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Lumiel Princess〜精霊姫と暁炎の王子〜  作者: 香百杏
第二章 初嵐

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第二十三話 王太子の焦燥

 


 放課後。


 秋の狩猟大会を目前に控えたフィオレイン王立魔法学園の訓練場は、多くの男子生徒たちで賑わっていた。


 狩猟大会で好成績を収めようと、それぞれが弓や剣の鍛錬に励んでいる。


 乾いた弦の音。


 木剣がぶつかり合う音。


 生徒たちの掛け声が、秋の澄んだ空へ響き渡っていた。


 その一角で、カインは一人、黙々と弓を引いていた。


 狙いを定める。


 息を整える。


 放たれた矢は一直線に飛び、的の中心へ突き刺さった。


「さすが王太子殿下……」


 周囲から感嘆の声が漏れる。


 しかし、カインは振り返ることもなく次の矢をつがえた。


 放つ。


 再び中心。


 さらにもう一本。


 寸分違わず中心を射抜く。


 それでも、彼の表情に満足の色は浮かばない。


 次々と矢を放ち続ける姿には、どこか焦りにも似た執念が滲んでいた。


「カイン様……」


 少し離れた場所から、その姿をエミリーが心配そうに見つめていた。


 女子は狩猟大会へ参加することはできない。


 それでも、少しでも力になれたらと、放課後になるたび訓練場へ足を運んでいた。


 以前交わした約束が、今も胸の奥に残っている。


『秋の狩猟大会で、君をクイーンにする』


 その言葉を思い出すたび、胸は温かくなる。


 けれど同時に、不安も募っていた。


 カインは明らかに無理をしている。


 休むことなく弓を引き続け、その表情は一本矢を放つたびに険しさを増していく。


「少し、お休みになりませんか?」


 勇気を出して声を掛ける。


 カインは振り返ることなく、小さく首を横へ振った。


「まだだ」


 短く答え、再び弓を引く。


 矢は再び的の中心へ吸い込まれた。


「必ず勝つ」


 その言葉は、エミリーへ向けたものというより、自分自身へ言い聞かせているようだった。


 エミリーはそれ以上何も言えず、小さく頷く。


 その時だった。


「ゼイン!」


 訓練場の入口から、男子生徒たちの明るい声が響いた。


「今日も勝負しようぜ!」


「今度こそ一本取ってやる!」


 赤い髪をかき上げながら、アルクスレイブンが歩いてくる。


 その隣には、数人のクラスメイトたち。


「そんなに毎日挑んできて飽きないのか?」


 苦笑しながら尋ねると、男子生徒たちは一斉に笑った。


「お前が強すぎるからだ!」


「今日は勝たせてもらうからな!」


「それは努力次第だな」


 アルクスレイブンも楽しそうに笑う。


 留学生でありながら、いつの間にか彼はクラスへ自然と溶け込み、多くの生徒と打ち解けていた。


 その光景を見たカインの表情が曇る。


「……随分楽しそうだな」


 低く漏れたその一言で、訓練場の空気がわずかに張り詰める。


 アルクスレイブンはゆっくりと振り返り、穏やかに一礼した。


「王太子殿下」


 敵意も皮肉もない。


 その落ち着いた態度が、かえってカインの苛立ちを募らせる。


「腕には自信があるようだな」


「それなりには」


「なら、俺と勝負しろ」


 訓練場がざわついた。


「えっ、本当に?」


「王太子殿下とゼインが?」


 男子生徒たちは顔を見合わせる。


 アルクスレイブンは一瞬だけカインを見つめ、それから静かに頷いた。


「私でよろしければ、お相手いたします」


 二人は並んで射場へ立つ。


 先攻はカイン。


 放たれた矢は、迷うことなく的の中心へ突き刺さった。


「さすが王太子殿下……!」


 歓声が上がる。


 続いてアルクスレイブン。


 静かに弓を引き、迷いなく放つ。


 矢は風を裂き、カインの矢をかすめるように中心へ突き刺さった。


「すげぇ!」


「見たか今の!」


 訓練場がどよめく。


 カインは無言のまま二本目を放つ。


 また中心。


 しかし、その直後。


 アルクスレイブンの矢もまた、寸分違わず中心を射抜いた。


 三本目。


 四本目。


 結果は変わらない。


 歓声は次第に消え、訓練場には重苦しい静けさだけが残っていく。


 カインは弓を握る手に力を込めた。


 その視線は、まっすぐアルクスレイブンだけを見据えていた。


「……もう一本だ」


 低く絞り出すように呟く。


 矢筒から新たな矢を抜き取り、再び弓を構えた。


「カイン様!」


