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Lumiel Princess〜精霊姫と暁炎の王子〜  作者: 香百杏
第一章 花起こし

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第十六話 留学生



 アッシェン王国から帰国し、数週間。


 夏休みに入った学園は、昼間であっても人影がまばらで、どこか時間がゆっくりと流れているような静けさに包まれていた。


 その日、ルルシルとクレイスはヴェリテ公爵家の代表として王城を訪れていた。


 青空の下、白亜の城壁は陽光を受けて眩しく輝き、城門をくぐる馬車の車輪が石畳を軽やかに鳴らす。


 中庭に入ると、整えられた花壇からは夏の花々の香りがほのかに漂い、噴水の水音が涼やかに響いていた。


 馬車がゆっくりと停車する。


 先に降りたクレイスがルルシルへ手を差し伸べた。


「足元に気をつけろ」


「ありがとうございます、お兄様」


 ルルシルが微笑みながら馬車を降りると、その瞬間――


 ふわり、と。


 どこからともなく淡い光が舞い降り、ルルシルの髪へとそっと触れた。


 小さな精霊だった。


 透き通るような羽を持ち、光の粒をまとったそれは、まるで当然のようにルルシルの髪にちょこんと腰を下ろす。


『ねえねえ、ここって王様のおうち?』


 楽しげな声が、ルルシルの耳元で弾む。


「そうですよ」


『あれ誰ー? あの人、なんかピリピリしてるー』


 精霊は正面を見て、興味津々に声を弾ませる。


 その視線の先には――


「やっと来たか」


 カインが立っていた。


 腕を組み、どこか不機嫌そうな表情を浮かべている。


 ルルシルは精霊の問いに答えることなく、静かに頭を下げた。


「殿下」


 クレイスが一礼する。


 ルルシルも続いて頭を下げた。


「ごきげんよう、カイン殿下」


『この人王子様ー?』


 ルルシルは一瞬だけ視線をわずかに動かしたが、すぐに何事もなかったかのように表情を整えた。


 そして、ほんの一瞬だけ――


 誰にも気づかれないように、口元にそっと指を当てる。


 静かに、優しく。


 ――しー、と。


 精霊へ向けた、小さな合図。


『……あ』


 精霊はきょとんとした後、ぱっと口を押さえた。


『……しー?』


 小さく囁くような声。


 ルルシルは何も言わないまま、ただ穏やかな表情を保つ。


『……うん、わかった』


 精霊は小さく頷いたものの、すぐにそわそわと落ち着かない様子で辺りを見回す。


『でもでも……あれ何? あの人、なんで怒ってるの?』


 声を潜めているつもりなのか、ひそひそと囁くように話しかけルルシルの髪を軽く引っ張る。


 しかしルルシルは微動だにしない。


 ここは王城、しかも王族の前だ。


 不用意に精霊と会話するわけにはいかない。


『つまんなーい……』


 精霊はしょんぼりとした様子で、ルルシルの髪の上に寝転がるようにして大人しくなった。


「父上がお前たちを呼んでる」


 短くそう告げると、カインは踵を返して歩き出した。


 その背中はいつも通り堂々としているが、どこか落ち着かない気配がわずかに滲んでいる。


 ルルシルとクレイスは顔を見合わせ、小さく頷いた。


「参りましょう」


 三人は王城の廊下を進む。


 高い天井には精緻な装飾が施され、壁には歴代の王や英雄たちの肖像画が並んでいる。窓から差し込む光が床の大理石に反射し、淡く揺れる光の模様を描いていた。


 ルルシルの髪の上では、精霊が退屈そうに足をぶらぶらさせている。


『ねえ、まだー? なんかお話しないのー?』


 小さな声が耳元で囁く。


 ルルシルはわずかに視線を伏せるだけで、やはり何も答えない。


『……もう、どうしてなの』


 精霊はぷい、とそっぽを向いた。


 やがて、重厚な扉の前に辿り着く。


    ◇◇◇


 扉が開かれる。


「失礼いたします」


 三人が室内へ足を踏み入れた瞬間、ルルシルは思わず目を見開いた。


「アッシェン王太子殿下……?」


 執務室には、アッシェン王国の正装ではなく、落ち着いた色合いの衣装に身を包んだアルクスレイブンが立っていた。


 その姿は以前と変わらず端正でありながら、どこか柔らかな雰囲気を纏っている。


 その隣には、一人の青年が控えていた。


 整った立ち姿に無駄はなく、静かな気配を纏っている。鋭さと落ち着きを併せ持つその眼差しは、ただの従者ではないことを物語っていた。


 そして足元では、レグロナグラが静かに伏せている。


