至高の孤独と、三等分の天秤(レイカ編)
王都の喧騒がまだ眠る、午前四時。
氷結公爵家の令嬢、レイカ・フォン・アイシクルは、静寂の中で目を覚ます。
彼女の朝は、華やかなお嬢様のそれとは程遠い。シルクの寝間着を脱ぎ捨て、機能性を重視した訓練着に身を包むと、彼女は公爵邸の地下にある、極大の結界に囲まれた特級訓練場へと向かう。
「――フッ!」
鋭い呼気と共に、レイカの拳が空を割る。
物理格闘のフォームは一切の無駄がなく、流れるように美しい。同時に、彼女の周囲には数百の「針状の氷結魔法」が乱舞していた。それらは、レイカの意志一つで、一ミリの誤差もなく指定された標的を正確に貫く。
「……九万八千、九万九千。……ふぅ」
額に微かな汗を浮かべ、レイカは動きを止めた。
彼女は生まれながらのチート級の天才だ。だが、彼女が「天才」であり続ける理由は、この血の滲むような日々の鍛錬にある。
なぜ、そこまでやるのか。
理由は明確だ。メルカとライカがいるからである。
公爵令嬢の三人は、全員がそれぞれの家系の「ひとりっ子」であり、次代のすべてを背負う唯一の正統後継者。そして、一人ひとりが「世界を滅ぼせるレベルの圧倒的な力」を持って生まれてきてしまった。
もし、自分が手を抜けば、あの二人にあっさりと置いていかれる。
それだけならまだいい。一番恐ろしいのは、**「もし、あの二人のどちらかが、何かの拍子(怒りや絶望、あるいは魔力の暴走)で世界の敵に回った時、私にそれを止める力がなかったらどうするのか」**ということだ。
神話級の力を制御する彼女たちは、全員がその恐怖を自覚している。
誰かが暴走した時、それを物理的に、命がけで止めることができるのは、残された二人しかいない。
彼女たちの「仲の良さ」は、ただの気が合う幼馴染という生易しいものではない。お互いの実力を誰よりも認め合い、世界の命運を三分して背負う者としての、絶対的な信頼と、切磋琢磨の果てに築かれた「戦友」の絆なのだ。
午前六時。シャワーを浴び、完璧な公爵令嬢のドレスに身を包んだレイカは、食堂へと向かった。
「お父様、お母様。おはようございます。昨夜の地脈のノイズ、先ほど私の訓練のついでに再固定しておきましたわ」
「おはよう、レイカ。いつも助かるよ。君がいてくれれば、我が家系は安泰だ」
現・氷結公爵が、誇らしげに、しかし一人の愛娘を慈しむ目で微笑む。
「お怪我はありませんか、レイカ? あなたは少し頑張りすぎるところがありますから、お茶会の時はメルカさんやライカさんに甘えるのですよ」
公爵夫人が、優しくスープを勧める。
一人っ子として、両親からの溢れんばかりの愛情を一身に受ける日常。
この温かい家庭を、そしてこの国を守るために、彼女は「完璧な悪役令嬢」を演じ、世界の裏方を支えている。
「ええ、お母様。今日もあの二人と、最高の『喧嘩』をする予定ですわ」
レイカは上品に微笑んだ。
公爵邸の馬車へ乗り込む際、お付きの準公爵令嬢であるシズクが、そっと防寒の外套をレイカの肩にかけた。
「レイカ様。今朝の訓練、結界の外から拝見しておりました。……相変わらず、恐ろしいほどの密度ですね」
「あら、見ていたの? シズク。……当然よ。メルカもライカも、今朝はこれ以上の訓練をしてきているはずだもの。負けていられないわ」
シズクは、一歩後ろで静かに頭を下げた。
世間は、三令嬢を「わがままで恐ろしい悪役令嬢たち」と恐れる。だが、シズクたち側近は知っている。彼女たちがどれほどの孤独と責任を背負い、その美貌の裏で、どれほどストイックに世界を支える礎であり続けているかを。
「さあ、学園へ行きましょう。エルちゃんをからかって、カイル君に新しい仕事をあげる、楽しい一日の始まりよ」
馬車に乗り込んだレイカの横顔は、世界を背負う強者の気高さと、少女らしい無邪気さに満ち溢れていた。