 エミリーが慌てて駆け寄る。


「もう十分です!」


「お願いです、やめましょう!」


 しかしカインは首を横に振る。


「まだ終わっていない」


「でも……!」


「終わっていないと言っている!」


 その声に、エミリーは肩を震わせる。


 それでも諦めず、小さく首を振った。


「これ以上は……無理をなさらないでください」


 カインはその言葉を振り切るように矢を放つ。


 乾いた音が響く。


 的の中心。


 だが――。


 アルクスレイブンの矢もまた、寸分違わず中心へ突き刺さった。


 静まり返る訓練場。


 誰も声を上げられない。


「もう一度だ」


 カインは矢をつがえる。


 アルクスレイブンは静かに弓を下ろした。


「王太子殿下」


 穏やかな声音だった。


「これ以上は、おやめになった方がよろしいかと」


 カインは険しい表情で睨み返す。


「そのお手では傷が悪化します」


「無理をなされれば、狩猟大会本番で本来のお力を発揮できません」


「……黙れ」


「あなたほどのお立場のお方なら、ご自身のお身体も務めの一つではありませんか」


「黙れと言っている!」


 怒声が訓練場へ響く。


 エミリーが再びカインの前へ立つ。


「カイン様!」


 そっと右手を取る。


「手が……」


 白い手袋を外した手のひらには、潰れた血豆から赤い血が滲んでいた。


「こんなに……」


 エミリーは慌ててハンカチを取り出し、優しく血を拭う。


「大会まではまだ時間がありますから、どうか無理をしないでください」


 震える指先で傷口を押さえながら、悲しそうに微笑んだ。


「お願いです」


 カインを見つめる瞳には、涙を浮かべている。


 その優しい手つきを見つめながら、アルクスレイブンは静かに目を細める。


(なるほど)


(王太子殿下がここまで感情を乱される理由は、この少女か)


 すべてを察したアルクスレイブンは、静かに口を開いた。


「殿下、本日はこのくらいになさってはいかがでしょう」


「そのお手では、これ以上はご負担が大きい」


 穏やかながらも、はっきりとした声音だった。


 だが、カインは違った。


 エミリーの手をそっと離すと、真っ直ぐアルクスレイブンへ歩み寄る。


「……貴様」


 一歩。


 また一歩。


 そして勢いよく制服の胸ぐらを掴み上げた。


「カイン様!」


 エミリーの悲鳴が響く。


 クラスメイトたちも息を呑み、その場で固まった。


 それでもアルクスレイブンは微動だにしない。


 ただ静かにカインを見返していた。


「お前なんかに言われなくても分かっている!」


 怒りをぶつけるように叫ぶ。


 アルクスレイブンは小さく息を吐くと、誰にも聞こえないほど小さな声で囁いた。


「殿下、おやめください」


 アルクスレイブンの声色は穏やかだった。


 だが、その瞳だけは少しも笑っていない。


「あなたは、俺に勝てない」


 低く、言い切る。


「……っ」


 カインの瞳が大きく揺れた。


 アルクスレイブンは胸ぐらを掴むカインの手に、自らの手を静かに重ねた。


 穏やかな笑みは崩さない。


「歓迎してくださるお気持ち、痛み入ります」


 その瞬間。


 カインの手へ、ぐっと力が伝わる。


「っ……!」


 思わず顔をしかめる。


 潰れた血豆が圧迫され、鋭い痛みが走った。


 アルクスレイブンは笑みを浮かべたまま続ける。


「ですが、他国の私などお気になさらず」


「殿下は、ご自身が向き合うべきことにお力をお使いください」


 静かな声。


 だが、その言葉には王太子としての振る舞いを諭す厳しさが込められていた。


 カインは唇を噛み締める。


 やがて乱暴に手を離した。


「……気に入らない」


 吐き捨てるように言うと、弓を肩へ担ぎ、踵を返す。


「帰る」


「カイン様!」


 エミリーが慌てて後を追う。


 二人の姿が見えなくなると、訓練場には重苦しい沈黙だけが残った。


「……空気、最悪だな」


 誰かがぽつりと漏らす。


 アルクスレイブンは苦笑しながら頭をかいた。


「狩猟大会前だからな」


「みんな気合いが入っているんだろう」


 そう言って弓を持ち直す。


「せっかくだ」


「続きをやろう」


 一瞬の沈黙のあと、男子生徒たちが吹き出した。


「ははっ!」


「切り替え早いな、お前!」


「今日こそ一本取るぞ!」


「望むところだ」


 再び笑い声が訓練場へ響き、重苦しかった空気は少しずつ和らいでいった。

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