 その毛並みは炎のように揺らめき、呼吸に合わせて淡く赤い光が脈打つ。黄金の瞳は静かに周囲を見渡し、ただそこにいるだけで空気がわずかに熱を帯びるようだった。


 ルルシルの髪の上の精霊が、ぴくりと反応する。


『わあ……あれ、すごいのいる……』


 小さく息を呑むような声。


 しかしルルシルはやはり何も答えない。


『ねえねえ、あれ何? 強そう……』


 興味津々に身を乗り出す精霊。


 だが返事はない。


『……やっぱりつまんない』


 精霊は再びしょんぼりと肩を落とした。


 クレイスも驚きを隠せなかった。


「どうして、アッシェン王太子殿下がこちらに……?」


 その言葉に、アルクスレイブンは穏やかに笑う。


「驚かせてしまったな、クレイス」


「申し訳ありません」


「だがこの反応を見る限り、どうやら成功したようだ」


 室内へ小さな笑いが広がる。


 アルクスレイブンは軽く視線を横へ向けた。


「紹介しよう」


 隣に立つ青年へと手を差し出す。


「こちらはライル・グラン。私の側近であり護衛でもある。そしてクレイスと同い年で、今回の留学に伴い共に学園へ通うことになる」


 ライルは一歩前へ出て、静かに一礼した。


「ライル・グランと申します。以後、お見知りおきを」


 その声は落ち着いており、無駄な感情を感じさせない。それでいて、確かな実力を秘めていることが伝わってくる。


 ルルシルは丁寧に頭を下げた。


「ルルシル・ヴァン・ヴェリテと申します。よろしくお願いいたします」


 クレイスも続く。


「クレイス・ヴァン・ヴェリテだ。どうぞよろしく」


 レグロナグラがゆっくりと顔を上げ、ルルシルへ視線を向けた。


 その瞬間、わずかに空気が揺らぐ。


 炎のような魔力が静かに広がり、しかし決して威圧的ではなく、ただ存在を示すように穏やかに漂った。


 ルルシルはその視線を受け止め、小さく微笑む。


 レグロナグラは満足したように再び伏せ、尾をゆったりと揺らした。


 エドワード国王が静かに口を開いた。


「実は以前より、アッシェン国王とは話を進めておった」


「両国の文化や魔法について互いに学び合うため、アルクスレイブン殿下を我が国へ留学させたい、と」


 ルルシルは静かに耳を傾ける。


 髪の上の精霊は、話の内容にはあまり興味がないのか、退屈そうにくるくると回っていた。


『むずかしい話ばっかり……』


 小さくぼやく声。


 それでもルルシルは、ただ静かに前を見据えている。


「本来であれば、もう少し後に知らせる予定だった」


「だが、建国記念式典でお前たちも面識を得た」


「良い機会だと思い、この場で伝えることにしたのだ」


 アルクスレイブンが一歩前へ出る。


「改めまして、よろしくお願いいたします」


「秋から、フィオレイン王立魔法学園へ通わせていただきます」


 ルルシルは小さく微笑み、一礼した。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 クレイスも穏やかに頷く。


「再びご一緒できることを嬉しく思います」


 しかし、エドワードはそこで一つ指を立てた。


「ただし、一つ条件がある」


 部屋の空気が少しだけ引き締まる。


「学園では、アルクスレイブン殿下は王太子としてではなく、ゼイン公爵家の子息として過ごしていただく。ゼイン公爵家はアッシェン国の貿易を主に担っている名門であり、フィオレインでも広く知られている家だ」


「王族であることは、ごく限られた者しか知らぬ」


「学園生活に不要な混乱を招かぬためだ」


 ルルシルは静かに頷いた。


「承知いたしました」


 クレイスも同じく頭を下げる。


「生徒会としても、全力で支えさせていただきます」


 アルクスレイブンは穏やかに微笑んだ。


「心強い、頼りにしている」


 その一方で。


 部屋の隅に立つカインだけは、終始無言だった。


 腕を組んだまま、わずかに眉をひそめている。


 アッシェンでの出来事。


 夕食会で見たルルシルの笑顔。


 アルクスレイブンと並んでいたその姿。


 胸の奥に残る、言葉にできない感情が静かに燻っていた。


 エドワードは立ち上がり、一同を見渡す。


「秋から、新たな学園生活が始まる」


「互いに学び、多くを得てくるがよい」


 窓の外では、夏の日差しが城下町を明るく照らしていた。


 遠くで風が木々を揺らし、葉擦れの音がかすかに届く。


 そして季節は、ゆっくりと秋へ向かおうとしていた。

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