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深淵の調和と、思考の城(メルカ編)

氷結公爵家のレイカが拳を振るう一刻(約二時間)前、午前二時。

大地と炎、そして光と闇を統べる公爵家の令嬢、メルカ・フォン・グランディエは、すでに自室のデスクで目を開けていた。

彼女の朝は、まず「情報の調和」から始まる。

「……王都西側の結界濃度、0.02%の低下。昨夜の邪神解体による残滓ざんしの影響ね。テラ、後ろの地脈を三度さんど右へ傾けて修正しておいて」

「御意に」

まだ夜明け前の暗闇の中、影から現れた側近のテラが頭を下げる。メルカはベッドから起き上がると、眼鏡を外し、髪を一つに束ねて地下の特級訓練場へと足を進めた。

メルカの鍛錬は、静寂そのものだ。

訓練場の中心に立った彼女が軽く指を鳴らすと、周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。

(炎と土。光と闇。……別属性の力を同時に、等量、寸分の狂いもなく引き出す)

彼女の周囲に、超高熱の炎を纏った漆黒の岩石(土+炎+闇)が数十個浮かび上がる。それらは猛烈な勢いで回転しながらも、メルカが放つ一条の聖なる光(光属性)の軌道を完全に避けて制御されていた。

動のレイカに対し、メルカは**「極限の静」**。

一歩も動かぬまま、脳内で数万手先の方程式を組み立てるように、四大属性を完璧に調和させていく。

彼女がここまで自身の「演算能力」と「魔力量」を極限まで追い込むのも、理由はレイカと同じだった。

(レイカの氷は、世界を凍らせる。ライカの雷は、世界を焼き尽くす。……もしあの二人のどちらかが『境界』を越えてしまった時、私のこの『土』で世界を物理的に隔離し、私の『闇』でそのエネルギーを呑み込まなければ、世界は一瞬で瓦解する)

メルカは知っている。自分は三人の中で、最も「冷静なブレーキ役」でいなければならないと。

だからこそ、絶対に思考を鈍らせるわけにはいかない。お互いがお互いを縛る「抑止力」であるために、彼女は毎朝、世界で最も孤独な計算を繰り返していた。

午前六時。完璧な夜会のドレスを着こなしたメルカは、静かに朝食の席へ着いた。

「おはよう、メルカ。今朝の魔力波形を見たが、また一段と練度が上がったね。私の若い頃を遥かに凌駕しているよ」

現・公爵が、厳格な面持ちの裏に、隠しきれない娘への溺愛をにじませて微笑む。

「おはようございます、お父様、お母様。皆様の睡眠を妨げないよう、結界の遮音を一段階上げておきましたわ」

「ありがとう、メルカ。本当に気の利く良い子ね。でも、あまり根を詰めすぎてはダメよ? 今日もライカさんたちと、楽しく『お喧嘩』をしてくるのでしょう?」

公爵夫人が、メルカの高雅な黒髪を優しく撫でる。

一人娘として、両親からの絶大な信頼と愛情を受ける時間。

メルカにとって、この静かな朝食の時間こそが、彼女の冷徹な天秤を「人間」に繋ぎ止める大切なアンカー(錨)だった。

「ええ。今日もレイカが少し無茶なプロットを提案してきそうですから、私が論理的に修正して差し上げますわ」

公爵邸の門を出ると、テラが馬車の扉を開けて待っていた。

「メルカ様。今朝の多重属性の同時展開、もはや神域の領域かと」

「お世辞はいいわ、テラ。ライカは今朝も『筋肉が足りない』と言って、私の倍の重力を体に負荷して走っているはずよ。……あの二人に追いつかれ、追い越されることほど、この世に恐ろしいことはないわ」

メルカは馬車に乗り込み、手元の魔導タブレットに目を落とした。そこには、すでに今日学園でカイル君に渡す予定の「偽の任務」の仕様書が、完璧な論理構成で並んでいる。

「さあ、学園へ行きましょう。エルちゃんの面白い悲鳴を記録して、カイル君の『勘の良さ』をテストする、完璧な一日の始まりよ」

沈着冷静な彼女の瞳に、ほんの少しだけ、少女らしい悪戯な光が灯っていた。



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