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揺らぐ天秤と、用意された救済

学園の特級訓練場。カイル・ロアは、愛用の木剣を握り締め、全身から滝のような汗を流して身構えていた。

対峙するのは、王国最強の象徴である三公爵令嬢――レイカ、メルカ、ライカ。そしてその側近たち。

カイルは覚悟していた。

自分のような没落貴族の特待生が、彼女たちの「引き抜き(囲い込み)」の誘いを保留にしているのだ。きっと今日の合同演習という名の私闘で、圧倒的な力で叩きのめされ、逆らえない恐怖(絶望)を植え付けられるのだろう、と。

「――そこまで。カイル君、合格よ」

だが、響いたのはレイカの軽やかな声だった。

彼女たちが放った魔法は、カイルの剣技の限界を正確に見極めるためのものであり、彼に傷一つ負わせてはいなかった。

「な……? 終わり、ですか?」

「ええ。あなたの身のこなし、剣の筋、そして魔力制御。どれをとっても一級品だわ。私たちの目に狂いはなかったと確信できたわ」

メルカが静かに眼鏡を押し上げ、手元の魔導タブレットにデータを記録する。

カイルは困惑した。恐怖で支配されると思っていたのに、目の前にあるのは、自分の努力と才能を恐ろしいほど正当に評価する、冷徹で美しい強者たちの姿だった。

「さて、カイル君。実技テストも終わったことですし、先日の『我が家系へ来ないか』というお誘いの返事を聞かせてもらえるかしら?」

ライカが情熱的な瞳でカイルを見つめる。

カイルはごくりと唾を呑み込み、事前に用意していた「断るための口実」を口にした。

「……身に余る光栄です。ですが、私には我が身一つでは決められぬ事情があります。我が家は数代前に没落し、今も病床に伏せる母と、幼い妹がおります。私が王都を離れるわけにはいかず、また、私が公爵家に入れば、残された家族が他の派閥からの報復や人質に遭う危険があります。ですから、このお話は――」

家族を守るため、という大義名分。こればかりは公爵令嬢といえど、無理強いはできないはずだ。カイルはそう信じていた。

しかし、三令嬢は顔を見合わせると、クスリと同時に可憐に微笑んだ。

「あら、そんなこと?」

レイカが楽しそうに首を傾げる。

「エ、エルちゃん。例の『・・』をカイル君に渡して頂戴」

メルカの指示で、見習いのエルが、ガタガタと震えながらも一抱えもある上質な羊皮紙の束をカイルの前に差し出した。

「これ、は……?」

カイルが恐る恐る一番上の書類に目を落とした瞬間、彼の思考は完全に停止した。

【王立聖十字病院・特級患者移送承諾書】

患者名:ステラ・ロア(カイルの母)

内容:世界に数本しかない『氷蓮華の特効薬』の永久支給、および24時間体制の聖属性治癒魔導師の配置。費用は全てグランディエ公爵家が永久補填する。


「な、に、これ……っ!?」

「次をめくってちょうだい、カイル君」

ライカが促す。カイルが震える手で次の紙をめくる。

【王都一等地・高級住宅地購入契約書】

入居者:ロア家一同

内容:最高峰の防犯結界(氷結・雷鳴多重展開)を完備した邸宅。隣国からの暗殺者すら自動で消し炭にする国家最高レベルのセキュリティハウス。


「それから、妹さんの王立女子学園への『特別全額免除奨学金』の手続きも、本日付で完了しているわ」

メルカが、事務的ながらも完璧なトーンで告げた。

「……あなたが心配している家族の『病気』も『安全』も『未来』も、全て先回りして解決(システム化)しておいたわ。これで、あなたが我が家系への所属を拒む『論理的な理由』は、この世界から完全に消滅したけれど……何か異論はあるかしら?」

メルカの言葉は優しく、しかし一分の隙もない。

カイルは愕然とした。

彼女たちは、暴力で脅してきたのではない。

カイルが喉から手が出るほど欲しかった「家族の救済」を、彼が言い訳にする前に、あまりにも完璧な形で(・・・・・・・・・)目の前に用意してみせたのだ。

(これが……これがトップエリートたちの、外堀の埋め方か……!)

絶望などない。あるのは、逆らう余地を1ミリも残さない、圧倒的な「完璧すぎる救済システム」。

カイルは、自分がすでに彼女たちの手のひらの上で、転がることしか許されていないことを完全に理解したのだった。

「……あ、あの、カイルさん、おめでとうございます……(もう諦めてこちら側の社畜になりましょう……)」

背後で、エルが同情に満ちた目をカイルに向けていた。

こうして、カイルの逃げ道は完全に、そして最も美しい形で塞がれたのだった。



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