第十一話 精霊が集う夜【前編】
建国記念式典は、多くの拍手に包まれながら幕を閉じた。
各国の来賓たちは、それぞれ控室へ戻り、夜に開かれる舞踏会の支度を始める。
フィオレイン王国へ用意された控室でも、侍女や侍従たちが慌ただしく動いていた。
着替えを終えたルルシルが姿を現す。
身に纏うのは、濃紺を基調としたロングドレス。
胸元から裾にかけて繊細な金糸の刺繍が施され、歩くたびに上品な輝きを放つ。
肩や袖口にはフィオレイン王国の国章を模した刺繍が控えめにあしらわれ、未来の王太子妃としての格式を感じさせる装いだった。
銀色の髪はゆるやかにまとめられ、紺と金を基調とした髪飾りが静かに彩りを添えている。
「お姉様!」
セシルが目を輝かせながら駆け寄ってきた。
「先ほどの白い狼の精霊、ご覧になりましたか?」
ルルシルは微笑みながら頷く。
「はい。本当に神々しいお姿でした」
「僕、あんなに大きな精霊は初めて見ました!」
「お姉様も初めてだったのですか?」
「ええ」
ルルシルは静かに答える。
「文献で存在は知っていましたが、実際に拝見したのは私も初めてです」
「葉が赤く染まった時、とても綺麗でしたね!」
「精霊たちも、とても嬉しそうでした」
「やっぱり、お姉様には分かったのですね」
セシルは嬉しそうに笑う。
「来年も来てくださるでしょうか」
「それは誰にも分かりません」
ルルシルも柔らかな笑みを返した。
「姿を現す年もあれば、現れない年もあるそうですから」
「また見られるといいですね」
「はい」
二人は顔を見合わせ、穏やかに微笑み合った。
◇◇◇
控室の扉が開く。
「カイン殿下、ご準備が整いました」
侍従の声に続き、カインが姿を現した。
濃紺の礼装に身を包み、金糸の刺繍が施された上着は王太子らしい気品を漂わせている。
ルルシルの装いと同じ意匠が随所に取り入れられており、一目で婚約者同士の正装だと分かる。
カインはルルシルの前まで来ると、小さく息を吐いた。
「行くぞ」
短く言って腕を差し出す。
ルルシルは静かに腕を添えた。
二人は並んで廊下を歩き始める。
しばらく沈黙が続いた。
やがてカインがぼそりと呟く。
「……本当なら」
「今日はエミリーと一緒に来たかった」
ルルシルは少しだけ目を伏せたが、穏やかな表情は崩さない。
「そうでしたか」
「ですが、本日は建国記念式典に伴う外交の場です」
「婚約者としてご一緒できることを光栄に思います」
その返事に、カインは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
◇◇◇
しばらく歩いたところで、ルルシルが穏やかに口を開く。
「そういえば、明日は城下町をご視察されると伺いました」
「ああ」
「視察を兼ねて、少し自由時間もあるらしい」
「でしたら」
ルルシルは静かに微笑む。
「エミリーさんへのお土産をご覧になってはいかがでしょう」
「この国ならではの工芸品や、お菓子もあるそうですよ」
カインは思わず足を止めた。
「……お前」
驚いたようにルルシルを見る。
「そういうことを平気で言うんだな」
「エミリーさんも、お喜びになると思います」
何事もなかったかのように答えるルルシルに、カインは複雑そうな表情を浮かべた。
「……別にいい」
そう言って再び歩き始める。
◇◇◇
舞踏会の会場へ入ると、優雅な音楽が流れ、各国の王族や貴族たちが華やかに談笑していた。
ルルシルとカインの姿に気付くと、多くの来賓が笑顔で歩み寄ってくる。
「カイン殿下」
「ルルシル様」
「お久しぶりでございます」
二人は自然な笑みで応じる。
幼い頃から外交教育を受けてきた二人の受け答えは息が合い、話題が途切れることはない。
王太子と婚約者として、多くの視線を集めながらも堂々としていた。
やがて一人のアッシェン貴族が流暢なアッシェン語で話しかける。
カインは一瞬だけ言葉に詰まった。
その僅かな間を埋めるように、ルルシルが自然な笑みでアッシェン語へ切り替える。
流れるように会話を続けながら、要点をさりげなくフィオレイン語へ言い換える。
そのおかげで、カインもすぐに話へ加わることができた。
周囲の誰一人として、不自然さを感じることはなかった。
来賓が去ると、カインは小さく息を吐く。
「……助けてもらわなくても大丈夫だった」
「申し訳ございません」
「会話が途切れそうでしたので」
ルルシルは静かに頭を下げる。
「余計な気を遣わせてしまいました」
カインは返事をせず、視線だけを逸らした。
悔しさを押し隠していることは、長い付き合いのルルシルには分かった。
◇◇◇
舞踏会はますます賑わいを見せていく。
人々の笑い声。
楽団の演奏。
グラスが触れ合う澄んだ音。
そして、それ以上に。
『すごい人だね!』
『お祝いだ、お祝いだ!』
『楽しいね!』
無数の精霊たちの声が、ルルシルの耳へ一斉に届いていた。
建国記念式典を終えた高揚感からか、昼間以上に多くの精霊が会場へ集まっている。
人の熱気と魔力が混ざり合い、ルルシルは胸の奥が少しずつ苦しくなっていくのを感じた。
それでも笑みを絶やさず、来賓への応対を続ける。
そんなルルシルを見ていたカインが、ふと眉をひそめた。
「……おい」
ルルシルが振り向く。
「はい」
「顔色が悪いぞ」
「少し休めば大丈夫です」
そう答えた声は、いつもより少しだけ弱々しかった。
カインはしばらく黙ってルルシルを見つめる。
そして小さく息を吐いた。
「ここは俺が何とかする」
「少し外の空気を吸ってこい」
思いがけない言葉に、ルルシルは少し驚いたように目を瞬かせた。
「ありがとうございます」
深く一礼すると、人混みを避けるように静かに会場を後にする。
その後ろ姿を見送りながら、カインは誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「……無理すんなよ、バカ」
その声は、舞踏会の音楽に静かに溶けていった。




