第六十三話「旅の武人」
数日後。
白金領には今日も多くの人が出入りしていた。
商人。
旅人。
移住を考える農民。
以前では考えられない光景だった。
その日。
朔也は舞、シンと共に市場を歩いていた。
「最近、本当に人が増えたね」
「はい。商人も移住希望者も増えています」
舞が笑顔で答える。
市場は以前にも増して賑わっていた。
その時だった。
「……失礼」
一人の男が朔也たちの横を通り過ぎる。
年は三十前後。
黒髪を後ろで束ね、腰には一本の刀。
質素な旅装束だが、その立ち振る舞いには隙がない。
朔也は思わず男を目で追った。
「今の人……」
「どうしたの?」
「なんとなくだけど、普通の旅人じゃない気がする」
舞も男へ視線を向ける。
「確かに」
「歩き方が違うね」
男は市場をゆっくり見回していた。
野菜を売る農民。
笑い合う子どもたち。
流民と領民が一緒になって荷物を運ぶ姿。
その一つひとつを静かに眺めている。
まるで町を見定めるようだった。
露店では商人たちが楽しそうに話していた。
「最近は本当に景気が良くなったな」
「領主様が変わるだけでここまで違うとは」
「流民まで受け入れるなんて最初は驚いたが、今じゃ立派な働き手だ」
男は足を止める。
何も言わず耳を傾ける。
(噂通り……か)
そう小さく呟き、再び歩き出した。
その時だった。
シンも足を止めた。
「どうした?」
朔也が尋ねる。
シンは旅の男をじっと見つめている。
男も一瞬だけシンを見る。
二人の視線が交わる。
男は小さく口元を緩めた。
「見事な虎だ」
シンは一度だけ鼻を鳴らした。
敵意はない。
互いに実力を認めたようだった。
「珍しいね」
舞が呟く。
「シンがあんな反応するなんて」
「そうだね。やっぱりシンもあの男が気になるんだ」
「がう!」
ーーー
お昼をすました3人が再度通りに戻ってきた頃。
市場の反対側。
突然、大きな音が響いた。
「うわっ!」
荷車の車輪が外れ、大量の荷物が坂道を転がっていく。
その先には幼い少女が立っていた。
周囲の人々が息を呑む。
誰も間に合わない。
そう思われた瞬間だった。
旅の男が動いた。
一歩。
二歩。
無駄のない動きで少女の前へ回り込む。
転がってきた荷物を片手で受け止めた。
土埃が舞う。
少女は無事だった。
「ありがとう……」
少女が震えながら頭を下げる。
男は静かに頷くだけだった。
「怪我はないか」
「う、うん」
それだけ確認すると、男は荷物を元へ戻し、その場を立ち去ろうとする。
「待って!」
朔也が声を掛けた。
男は足を止める。
「助けてくれてありがとう」
男は少しだけ笑った。
「当然のことをしたまでだ」
その言葉に朔也も笑みを返す。
「俺もそう思う」
男は少し驚いたような表情を浮かべた。
「……面白い領主だな」
「え?」
「いや、独り言だ」
男はそう言うと歩き出した。
名前も名乗らず、そのまま人混みの中へ消えていく。
ーーー
その夜。
評定の間。
朔也は昼間の出来事を宗二たちへ話していた。
「黒髪で刀を一本」
陣内が腕を組む。
「間違いない」
「噂の旅の武人だろう」
雷堂の目が輝いた。
「ほう……」
「ますます会ってみたくなったな」
舞は少し首を傾げる。
「でも、どうして名乗らなかったんだろう」
宗二が静かに答えた。
「まだ俺たちを見極めているのかもしれんな」
その言葉に朔也も頷いた。
あの男の目。
あれは町を眺める旅人の目ではなかった。
何かを確かめに来た者の目だった。
その頃。
白金領から少し離れた丘。
旅の男は夕焼けに染まる城を見つめていた。
「噂以上か……」
小さく呟く。
その表情には、わずかな笑みが浮かんでいた。
評定を終えた帰り道。
雷堂は一人、城の鍛錬場へ向かっていた。
木刀を握ると、一人で型を繰り返す。
「旅の武人……か」
陣内の話を思い返す。
腕が立つ。
どこの領地にも仕えない。
そんな男が白金領へ興味を示している。
「面白い」
思わず口元が緩む。
敵であれ味方であれ。
強者と出会えるなら歓迎だった。
ーーー
同じ頃。
白金領から少し離れた丘。
旅の男は夕焼けに染まる町を見つめていた。
畑では農民が笑っている。
子どもたちが走り回る。
市場からは活気ある声が聞こえる。
「人は集まり始めているか」
少し歩きはじめ、旅の男は街道脇の大木にもたれ、腰を下ろした。
火を見つめながら、小さく息を吐く。
「……変わった領地だ」
異形が笑い、流民が働き、領民も共に汗を流す。
そんな光景は、これまで訪れたどの領地にもなかった。
剣の腕だけでは国は守れない。
そう考えて旅を続けてきた自分だからこそ、その違いがよく分かる。
「あの若い領主は……」
朔也の笑顔を思い出す。
礼を言われた時の、飾らない表情。
領主とは思えないほど自然だった。
男は静かに刀へ手を置く。
「もう少しだけ見てみるか」
小さく呟くと、旅の男はもう一度だけ白金領を振り返った。
「あの若い領主が、どこまでこの国を変えられるのか」
誰に聞かせるでもなくそう漏らし、再び街道を歩き始めた。
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