第十話 アッシェン王国へ【後編】
馬車はゆっくりと王都を進み、やがてアッシェン王城へ到着した。
白い石壁と深紅の屋根が美しく調和した壮麗な城。
城門や塔にはアッシェン王国の国章が掲げられ、澄み切った青空によく映えていた。
「ようこそお越しくださいました」
迎えの侍従が恭しく一礼し、一行を式典会場へ案内する。
城内へ足を踏み入れたルルシルは、思わず周囲を見渡した。
フィオレイン王国とは建築様式も装いも大きく異なる。
木の温もりを生かした柱や梁には国章を模した繊細な彫刻が施され、廊下には赤や金を基調とした織物が飾られていた。
そして何より目を引いたのは、人々の服装だった。
男性は立ち襟の上着を帯で留め、その上からゆったりとした羽織を纏っている。
女性も幾重にも布を重ねた気品ある礼装を身にまとい、落ち着いた色彩の中へ王家の紋章が美しく刺繍されている。
豪華でありながら華美ではなく、自然と調和するような落ち着いた美しさがあった。
「とても素敵な装いですね」
「ああ。建国以来受け継がれてきた正装だ」
クレイスが頷く。
「四季によって生地や色合いも変わるそうですよ」
「国の文化が衣装にも表れているのですね」
ルルシルは穏やかに微笑んだ。
◇◇◇
式典会場へ足を踏み入れると、すでに多くの来賓が集まっていた。
各国の王族や貴族、外交官たちが穏やかに歓談を交わし、その傍らでは精霊たちも思い思いに飛び回っている。
人と精霊が自然に同じ空間を楽しむ光景は、この国らしい温かな空気を生み出していた。
その時。
「フィオレイン王国、アルベルト国王陛下御一行のご到着です」
侍従の声が会場へ響く。
歓談していた人々が一斉に入口へ視線を向けた。
「フィオレイン王国だ」
「アルベルト国王陛下がお見えになった」
「ヴェリテ公爵閣下もいらっしゃる」
小さなどよめきが広がる。
「あの銀髪のお方が……」
「ヴェリテ公爵家のご令嬢か」
しかし、それ以上騒ぎ立てる者はいない。
外交の場にふさわしく、皆が礼節をもって一行を迎えていた。
◇◇◇
やがて正面からアッシェン国王と王妃が歩み寄る。
国王の深紅の長い髪は美しく結われ、その姿には王としての威厳と風格が宿っていた。
その隣には穏やかな笑みを浮かべる王妃。
そして二人の半歩後ろには、静かに控える一人の青年。
深紅の髪。
琥珀色の瞳。
堂々とした立ち姿は、何も語らずとも王太子としての存在感を放っていた。
アルクスレイブン・アッシェン。
アッシェン王国王太子である。
両国の国王が固く握手を交わす。
「ようこそ、アッシェン王国へ」
「建国記念という大切な日にお越しいただき、心より感謝申し上げます」
「こちらこそ、お招きいただき光栄です」
アルベルトも穏やかに応じた。
王妃同士も優雅に挨拶を交わし、オルフェウス公爵も一礼する。
続いてアルクスレイブンが一歩前へ出た。
「アッシェン王国王太子、アルクスレイブン・アッシェンです」
落ち着いた低い声が響く。
ルルシルは優雅に礼をした。
「フィオレイン王国、ヴェリテ公爵家長女、ルルシル・ヴァン・ヴェリテでございます」
互いに礼を交わす。
それだけだった。
しかし、その瞬間。
アルクスレイブンの傍らに寄り添う、黒い狼にも狐にも見える精霊が、ゆっくりとルルシルへ視線を向けた。
――高位精霊。
ルルシルはすぐに気付く。
精霊もまた静かにルルシルを見つめるが、何も語ることなく再びアルクスレイブンの傍らへ戻っていった。
◇◇◇
会場が静まり返る。
アッシェン国王はゆっくりと前へ歩み出ると、侍従から一本の楓の枝を受け取った。
枝には五枚の瑞々しい緑の葉が付いている。
国王はその枝を胸の前へ掲げた。
「皆様、本日は建国記念式典へお越しいただき、誠にありがとうございます」
穏やかな声が会場へ響く。
「まず初めに、建国以来この国を見守り続けてくださる精霊たちへ、感謝の祈りを奉納いたします」
国王は静かに舞い始めた。
音楽はない。
聞こえるのは衣擦れの音と、吹き抜ける風だけ。
一歩。
また一歩。
ゆるやかで無駄のない所作は、美しく洗練されていた。
すると、会場中の精霊たちが次々と集まり始める。
『始まった!』
『今年も国王様の舞だ!』
『見に行こう!』
庭園から。
城の上空から。
遠くの森から。
数え切れないほどの精霊たちが舞へ引き寄せられるように集まってきた。
ルルシルはその光景に見入る。
その時だった。
精霊たちが一斉に空を見上げた。
『来た!』
『守り神様だ!』
空気が静かに震える。
雲の向こうから、一頭の巨大な白い狼の精霊が姿を現した。
雪のように白い毛並み。
その全身を、青く揺らめく炎が優しく包んでいる。
炎は燃え盛るものではなく、神聖な光を纏っているようだった。
巨大な狼は何も語らない。
ただ静かに国王の前まで歩み寄る。
そして楓の枝へ、そっと鼻先を寄せた。
一枚。
また一枚。
緑だった葉が、美しい紅へと染まっていく。
五枚すべてが色づくと、巨大な狼は満足そうに目を細めた。
ふわりと風が吹く。
赤く染まった葉が空高く舞い上がり、それに呼応するように、会場中の精霊たちが淡い魔力を重ねる。
優しい風が吹き抜ける。
その風に乗って、青みを帯びた温かな炎がゆったりと揺れた。
熱はない。
燃えることもない。
まるで精霊たちの祝福そのものが形になったような、穏やかな炎だった。
『今年は来てくれた!』
『嬉しいね!』
『きっと良い一年になるよ!』
精霊たちは無邪気にはしゃぎながら空を舞う。
巨大な白狼は一度だけ国王を見つめると、静かに身を翻し、青い炎の尾を残して大空の彼方へと消えていった。
ルルシルはその姿を見送り、小さく息をつく。
「……なんて、美しいのでしょう」
誰にも聞こえないほど小さなその呟きは、静かな感動に満ちていた。
こうして、アッシェン王国の建国記念式典は厳かに幕を開けた。




