第十一話 精霊が集う夜【中編】
舞踏会の賑わいを後にしたルルシルは、一人静かに大広間を後にした。
扉が閉まると、先ほどまで響いていた音楽や人々の笑い声は遠くなり、代わりに涼しい夜風が頬を優しく撫でる。
導かれるように庭園へ足を踏み入れると、そこはまるで別世界だった。
夏とは思えないほど心地よい風が木々の葉を揺らし、庭園いっぱいに植えられた花々が甘く爽やかな香りを漂わせている。
月光を浴びた白百合。
風に揺れるラベンダー。
淡い桃色のフロックス。
花々の間を小さな精霊たちが楽しそうに飛び回り、その軌跡が淡い光となって夜の庭園を彩っていた。
中央には大きな噴水があり、水が静かな音を立てながら流れ落ちている。
周囲に灯りはない。
月と満天の星だけが庭園を照らし、その光が噴水の水面へ反射して幻想的な景色を作り出していた。
「……綺麗」
思わず漏れたその一言は、夜風へ溶けていく。
ルルシルは噴水の縁へ腰を下ろした。
ひんやりとした石の感触が心地よい。
目を閉じると、昼間から絶え間なく聞こえていた精霊たちの声も、ここでは穏やかな波のように耳へ届いてくる。
静かに深呼吸を繰り返していると、小さな光が一つ、また一つと近付いてきた。
『大丈夫?』
『疲れちゃった?』
『お顔が白いよ』
『無理しちゃだめだよ』
気付けば十数匹の精霊たちがルルシルを囲んでいた。
肩ほどの高さを飛ぶ子もいれば、膝の上へちょこんと座る子もいる。
銀色の髪へ隠れるように寄り添う子までいた。
ルルシルは思わず小さく笑う。
「ふふっ……くすぐったいですよ」
『笑った!』
『元気になった!』
『よかったぁ!』
精霊たちは嬉しそうにはしゃぎ回る。
「ありがとうございます。」
「少し休ませていただいたら、もう楽になりました。」
『ほんと?』
『よかった!』
『心配したんだからね!』
一匹の小さな風の精霊が首を傾げた。
『ねぇねぇ!』
『あなた、お名前は?』
「ルルシルと申します。」
『ルルシル!』
『かわいい名前!』
『どこから来たの?』
「フィオレイン王国から来ました。」
『遠いところから来たんだね!』
『アッシェンはどう?』
ルルシルは庭園を見渡した。
「とても素敵な国です。」
「風は涼しく、お花も綺麗で……。」
「皆さんも、とても優しいですね。」
その言葉に精霊たちは顔を見合わせる。
『えへへ!』
『褒められちゃった!』
『ルルシル好きー!』
何匹もの精霊が一斉にルルシルへ抱きついた。
肩へ。
腕へ。
膝へ。
髪へ。
まるで子どもたちが母親へ甘えるようだった。
「皆さん、本当に仲が良いのですね。」
『ルルシルが好きだから!』
『ずっと一緒にいたい!』
『安心するんだもん!』
ルルシルは不思議そうに首を傾げる。
「安心……ですか?」
『うん!』
『あったかいの!』
『ぽかぽかする!』
『眠くなるくらい気持ちいい!』
その時だった。
『……なるほど。』
低く落ち着いた声が響く。
精霊たちが一斉に振り返る。
『レグロナグラ!』
『来た!』
月明かりの中から、一匹の大きな精霊が静かに姿を現した。
黒い狼にも狐にも見えるしなやかな身体。
燃えるような赤い鬣。
黄金色の瞳が静かにルルシルを見つめている。
昼間、アルクスレイブンの傍に寄り添っていた高位精霊だった。
ルルシルは静かに立ち上がり、一礼する。
「こんばんは。」
レグロナグラは小さく鼻を鳴らした。
『昼間から気になっていた。』
『だから、お前を追い掛けてきた。』
「私をですか?」
『ああ。』
『我が名はレグロナグラ。』
『この地を守護する高位精霊の一柱だ。』
ルルシルは改めて丁寧に頭を下げる。
「ルルシルと申します。」
「フィオレイン王国より参りました。」
『ふむ……ルルシルか。』
『覚えておこう。』
『精霊どもがお前の周りへ集まり過ぎる。』
『何故なのか、自分の目で確かめたかった。』
そう言うと、レグロナグラはルルシルの周りをゆっくり歩き始める。
まるで何かを確かめるように。
黄金色の瞳が静かに細められた。
『……そういうことか。』
ルルシルは首を傾げる。
「何か、分かったのですか?」
レグロナグラは静かに頷いた。
『お前の纏う魔力とオーラだ。』
『とても温かい。』
『まるで春の日差しのようだ。』
周囲の精霊たちが一斉に頷く。
『そうなの!』
『あったかいの!』
『だから好き!』
『安心する!』
レグロナグラは続けた。
『精霊は、人間より遥かに魔力や感情へ敏感だ。』
『穢れに触れ続ければ疲れ、心も曇る。』
『だが、お前の魔力は違う。』
ルルシルを真っ直ぐ見つめる。
『お前のオーラは温かく、自然と精霊を癒やしている。』
『いや――。』
『癒やすだけではない。』
『穢れを静かに浄化している。』
ルルシルは目を見開いた。
「浄化……。」
『意識しているわけではないだろう。』
『だが、お前はそこにいるだけでいい。』
『疲れた精霊は、お前の傍にいるだけで心が安らぐ。』
『だから皆、お前の近くへ集まる。』
『話したくなる。』
『傍にいたくなる。』
『それは本能だ。』
精霊たちは嬉しそうに笑い合う。
『うん!』
『ルルシル大好き!』
『ぽかぽかするもん!』
『ずっと一緒にいたい!』
ルルシルは胸へそっと手を当て、小さく微笑んだ。
「そのように感じてくださっているのでしたら……。」
「私は、とても嬉しいです。」
その笑顔を見た精霊たちは、また一斉にルルシルへ飛び付いた。
レグロナグラはその光景を静かに見つめ、小さく笑う。
『……面白い人間だ。』
『お前なら、この国の精霊たちにも愛される理由がよく分かる。』
遠くから誰かを探すような足音が、静かな庭園へ近付いてきた。




