深淵のピクニック――「十分間」の神話
その日、三令嬢のサロンには、かつてないほど真剣な、しかしどこか遠足を控えた子供のような空気が漂っていた。
「……ねえ、聞いた? 王都の西、誰も踏み込めなかった『忘却の死穴』に、新しい層が見つかったって。報告書を読んだけど、漂ってくる魔力の質が今までと全然違うのよ」
レイカが、禍々しい紫の霧が立ち上る現場の写真をテーブルに放り出した。
「ええ、私も感じたわ。あれはただの魔物じゃない。この世界の理の外側にあったはずの『何か』が、目を覚まそうとしている……」
メルカが、珍しくお茶を飲む手を止めて呟く。
「決まりね。三人で行きましょう。……エル、ナギ、シズク、テラ。あなたたちも見学に連れて行ってあげる。この世界の『底』がどうなっているか、その目で見ておきなさい」
ライカの言葉と共に、エルは有無を言わさず「転送」の渦に飲み込まれた。
【忘却の死穴・最下層への道】
「……ひ、ひぃぃっ!?」
エルが悲鳴を上げる暇もなかった。
そこは、本来なら数百人の精鋭騎士団が数ヶ月かけて攻略するはずの、最凶のダンジョン。だが、三令嬢にとっては、ただの「風通しの悪い廊下」に過ぎなかった。
「邪魔よ、どいて」
レイカが指をパチンと鳴らす。
それだけで、フロア全体を埋め尽くしていたボスクラスの不死龍が、分子レベルで凍結し、風に吹かれた砂のように崩れ去った。
「レイカ、少し遅いわ。……次は私ね」
メルカが歩みを止めずに手をかざすと、襲いかかってきた数万の魔虫の群れが、影に飲み込まれてこの世から「消滅」した。
「あはは! 競争だよ!」
ライカが楽しげに笑いながら、目の前の巨大な隔壁(神代の金属製)を、デコピン一発で木っ端微塵に粉砕する。
エルの目には、彼女たちが歩くたびにダンジョンそのものが「悲鳴」を上げ、消滅していくように見えた。
「ナギ様……今、何分経ちました?」
「……そうですね。入り口から、ちょうど十分といったところでしょうか」
ナギが時計を見ながら、平然と答える。
十分。人類の歴史上、誰も踏破できなかった死の領域を、彼女たちはお喋りを楽しみながら、お菓子のゴミを捨てるような気軽さで踏破してしまった。
【最下層:封印の門】
辿り着いた最深部。そこには、数万年前の神々が全力を注いで封印したとされる、漆黒の玉座があった。
そこに鎮座していたのは、伝説にのみ語られる邪悪の根源――『終焉を告げる邪神』。
その存在が放つ絶望的な圧力に、準公爵の三人ですら一瞬だけ身構え、エルは恐怖のあまり声も出ずに震え上がった。
だが、三令嬢は違った。
「……ふーん。これが『邪神』? 思ったより、地味ね」
レイカが、封印された邪神の顔を覗き込む。
「ええ。でも、魔力の密度だけは認めてあげるわ。……ライカ、どうする? 起こして遊んでみる? それとも、今のうちに『再利用』しちゃう?」
メルカの言葉に、封印されているはずの邪神の眼窩が、恐怖に染まったように微かに震えた。
伝説の邪神は、目覚める前から理解してしまったのだ。
目の前に立っている三人の少女こそが、自分などよりも遥かに古く、遥かに強大で、そして遥かに「話が通じない」本物の怪物であることを。
「……よし! エル、テラ! この邪神の魔力、もったいないから抽出して、来月の『学園祭の打ち上げ花火』の燃料にしちゃいましょう!」
「……は、花火……!? 邪神を、花火に……!?」
エルの絶叫が、邪神の悲鳴をかき消して最下層に響き渡った。
神話の終わりは、あまりにも理不尽で、あまりにも「お嬢様」らしい独断によって幕を閉じようとしていた。




