第二十話 それぞれの想い【前編】
朝の柔らかな陽射しが、レースのカーテン越しに寝室へ差し込んでいた。
窓の外では小鳥たちがさえずり、穏やかな朝の訪れを告げている。
ルルシルはゆっくりと瞼を開いた。
「……あれ?」
見慣れた天井。
見慣れた寝室。
柔らかな寝台の感触。
昨夜は確か、精霊の森へ向かったはずだった。
ルルシルは身を起こし、不思議そうに部屋を見回す。
(どうして……)
記憶を辿ろうとしたその時、控えめなノックが響いた。
「お嬢様、お目覚めでしょうか」
「ええ、サラ。入ってちょうだい」
扉が静かに開き、朝の支度を整えたサラが一礼する。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう」
ルルシルは微笑み返した。
その表情を見たサラは、ほっと胸を撫で下ろしたように柔らかく微笑む。
「本日は、お顔色がとてもよろしいですね」
「今日はとても良いお天気でございますよ」
ルルシルは首を傾げる。
(……昨夜、私はどうやって部屋へ戻ったのかしら)
はっきりとした記憶はないが、誰かが運んでくれたのだろう。
制服に袖を通しながら、ふと窓の外――精霊の森の方角へと視線を向ける。朝の光に包まれた森は、いつもと変わらぬ静けさを湛えていた。
サラは手際よくブレザーの襟を整えながら微笑む。
「皆様、朝食の席でお嬢様をお待ちでございます」
「そう……ですか」
ルルシルも少しだけ笑みを浮かべた。
◇◇◇
朝食の席には、オルフェウスとクレイスが先に着いていた。
「おはようございます、お父様。お兄様」
「おはよう、ルルシル」
オルフェウスが穏やかに迎える。
クレイスは妹の顔を見るなり、小さく息をついた。
「昨日、あれほど休めと言ったのに」
ルルシルの肩がぴくりと揺れる。
「……森へ行ったな」
「……はい」
素直に頷くしかなかった。
「森で寝ていたぞ」
ルルシルは目を丸くする。
「お兄様が見つけてくださったのですか?」
「ああ」
クレイスは苦笑する。
「アルディオンが迎えに来た」
「部屋まで運んだんだ」
「申し訳ありません……」
ルルシルが小さく頭を下げると、オルフェウスが可笑しそうに笑った。
「クレイス」
「ルルシルは昔からそうだ」
「諦めなさい」
その一言に、クレイスは肩を落とす。
「父上まで……」
「幼い頃から変わらんだろう」
「森で眠っては、お前が迎えに行っていたではないか」
「……確かに」
クレイスは苦笑するしかなかった。
ルルシルは少し恥ずかしそうに視線を逸らす。
「もう子どもではありませんのに……」
「私から見れば、まだまだ子どもだ」
オルフェウスの優しい言葉に、食卓には穏やかな笑いが広がった。
◇◇◇
朝のホームルームが終わり、一時間目。
今日の授業は薬草学だった。
教室いっぱいに乾燥させた薬草や薬液の香りが漂い、生徒たちはそれぞれ白衣へ袖を通していく。
教師が教卓へ立ち、穏やかに口を開いた。
「本日は二人一組で薬草の調合実験を行います」
教室へ緊張が走る。
教師は名簿へ目を落とした。
「ルルシル・ヴァン・ヴェリテ」
「エミリー」
その名前が読み上げられた瞬間、教室中がざわめいた。
「えっ……」
「同じ班?」
「大丈夫なのかしら……」
ひそひそと囁きが広がる。
しかし、ルルシルは周囲を気にすることなく立ち上がった。
静かにエミリーの机へ歩み寄る。
「よろしくお願いいたします」
エミリーは少し驚いたように目を瞬かせた。
「は、はい……よろしくお願いします」
二人は黙々と実験の準備を始める。
ふと、エミリーは違和感を覚えた。
ルルシルの周囲が、ほんのりと明るく見える。
窓から差し込む光とは違う、柔らかく揺らめくような光。
(……あれ?)
