17-10
病院の喫茶店で、私とジャニスは黙々と遅めの朝食を取っていた。
会話がないのは別に険悪になったからではない。町田からの報告と提案をどうすべきか考えていたからだ。
確かに、彼の提案は理にかなっている。
李花梨の妊娠は、先ほど彼女に伝えられたばかりだ。その時の喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない彼女の表情は、そうそう忘れられるものではない。
父親はほぼ王成明で間違いないという。それだけに、彼女が抱える不安は簡単に理解できた。
子供は恐らくこの世界における「ナルア」を宿して生まれるのだろう。血縁者が「神の器」を引き継ぐことは、かの山下睦月嬢を見ても明らかだった。
そうなった場合に何が起きるかはやや想像がつきにくい。完全に「覚醒」するまでにはかなりの年月がかかるとしても、いつ「ナルア」として顕現するかは読みにくい。一種の時限爆弾のようなものだ。
それを抑え込むにしても、手段は限られている。ジュリ・オ・イルシアの能力を使うにしても、効果は時限的でしかない。上手く本人の自我と共存できればいいが、それが成るかどうかは蓋を開けてみないと分からない。
しかも、厄介なのは……妊娠後、彼女が大魔卿に抱かれていたという事実だ。
父親が王成明である事実は変わらないが、精を通して子供が何かしら関与されている可能性は一切否定できない。
そしてあの男のことだ、李花梨の妊娠を知らなかったはずもない。「何かやっている」ことを前提に考えねばならないところではあった。
それだけに、「魔紋」を通して常時大魔卿と「ナルア」の発現を抑え込むという町田の提案は一理あった。実際、理屈の上では不可能ではない。
重要なのは「向こうの世界意思たる大魔卿の存在そのもの」だ。ミミがそうであるように、「世界意思」は当該世界における因果を自分の望む方向に曲げることができる。
流石にあまりに無茶な方向には曲げられないにせよ、相当程度望みは実現できる。「穴」の縮小・消滅を望めば、長い時間がかかるにせよそれが実現できる可能性は大幅に高まると言えた。
本来、その役割はジュリ・オ・イルシアに担ってもらおうと思っていた。
御柱とは「クト」のコピーの器と聞いている。ただ大魔卿との関わりの深さからして、彼のコピーでもあったのではないかという推測があった。
「継承の儀」を行うことによって、疑似的な「世界意思」が誕生することになる。それが彼女の存在が不可欠である最大の理由だった。
ただ、彼女がそれを拒絶した以上代案は必要になる。町田からの提案は、その意味で非常に有力な代案といえた。……大魔卿の復活さえなければ、の話だが。
私は残り少なくなったコーヒーを啜った。ジャニスがこちらをじっと見ているのに気付く。
「……どうした」
「貴方の意見を聞きたいの。先ほどの町田君からの提案、どう思う?」
「……なしとはしない。理屈の上ではあり得る。ただ……」
ふう、と溜め息を付かれた。
「貴方らしい意見ね。どこまでも理屈で考える。そして言い淀んでいた理由も分かるわ。『失敗するリスクは決して低くない』、あるいは『失敗した時のリスクが大きすぎる』」
「……君には負けるな」
「もう貴方と付き合って四半世紀は経つのよ。そのぐらいは分かる。
ただ、貴方に欠けている視点があるわ。それは、『提案を受けた花梨がどう思うか』」
ジャニスからの鋭い視線に、私は言葉に詰まった。彼女が苦笑する。
「やっぱり考えてなかったわね。ただでさえ、私たちは一応の無罪放免を条件に調査隊への協力を強制しているわけ。そこにもってきて自分の子供を差し出せというのは簡単には受け入れられないわ。
勿論、生まれてくる子供が危険な存在になりそうというのは分かる。というより、大魔卿が万一の際の保険を彼女の子供に対してかけている可能性はかなり高い。
それでも、こちらの都合のいいようにまだ生まれてもいない子供を使うのは、母親なら抵抗したくもなるわ」
「……君も母親だから分かるということか」
「想像力を働かせてほしいところよね。……もっとも、貴方や町田君の意見もよく分かる。手段を選んでいられるような状況でもない」
「ならそうするしかないんじゃないか?少なくとも、私には有効な代案は思いつかない」
「……そうかもしれない。とにかく重要なのは当事者たる花梨がどうこの提案を受け止めるかじゃないかしら」
それはそうだろう。ただ、もう一つ気掛かりなことがあった。
それは、この妊娠がどれほど望んでいたものであったかということだ。
彼女と王との関係は私には分からない。ただ利害関係が一致しただけであったのか、あるいは「神の器」である王が一方的に李花梨を凌辱していただけだったのか。はたまたそこにはある程度の愛情があったのか。
少なくとも、妊娠の事実を告げられた時のあの表情からして素直な恋愛感情があったかは甚だ怪しい。
さらに、彼女が大魔卿の性処理に使われていたというのはほぼ確実だ。そうなれば、よしんば王との間にそれなりの愛情があったとしても、その子供が大魔卿によって汚されている可能性を考えずにはいられまい。
そして、彼女にとって子供の価値は低い。既に30人以上の子がいるのだ。
そうなれば、堕胎という選択肢を取っても何の驚きもない。仮に彼女がそう望むなら、それを止める術はないように思えた。
私はコーヒーを飲み干し、数秒目を閉じた。ここで2人して考え込んでも仕方ない、か。
「ジャニス、行こう」
「……花梨の元に行くのね」
立ち上がり、私は小さく頷く。
「とりあえず、決めるのは彼女だ。その意思を一番に優先する」
ここからの数十分は、ある意味で世界の命運を決めることになるかもしれない。
そう思うと、流石の私でも鼓動が速くなるのを感じた。




