第十話 アッシェン王国へ【中編】
用意されていた馬車へ乗り込むと、一行は王都へ向けてゆっくりと走り始めた。
国王アルベルトと王妃マクベリア、ヴェリテ公爵オルフェウスは先頭の馬車へ。
その後ろにはルルシル、クレイス、カイン、セシルが乗る馬車が続く。
さらに最後尾には、フィオレイン王国から同行してきた侍従や侍女、護衛騎士たちを乗せた馬車が連なっていた。
窓から吹き込む風は驚くほど涼しく、肌を優しく撫でていく。
「気持ちいいです」
セシルが嬉しそうに窓の外を眺める。
「クレイス様、今のアッシェン王国は何の季節なのですか?」
「夏だ」
クレイスが穏やかに答える。
「夏ですか!?」
セシルは思わず目を丸くした。
「こんなに涼しいのにですか?」
「ああ」
「アッシェンの夏は暑くはなるが、フィオレインほど気温は上がらない」
「風も心地よいから過ごしやすい」
「わあ……」
セシルは目を輝かせた。
「同じ夏でも、こんなに違うのですね!」
その無邪気な様子にクレイスは微笑み、ルルシルも小さく笑みを浮かべる。
一方で、カインだけは腕を組んだまま窓の外を眺め、誰とも口を利こうとはしなかった。
どこか不機嫌そうな表情は、王城を出た時から変わっていない。
セシルもそれに気付いたようだったが、何も言わず再び外へ目を向けた。
◇◇◇
馬車は緩やかな丘を越えていく。
窓の外には、どこまでも続く広大な草原が広がっていた。
青々とした牧草が風に揺れ、その中では羊たちがのんびりと草を食んでいる。
少し離れた場所では、大きな牛の群れが穏やかに歩き、その傍らでは牧童たちが楽しそうに笑い合っていた。
放牧された馬が草原を駆け抜け、その後ろを小さな子どもたちが笑顔で追いかけていく。
「とても自然が豊かな国なのですね」
ルルシルは静かに呟く。
「ああ」
クレイスが頷いた。
「フィオレインも自然は豊かだが、アッシェンは広大な土地を活かした牧畜が盛んなんだ。冬が長く厳しいため、食料や燃料を確保する意味でも重要な産業になっている」
人々は慌ただしく働くのではなく、それぞれが穏やかな時間を過ごしているように見えた。
その光景の中には、人だけではない存在も自然に溶け込んでいた。
羊の背中へちょこんと座る小さな精霊。
牛の角へぶら下がって笑う精霊。
風に乗って飛び回る精霊たちは、子どもたちと一緒になって草原を駆け回っている。
大人たちもそれを当たり前のように受け入れ、時折「おはよう」と声を掛けたり、軽く手を振ったりしていた。
精霊たちも嬉しそうに応える。
まるで家族や友人へ挨拶を交わすような、ごく自然な光景だった。
「皆さん……精霊と一緒に暮らしているのですね」
ルルシルの声はどこか嬉しそうだった。
「この国では、それが当たり前だからな」
クレイスは微笑む。
「精霊も人も、互いに支え合って生きている」
その言葉どおりだった。
人々は精霊を恐れることも、特別視することもない。
同じ国で暮らす大切な隣人として接している。
◇◇◇
ルルシルは静かに窓を開けた。
さらりと風が銀色の髪を揺らす。
涼しい風とともに、たくさんの精霊たちの声が耳へ届いた。
『見て見て!』
『お客様だよ!』
『フィオレインから来たんだって!』
『綺麗な人!』
楽しそうな声があちらこちらから聞こえてくる。
フィオレインで耳にする精霊たちの声と同じように賑やかだ。
けれど、不思議だった。
その賑やかさの中に、どこか穏やかさがある。
焦りも、不安もない。
長い年月をこの豊かな自然とともに過ごしてきたからだろうか。
精霊たちの声そのものに、どこか心の余裕が感じられた。
『風が気持ちいいね』
『今日もいい日だね』
『お客様、楽しんでくれるかな』
その一つ一つの声を聞いているだけで、胸の奥が温かくなる。
ルルシルは自然と微笑んだ。
心地よい風。
穏やかな精霊たちの声。
そして、ゆっくりと流れていく景色。
――なんて、心が安らぐ国なのだろう。
そんな思いを胸に抱きながら、ルルシルは静かに窓の外を見つめ続けた。
やがて馬車の向こうに、赤い屋根と白い城壁を持つ壮麗な王城が姿を現す。
その頂には、狼と楓が一体となった王家の紋章が、誇らしげにはためいていた。




