第十五話 大切な人たち
身体が熱い。
頭がぼんやりする。
目を開けても、すぐに瞼が重くなった。
「レン……」
優しい声が聞こえる。
額に、冷たい布が乗せられた。
「お母さん……」
「大丈夫よ。ゆっくり休んでなさい」
ミレーユが、心配そうな顔で俺を見ていた。
その顔を見ると、少しだけ安心する。
安心すると、また眠気がやってくる。
俺は目を閉じた。
*
「魔力欠乏症に似た症状です」
医者の声が聞こえた。
完全に眠っているわけではない。
意識が浮いたり沈んだりしているような、不思議な感覚だった。
「ですが、魔力欠乏症だと断言はできません」
「……そうですか」
レギオンの声。
「熱が下がれば、回復すると思われます。ただ、しばらくは安静にしてください」
「分かりました」
その後も何度か医者が様子を見に来た。
ミレーユは、ほとんど俺のそばを離れなかった。
水を飲ませてくれる。
汗を拭いてくれる。
冷たい布を取り替えてくれる。
「無理に起きなくていいのよ」
そう言って、俺の髪を優しく撫でる。
前世では、もう三十五歳だった。
熱を出したときも、一人で薬を飲んで寝ていた気がする。
もちろん、子供の頃は違ったのかもしれない。
でも、もうずいぶん昔のことだ。
だからなのか。
こうして誰かに心配されるのが、少し懐かしかった。
そして――。
悪くなかった。
*
その頃。
辺境伯領では、ある魔獣の話で持ちきりだった。
災害級魔獣。
巨大な翼を持ち、炎をまとった鳥。
フェニックス。
その被害は、決して小さなものではなかった。
山の半分が抉れている。
木々は広い範囲で焼き払われていた。
湖には大量の魚が浮かんでいる。
巨大な何かが通り過ぎただけで、自然そのものが傷ついていた。
しかし。
死者は、ゼロ。
災害級魔獣が現れたにもかかわらず。
人間の死者は、一人もいなかった。
*
「災害級魔獣が現れて、死者が一人も出なかった」
辺境伯は、目の前の男を見た。
「それだけでも、奇跡だ」
対面に座っているのは、レギオンだった。
「……あれは、自然に去ったわけではないのだな?」
「はい」
レギオンは答えた。
「誰が退けた?」
しばらくの沈黙。
やがて、レギオンは口を開く。
「私の息子です」
辺境伯の表情が固まった。
「……レン君が?」
「はい」
「まだ、三歳だぞ」
「分かっています」
レギオンは静かに答えた。
「だからこそ、お願いがあります」
「何だ?」
「今回の件については、詳細を伏せていただきたい」
辺境伯は黙ってレギオンを見る。
「無詠唱で災害級魔獣を退ける三歳児など、あまりにも異常です」
「……」
「そして、あの子はあなたの娘も助けました」
リカ。
あの場にいたのは、辺境伯の娘だった。
もしレンがいなければ。
もし、あの魔獣がそのまま暴れていたら。
何が起きていたか分からない。
「……分かった」
辺境伯は頷いた。
「今回の件は、私の権限で伏せよう」
「ありがとうございます」
「だが」
辺境伯が言う。
「いつまでも隠せるとは思うな」
「ええ」
レギオンも頷いた。
「それは、分かっています」
*
数日後。
ようやく熱が下がった。
まだ身体は少し重い。
でも、ベッドの上で起きていられるくらいには回復している。
そんな俺の部屋に、レギオンとミレーユが入ってきた。
「具合はどうだ?」
「もう大丈夫」
「無理はするなよ」
「分かってる」
俺が答えると、レギオンは椅子に腰を下ろした。
少しだけ、真剣な顔をしている。
何か話があるらしい。
「レン」
「うん?」
「お前が災害級魔獣を退けた件だが」
「…………」
俺は固まった。
「……え?」
「今回の件は、辺境伯に頼んで伏せてもらった」
「……え?」
「レン?」
ミレーユが不思議そうな顔をする。
いや。
ちょっと待ってほしい。
「なんで知ってるの?」
俺は二人を見た。
俺がフェニックスを退けたこと。
誰にも言っていない。
言う暇もなかった。
なのに。
レギオンは、当たり前のように話を続ける。
「無詠唱で災害級魔獣を退ける三歳児など、異常だからな」
「…………」
無詠唱まで知ってる。
俺は完全に言葉を失った。
そして。
異常。
その言葉に、胸が少しだけ強く鳴った。
(やっぱり……まずかったか?)
俺は普通ではない。
魔力は1980。
そして無詠唱。
今回のように、大量の魔力を使えば災害級魔獣すら退けられる。
両親から見ても。
やはり、異常なのか。
「だから」
レギオンが続けた。
「今回は伏せてもらった」
俺は顔を上げる。
「……隠すの?」
「ああ」
「俺が異常だから?」
「違う」
レギオンは、すぐに答えた。
「お前は、俺たちの大事な息子だからだ」
「……」
「異常な力を持っていることが知られれば、何が起こるか分からない」
「だから、守る」
ミレーユが、俺のそばに座った。
「そうよ」
そして、優しく笑う。
「あなたは、私たちの大事な息子なんだから」
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
……そっか。
俺は、守られているんだ。
前世では、もう大人だった。
誰かに守ってもらうより。
誰かを助ける側だった。
でも。
今の俺は、まだ三歳だ。
「でも」
俺は二人を見る。
「ずっと隠せるわけじゃないよね?」
レギオンは頷いた。
「ああ」
「いつかは知られることになるかもしれない」
「なら……」
俺は言葉を探した。
「その時は?」
「今はまだ、その時ではない」
レギオンは、まっすぐ俺を見た。
「その時が来るまでに」
少しだけ間を置く。
「大事な人たちを守れる力を持ちなさい」
大事な人たち。
俺は、その言葉を頭の中で繰り返した。
父さん。
母さん。
リカ。
そして――。
これから先。
俺にとって、大事な人は増えていくのかもしれない。
「……うん」
俺は頷いた。
「分かった」
今は、まだその時じゃない。
なら。
その時が来るまでに。
俺は、もっと強くなればいい。
大事な人たちを守れるくらい。
誰にも負けないくらい。
強く。
強くなればいい。
そのために。
今の俺にできることを、一つずつやっていこう。
俺は、そう決めた。