目を凝らしても、何かが見えるわけではない。
けれど確かに、ルルシルの周りだけ空気がきらきらと輝いているように感じる。
まるで、見えない何かが集まっているかのように。
(気のせい……?)
そう思いながらも、視線が離せなかった。
ルルシルは何事もないように薬草を扱っている。
その仕草は穏やかで、どこか優しくて――
その周囲の光もまた、彼女に寄り添うように揺れている気がした。
「こちらの薬草をお願いします」
不意に声を掛けられ、エミリーははっと我に返る。
「は、はい!」
慌てて薬草を差し出す。
「では私は薬液を量りますね」
「分かりました」
ぎこちなさはあった。
だが、お互いを気遣いながら手際よく作業は進んでいく。
ルルシルは終始穏やかだった。
責めることもなく、嫌な顔をすることもない。
その様子に、エミリーは少しずつ緊張を解いていく。
(ルルシル様って……)
(噂で聞いていた方と、全然違う……)
そしてもう一度、そっと視線を向ける。
やはり、あの柔らかな光は消えていない。
理由は分からない。
けれど――
(なんだか……とても、綺麗……)
周囲の生徒たちも意外そうな表情で二人を見つめていた。
やがて実験は無事に終了し、教師が一班ずつ成果を確認していく。
順番に評価が告げられる中、教室には緊張した空気が漂っていた。
「ヴェリテ嬢、エミリー」
名前を呼ばれ、二人は顔を上げる。
教師は調合された薬液をじっと見つめ、ゆっくりと頷いた。
「非常に良い出来です」
「配合のバランスも正確で、薬効も安定しています」
「本日の中でも、特に優秀な結果と言えるでしょう」
その言葉に、教室がざわめいた。
「えっ……」
「すごい……」
エミリーは一瞬、言葉を失った。
そして次の瞬間、ぱっと顔を輝かせる。
「ほ、本当ですか……!?」
「はい、とてもよくできていますよ」
教師の穏やかな肯定に、エミリーは思わずルルシルの手を取った。
「ルルシル様……! 成功しました……!」
「私、こんなに上手くできたの初めてです……!」
にこにこと嬉しそうに笑うエミリー。
ルルシルは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「エミリーさんのおかげですわ」
「とても丁寧に作業してくださいましたもの」
「そ、そんな……!」
エミリーは慌てて首を振る。
「私、ほとんどルルシル様に教えていただいて……」
「でも、とても楽しかったです!」
その言葉に、ルルシルは優しく頷いた。
「私もです」
二人の間に、穏やかな空気が流れる。
その様子を、周囲の生徒たちは驚いたように見つめていた。
そして――
「ねえ、見た?」
「ええ……あの二人……」
数人の女生徒たちが、小声で囁き合う。
「思っていたのと、全然違うわね……」
「ルルシル様、あんなに優しい方だったなんて……」
「エミリーさんも、すごく嬉しそうだったわ」
ひそひそとした声は、やがて意味ありげな視線へと変わっていく。
その視線は、どこか興味と――別の感情を含んでいた。
教師は満足そうに頷いた。
「皆さん、お疲れ様でした」
「片付けを始めてください」
その時だった。
「エミリー」
教師が声を掛ける。
「薬品棚の整理をお願いできますか」
「はい」
エミリーは素直に返事をした。
立ち上がったカインが口を開く。
「俺も残る」
しかしエミリーは慌てて首を振った。
「い、いえ!」
「すぐ終わりますから、大丈夫です」
カインは少し迷ったものの、小さく頷く。
「……分かった」
そう言って教室を後にした。
他の生徒たちも次々と退室し、教室にはエミリーだけが残る。
薬瓶を棚へ戻していると、不意に教室の扉が開いた。
「エミリーさん」
数名の令嬢たちだった。
エミリーは驚いて振り返る。
「は、はい……?」
令嬢の一人が上品な笑みを浮かべる。
「少し、お話をよろしいかしら」




