全体をまとめるにふさわしい、落ち着いた存在感だった。
一方でクレイスは各列を歩き、生徒たちの服装や配置を確認している。
「メリンダ、その剣飾りが少し曲がっている」
「あ、本当だ」
メリンダが苦笑しながら直すと、隣でガルシアが肩を揺らした。
「王子様も意外と抜けてるな」
「誰が王子様だい」
三人のやり取りに、周囲の生徒たちも自然と笑みを浮かべる。
やがて、広場へ鐘の音が響いた。
ゴーン――。
厳かな音色に、生徒たちは一斉に姿勢を正す。
広場を包んでいた話し声が、すっと静まった。
ゆっくりと来賓席の扉が開く。
姿を現したのは、フィオレイン国王エドワードと王妃マクベリアだった。
二人の姿に、生徒たちは一斉に頭を垂れる。
「国王陛下、王妃殿下のお成りです」
リヒトの声が響く。
続いて学園長ハロルド・グレイスが演壇へ上がった。
白い髭を撫でながら生徒たちを見渡し、穏やかに口を開く。
「諸君。今年も秋の狩猟大会の日を迎えた」
その声は広場の隅々までよく通った。
「この大会は、弓の腕を競うだけではない」
「己を律し、仲間を敬い、最後まで諦めない心を学ぶ、我が学園に受け継がれてきた伝統である」
男子生徒たちは真剣な表情で耳を傾ける。
「また女子生徒諸君も、お茶会や舞踏会を通じて交流を深め、有意義な一日としてほしい」
ハロルドは穏やかに微笑んだ。
「互いに正々堂々と競い合い、実りある狩猟大会となることを願っている」
大きな拍手が広場を包む。
その拍手が収まるのを待っていたかのように、王妃マクベリアが一歩前へ出た。
優雅に扇を閉じ、いたずらを思いついた少女のような笑みを浮かべる。
「皆様。今年はわたくし、とても張り切って獲物を用意いたしましたの」
「虎ですわ」
突然の言葉に、生徒たちは思わず顔を見合わせた。
王妃は楽しそうに続ける。
「今年の大物は、遥か東方の大陸から運ばれてきた猛獣よ」
広場がざわりと揺れる。
「その中でも今回は、白い毛並みに黒い縞模様を持つ、とても珍しい虎をご用意いたしましたの」
「白い……虎?」
「そんな動物がいるのか?」
「初めて聞いたぞ……」
驚きと期待が入り混じったざわめきが、生徒たちの間を駆け抜けていく。
王妃は満足そうに頷いた。
「毎年、大物は熊ばかりですもの」
「生徒の皆様も、そろそろ飽きてしまわれる頃ではないかと思いまして」
「それに――この虎を仕留めた方が、きっと今回の優勝者になるでしょうね」
その一言に、広場の空気が一瞬で引き締まる。
教師陣は思わず顔を見合わせる。
学園長ハロルドは額へ手を添え、小さく苦笑した。
「王妃殿下……今年も実に大胆でいらっしゃる」
その隣で国王エドワードも肩をすくめる。
「私は止めたのだがな」
「でも、きっと皆様も楽しんでくださいますでしょう?」
王妃がにっこりと微笑むと、生徒たちの間から思わず笑いがこぼれた。
しかし、その瞳には笑顔だけではない。
狩人としての闘志が、静かに燃え始めていた。
◇◇◇
教師たちが男子生徒を誘導し始める。
「各自、馬を受け取ってください!」
「慌てず順番に進むように!」
学園が管理する栗毛や鹿毛の馬たちが、次々と生徒たちへ引き渡されていく。
よく訓練された馬たちは落ち着いた様子で主人を待っていた。
アルクスレイブンも一頭の栗毛馬の手綱を受け取り、優しく首筋を撫でる。
「ゼイン!」
同じ高等部一年の男子生徒たちが笑いながら手を振った。
「じゃあな!」
「あとで結果を聞かせろよ!」
「お前にだけは負けねぇからな!」
アルクスレイブンは小さく笑みを浮かべる。
「ああ。互いに悔いのないよう頑張ろう」
その穏やかな返事に、男子生徒たちは嬉しそうに笑い返した。
その様子を見ていたカインが、真っ直ぐアルクスレイブンを見据える。
「ゼイン」
アルクスレイブンが振り向く。
「今日こそ、お前には負けない」
真剣な眼差しを受けても、アルクスレイブンの表情は変わらない。
「そうか」
静かに頷くだけだった。
その落ち着いた態度に、カインはさらに闘志を燃やす。
一方その頃、メリンダは栗毛の馬の横に立ちながら、女子生徒たちへ爽やかに手を振っていた。
「皆、応援ありがとう!」
「怪我なく戻ってくるよ!」
「メリンダ様ー!」
「頑張ってくださいませ!」
メリンダは笑顔のまま軽く胸に手を当て、優雅に一礼した。
「きゃあー!」
黄色い歓声が広場いっぱいに響き渡る。
その光景を見て、ガルシアは呆れたように肩をすくめた。
「最後まで人気者だな、王子様は」
その隣でクレイスは静かに鹿毛の馬の首を撫で、手綱を整えた。
「準備はいいな」
「もちろん」
メリンダが頷いた。
三人は視線を交わし、小さく頷き合う。
いよいよ、狩猟大会が幕を開けようとしていた。
角笛が再び高らかに鳴り響く。
「出発!」
教師の号令とともに、男子生徒たちは次々と馬を進めた。
蹄の音が重なり合い、秋の森へ向かって一団が駆け出していく。
カインの背も、ゆっくりと遠ざかっていった。
エミリーはその姿をじっと見つめていた。
やがてその背が人混みに紛れ、完全に見えなくなるまで、視線を逸らすことはなかった。
その頃、案内係の教師が女子生徒たちへ声をかける。
「女子生徒の皆様は、庭園へ移動してください」
ざわめきながら、令嬢たちが移動を始める。
イザベルがルルシルの袖を軽く引いた。
「行きましょう、ルルシル」
「ええ」
二人もまた、庭園へと歩き出した。




