第十三話 市場へ【後編】
喫茶店で穏やかなひとときを過ごした一行は、夕暮れが近づく頃、王城へと戻ってきた。
西日に照らされた城壁は淡い朱色に染まり、庭園を吹き抜ける風は昼間よりも少しだけ冷たく感じられる。
「本日はありがとうございました」
ルルシルが一礼すると、アルクスレイブンも静かに頭を下げた。
「こちらこそ、皆様にアッシェンをご案内でき、嬉しく思います」
その後、それぞれの部屋へ戻り、夕食会に向けて身支度を整えることとなった。
ルルシルの部屋では、侍女のサラが手際よくドレスの準備を進めている。
「本日はとても楽しまれたご様子でしたね、お嬢様」
「ええ、とても素敵な街でした」
ルルシルが穏やかに答えると、サラはふと嬉しそうに微笑んだ。
「それにしても、アルクスレイブン殿下は本当にお優しい方ですね」
「セシル様にも丁寧に接していらして……見ていて安心いたしました」
その言葉に、ルルシルは一瞬だけ言葉を失う。
「……そうですね」
静かに頷くしかなかった。
サラは続ける。
「お嬢様にも、とても気遣っていらっしゃいましたし」
「本当に素敵な方です」
そして、少しだけ声を潜めるようにして言った。
「……カイン様も、もう少しお嬢様に優しくしてくださればよろしいのに」
「どうしてあのように距離を置かれるのでしょう」
その言葉に、ルルシルの胸がわずかに揺れる。
「サラ」
やんわりと制するように名前を呼ぶ。
「そのようなことを言ってはいけません」
「……申し訳ございません」
サラはすぐに頭を下げたが、その表情には納得しきれない様子が残っていた。
ルルシルは鏡に映る自分の姿を見つめる。
アルクスレイブンの穏やかな笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
そして同時に、カインの無表情な横顔も。
「……」
胸の奥に、言葉にできない感情が静かに広がる。
それが何なのか、自分でもはっきりとは分からなかった。
「お嬢様、こちらでよろしいでしょうか」
サラの声に、ルルシルは我に返る。
「ええ、ありがとう」
身支度を整え終えたルルシルは、小さく息を整えた。
そして一同は、夕食会の会場へと向かった。
◇◇◇
広間には長い食卓が用意され、フィオレイン王国とアッシェン王国の王族、公爵家の者たちが席に着いていた。
テーブルにはアッシェンの郷土料理が並び、香ばしく焼き上げられた肉料理や、香草を使った温かなスープ、色鮮やかな野菜料理が食卓を彩っている。
ふわりと漂う香りに、ルルシルは思わず目を細めた。
「どれも美味しそうですね」
小さく呟くと、隣に座るセシルが嬉しそうに頷く。
「市場でも似た香りがしていました。あの時の料理と同じでしょうか」
その言葉に、アルクスレイブンが穏やかに説明する。
「はい。アッシェンでは香草を多く使う料理が好まれております」
「特にこのスープは、精霊の加護を受けた水を使っていると伝えられているのですよ」
「まあ……」
ルルシルは興味深そうにスープを見つめた。
「精霊の国らしいお料理ですね」
和やかな雰囲気の中、国王同士の会話も弾んでいた。
「本日の城下町はいかがでしたかな」
アッシェン国王が笑顔で尋ねる。
その言葉にセシルが元気よく答える。
「とても楽しかったです。皆さん優しくて、また来たいと思いました」
広間に小さな笑いが広がる。
「それは何よりです」
アッシェン国王が目を細める。
そして、ゆっくりとアルクスレイブンへ視線を向けた。
「アルクスレイブン」
「本日の案内、見事であった」
「客人に対する気遣いも行き届いており、誇らしく思うぞ」
その言葉に、アルクスレイブンは静かに頭を下げる。
「恐れ入ります」
「皆様に楽しんでいただけたのであれば、それが何よりでございます」
その時だった。
セシルは何かを思い出したように振り返り、控えていたサラに声をかける。
「サラ、その小さな箱をルルシルお姉様に」
サラはすぐに頷き、小箱を手に取るとルルシルのもとへ歩み寄る。
「お姉様、こちらを開けてみてください」
突然のことに、ルルシルは目を丸くした。
「私に、ですか?」
セシルは嬉しそうに頷く。
「今日、市場で選んだ髪飾りです。アルクスレイブン殿下にも少し助言をいただきました」
その言葉に、皆の視線が自然とアルクスレイブンへ向く。
アルクスレイブンは微笑んだ。
「私は少し助言をしただけです」
「お選びになったのは、セシル殿下ですよ」
ルルシルは箱を開けた。
中には、透明なガラスで作られた繊細な髪飾りが収められていた。
妖精の羽のように薄く広がる装飾は、光にかざすと虹色にきらめき、鈴蘭の花が巧みに形作られている。
かんざしをわずかに揺らせば、ガラスの鈴蘭が朝露をまとったようにきらきらと輝き、静かに揺れた。
「……とても素敵です」
ルルシルは自然と笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
「大切にいたします」
セシルも満足そうに微笑んだ。
その様子を見守っていたアッシェン国王が、楽しそうに笑う。
「ははは」
「息子とセシル殿下は、すっかり兄弟のようですな」
アルクスレイブンは少し困ったように笑う。
「恐れ多いお言葉です」
「ですが、本日は私も楽しい時間を過ごさせていただきました」
セシルは照れくさそうに笑い、軽く頷いた。
「またご一緒できたら嬉しいです」
「ええ」
アルクスレイブンも穏やかに頷く。
「私も楽しみにしております」
そのやり取りを見つめていたマクベリア王妃は、微笑みながら頷いていた。
しかし、その隣に座るカインだけは違った。
髪飾りを見つめたまま、静かに視線を落とす。
婚約者へ贈り物をしたのは、自分ではない。
その事実が胸の奥へ小さく引っ掛かる。
だが、それを口にすることはなかった。
「……」
無言のまま、手元のグラスへ視線を落とす。
その小さな変化に気付いたのは、母であるマクベリア王妃だけだった。
王妃は息子を一瞥すると、何も言わず静かに微笑む。
夕食会は穏やかな雰囲気のまま続き、アッシェンで過ごす一日は、ゆっくりと幕を閉じていくのだった。
◇◇◇
夜も更け、ルルシルは自室へと戻っていた。
ドレスを脱ぎ、軽装に着替えた後、ふと机の上に置かれた小箱へ視線を向ける。
「……」
ゆっくりと手を伸ばし、箱を開けた。
中には、夕食会で贈られた髪飾りが静かに収められている。
そっと取り出し、灯りにかざす。
ガラスの鈴蘭が柔らかな光を受けて、淡く輝いた。
「綺麗ですね」
思わず零れた言葉に、背後に控えていたサラも微笑む。
「本当に……とても繊細で、美しいお品でございます」
「セシル様のお気持ちが伝わってまいりますね」
ルルシルは小さく頷いた。
「ええ……」
指先でそっと触れながら、その輝きを見つめる。
今日一日の出来事が、静かに胸の中で重なっていく。
胸の奥が、温かくなる。
ルルシルはしばらくの間、髪飾りを見つめ続けていた。




