第十一話 精霊が集う夜【後編】
規則正しい足音は、静かな庭園へゆっくりと近付いてくる。
やがて月明かりの中へ、一人の青年が姿を現した。
燃えるような深紅の髪。
琥珀色の瞳。
アッシェン王国王太子、アルクスレイブン・アッシェンである。
アルクスレイブンはレグロナグラの姿を見つけると、小さく息をついた。
「ここにいたか」
その声にレグロナグラは振り返る。
『追って来たか』
「お前が傍を離れることは滅多にないからな」
アルクスレイブンは不満げに言う。
「突然姿が見えなくなって、何事かと思ったぞ」
『少し気になる人間がいてな』
「ほう?」
アルクスレイブンはわずかに眉を上げる。
「お前が“気になる”などと言うとは珍しいな」
『珍しいこともある』
『それとも、いちいち報告が必要か?』
「いや、そこまでは求めていないが」
アルクスレイブンは肩をすくめる。
「ただ、俺を置いて勝手に興味を持つとは、少し寂しいものだな」
『ほう、王太子ともあろう者が拗ねるのか』
「拗ねてはいない」
「事実を述べただけだ」
『ならば安心しろ』
『お前より面白い人間は、そうそういない』
「それは褒めているのか?」
『どう受け取るかは任せる』
アルクスレイブンは小さく笑った。
「相変わらずだな、お前は」
そう言ってレグロナグラはルルシルへ視線を向けた。
アルクスレイブンもその先を見て、わずかに目を見開く。
「ヴェリテ公爵令嬢」
「アッシェン王太子殿下」
二人は静かに一礼を交わした。
昼間は形式的な挨拶だけだった。
こうしてゆっくり言葉を交わすのは初めてだった。
アルクスレイブンはレグロナグラを見つめる。
「珍しいな」
「お前が、自分から誰かに話しかけるなんて」
『気になっただけだ』
『この者は精霊たちと普通に語り合う』
『それだけでも珍しい』
『だが、それ以上に面白い』
レグロナグラは静かに続ける。
『精霊たちが自然と集まり、穢れまで浄化されていく』
『そんな人間は見たことがない』
アルクスレイブンは少し驚いたようにルルシルを見つめた。
「……そうでしたか」
ルルシルは少し困ったように微笑む。
「私自身は、そのような力を意識したことはございません」
「ですが、精霊の皆さんが穏やかに過ごしてくださるのであれば、とても嬉しく思います」
その言葉に、アルクスレイブンは小さく笑みを浮かべた。
「あなたらしいお答えですね」
短い沈黙が流れる。
噴水の水音だけが静かに響いていた。
アルクスレイブンはふとルルシルの表情を見つめる。
「……顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
ルルシルは少し驚いたように目を瞬かせた。
「申し訳ございません」
「少し休ませていただいたので、もう大丈夫です」
「建国記念式典から舞踏会まで続いておりますから」
「お疲れになるのも無理はありません」
その声音は穏やかだった。
責めるでもなく、ただ相手を気遣っていることが伝わってくる。
ルルシルは静かに頭を下げた。
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
アルクスレイブンは庭園を見渡す。
「この庭は、私も幼い頃からよく訪れておりました」
「人が少なく、精霊たちも穏やかです」
ルルシルは夜空を見上げる。
「とても素敵な場所ですね」
「花の香りも風も心地よく、心が落ち着きます」
「お気に召していただけたようで何よりです」
夜風が二人の髪を優しく揺らした。
しばらく静かな時間が流れる。
するとレグロナグラが小さく鼻を鳴らした。
『戻らなくていいのか』
アルクスレイブンは苦笑する。
「そうだったな」
「舞踏会の途中だった」
ルルシルも小さく笑う。
「皆様にご心配をお掛けしてしまいますね」
アルクスレイブンはルルシルの前へ一歩進むと、右腕を静かに差し出した。
「よろしければ、会場までお送りいたします」
ルルシルは少し驚いたものの、柔らかく微笑む。
「ありがとうございます」
そっと腕へ手を添える。
二人はゆっくりと歩き始めた。
その後ろでは精霊たちが嬉しそうに飛び回る。
『仲良し!』
『また来てね!』
『今度はもっと遊ぼう!』
ルルシルはくすりと笑い、小さく振り返った。
「はい。また皆さんにお会いできる日を楽しみにしております」
アルクスレイブンはその様子を見て、不思議そうに首を傾げた。
「何か、良いことでもございましたか」
ルルシルは少し照れたように微笑む。
「皆さんが、また来てほしいと仰ってくださったのです」
アルクスレイブンは周囲の精霊たちへ目を向ける。
精霊たちは嬉しそうにルルシルの周りを飛び回っている。
その光景を見つめながら、アルクスレイブンは静かに呟いた。
「本当に……精霊から愛されているのですね」
ルルシルは答える代わりに、優しく微笑んだ。
月明かりに照らされた二人の後ろ姿を、精霊たちは楽しそうに見送っていた。
静かな夏の夜は、二人の新たな縁を祝福するように、どこまでも穏やかに更けていくのだった。




