第十四話 憧れの背中【前編】
アッシェン王国への出発を翌日に控えた夕方。
王城の一室では、第二王子セシル・フィオレインが旅行鞄へ荷物を詰めていた。
「着替えは入れましたし、お土産を入れる袋も持ちました」
一つひとつ確認しながら荷物を整えていると、ふわりと柔らかな光が舞い降りる。
『セシル』
花びらのような羽を揺らしながら、小さな精霊が目の前へ飛んできた。
契約精霊、フロリエナだった。
「フロリエナ」
セシルは優しく微笑む。
『一緒に行けないのかしら?』
どこか寂しげに、けれど穏やかな声音で問いかけるフロリエナに、セシルは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめんなさい」
「今回は外交のためにアッシェン王国へ向かうので、皆さんのお邪魔になってしまいます」
「お城でお留守番をお願いしますね」
『そう……仕方がないわね』
『ちゃんといい子で待っているから、安心して行っていらっしゃい』
優しく諭すようなその言葉に、セシルはほっとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます」
セシルはそっと指先を差し出す。
フロリエナは嬉しそうにその指へ腰掛けた。
「帰ってきたら、たくさんお話を聞いてください」
『ええ、楽しみにしているわ』
『約束よ』
「はい、約束です」
小さな約束を交わすと、フロリエナは満足そうに微笑んだ。
◇◇◇
――そして。
アッシェン王国。
建国記念式典。
神木。
城下町。
セシルにとって、そのすべてが初めて見る景色だった。
「本当に……すごい国でした」
帰国の準備を進めながら、セシルはこの数日間を思い返していた。
街には数え切れないほどの精霊が飛び交い、人々はまるで家族へ話しかけるように精霊へ笑いかけている。
パン屋では風の精霊が窯を手伝い、花屋では水の精霊が花へ水を与え、牧場では風の精霊や土の精霊が牛や羊たちと寄り添って暮らしていた。
人も精霊も、ごく当たり前のように助け合っている。
その光景は、セシルの胸へ強く刻まれていた。
中でも忘れられないのは、建国記念式典で見た祈りの舞だった。
静まり返った会場。
神聖な空気の中で舞うアッシェン国王。
そして最後に姿を現した、白い体に青い炎を纏う巨大な狼の精霊。
神木の枝を静かに染め上げたあの姿は、今も鮮明に思い出せる。
「あんな光景、初めて見ました……」
思わず呟く。
そしてもう一つ、心へ残っているものがあった。
外交の場で堂々と振る舞う兄カイン。
来賓への挨拶を滞りなくこなすクレイス。
穏やかな笑顔で各国の貴族と言葉を交わすルルシル。
皆がとても大人に見えた。
「僕も、いつかあんなふうになれるでしょうか……」
王位を継ぐのは兄、カイン。
自分は第二王子だ。
だからこそ、自分にできることがある。
父を支え続けるオルフェウス公爵。
兄を支え続けるクレイス。
その姿を、セシルはずっと尊敬してきた。
「僕も、お兄様を支えられる王族になりたい」
その想いは昔から変わらない。
だからこそ、今回のアッシェン訪問で出会った一人の青年は、セシルにとって憧れの存在になった。
アルクスレイブン・アッシェン。
城下町では、誰もが笑顔で彼へ声を掛けていた。
「アルクスレイブン殿下!」
「今日は視察ですか!」
「いつもありがとうございます!」
職人も。
子どもも。
老人も。
身分に関係なく、皆が自然な笑顔を向ける。
そしてアルクスレイブンも、一人ひとりの名前を呼び、穏やかに言葉を返していた。
その姿は、セシルの目にとても眩しく映った。
「かっこいいな……」
王族でありながら、人々からこれほど慕われている。
自分も、いつかそんな王族になりたい。
そう思わずにはいられなかった。
さらに市場では、一緒にルルシルへの髪飾りを選んだ。
「ルルシルお姉様は、僕にとって大切なお姉様なんです」
そう話した時、アルクスレイブンは優しく微笑みながら答えてくれた。
「そのお気持ちは、きっとヴェリテ公爵令嬢にも伝わります」
その一言が、とても嬉しかった。
優しくて、落ち着いていて、人の話を最後まで聞いてくれる。
兄とはまた違う格好良さだった。
帰国まで、あと少し。
どうしても伝えたいことがあった。
「……よし」
セシルは小さく拳を握る。
「出発する前に、アルクスレイブン殿下へ会いに行こう」
その決意を胸に、部屋を飛び出していった。




