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17-6


ピン、ピンと甲高い電子音が響く。部屋にいるのは私だけのようだ。

ただ、外には何人も人がいる気配がする。言うまでもない、私が脱走するのを恐れているのだ。


脱走しようと思えばできなくはない。転移魔法を使えば容易にこの病院から脱走することができる。

ただ、それをした所で何になるのか。中国に戻ったところで中日関係をいたずらに悪化させた私は邪魔者でしかない。

言うまでもなく、村は人民軍に制圧されているだろう。戦っても多勢に無勢だ。私の子孫たちや朋友たちを犠牲にするつもりは流石になかった。


さりとて、このまま素直に治療を受けても良くて飼い殺しだろう。日本という国の甘っちょろさからして私や麒龍、麟鵬を隠密裏に殺すことはないだろうが、さりとて自由の身にさせてくれるはずもない。

そして、精気を吸えなくなった私の身体は等加速度的に衰えていくはずだ。既に年齢は90を超えている。魔族は長寿の種族とはいっても、強制的に若さを保っていた反動は必ずやってくる。そのことくらいは知っていた。


私がこうしている、ということは大魔卿は失敗したのだろう。どうやって連中があの男を撃退したのかは皆目見当もつかない。

ただ間違いない事実は、私がこうして病院で幾つもの管に繋がれた状態で生き永らえているということだ。



……私たちは負けたのだ。そして、それは……私の宿願が潰えたということでもある。



涙は出なかった。代わりに、どう死のうか考え始めていた。

死んだところで何になるというものでもない。残された一族に対する責任もある。それでも、未来には明るい展望が何一つなかった。中国共産党への復讐も何もなし得ず、私はここで朽ちていくのか。


そう思っていた時、私は魔力の持ち主がこちらに近づいてくるのを感じた。かなりの魔力の持ち主が2人。片方はあのハンス・ブッカーだろう。しかし、もう片方は……


いや、そんなはずはない。彼女はもう死んだ。あの「エネフの災厄」の時に、身を挺して世界を守ったはずだ。

しかし、この魔力の感触は間違いなく彼女のものだ。少なくとも、とてもよく似た質だ。


惑っていると、コンコンとノックの音がした。


『失礼しますよ』


流暢なエネフ語だ。顔をあげると、ハンス・ブッカーと赤髪のポニーテールの女がいる。

……やはり彼女ではない。しかし、その魔力は……


そう思っていると、思わぬ言葉が彼女から出てきた。


『お久しぶりね』


赤髪の女が薄く笑う。お久しぶり?初対面の私に?


女は訝しげな表情を浮かべる私に向けて愉快そうに笑いながら『まあそうなるわよね』と続けた。


『しかしあなたはこうも思ってる。『この女はジャネット王女なのではないか』と』


『……あり得ない。あの子は死んだはず……』


『そう、死んだわ。そして数十年後、別の身体に転生した。前世の記憶が戻ったのは3年前だけどね。それが私、ジャニス・ワイズマンというわけ』


ジャニスと名乗る女はなおもクスクスと笑う。ハンスが苦笑しながら『落ち着きなさい』とたしなめた。


『旧友に会ってテンションが上がっているのかもしれませんが、からかうのも大概に。こちらは交渉に来たのですから』


『そうね。まあ積もる話はまた後程、といったところかしら。私たちがここに来たのは他でもない、貴女に協力を頼みに来たというわけ』


『協力?』と首を傾げた。敵対していた私に、どういう了見だろう。

ジャニスと名乗る女から笑みが消える。


『貴女も薄々知っての通り、メジアはほぼ壊滅状態にあるわ。モリファスの崩壊で大陸北部のカルディナと大陸西部のヴァースヴェン州以外で人が住める場所はなくなっている。

ヴァースヴェン州も正直このままだと時間の問題でしょうね。あそこにはマトモな国家機構がないから。セルフィ族が独自に結界を張るぐらいはあり得ても、それ以上は多分できない』


『……何が言いたいのよ。まさか、メジアを救う手助けをしろと?』


『メジアだけじゃない。エネフ大陸も込みよ。『エネフの大穴』の浸食速度が速まっている。大魔卿が何かやらかした結果なのでしょうけどね』


血の気が引く思いがした。……あの男、やはり私たちをエネフに返すつもりなどなかったのだろう。


何をやったかは見当がついた。「穴」の浸食速度を速めたのは、恐らくあの男だ。


メジアを完全に終わらせることで、ごく限られた一部だけをこの世界に移すつもりだったのだろう。

それが誰かは見当がつく。事前に選別した一部をカルディナに難民の形で逃がしておいて、頃合いを見て次元転移でこちらに呼ぶつもりだったのだろう。多分、魔力によるある種のマーカーが彼らに刻まれていたはずだ。


まあ、あの男が私たちの望みを素直に叶えるつもりなどないことは分かっていた。

それにしても予感はしていたとはいえ、外道なことをやっていたというわけか。


ジャニスが軽く頭を振った。


『その反応、薄々知ってたといったところかしらね。申し訳ないけど、貴女利用されてただけなのよ』


『分かってる。……しかし』


『共産党に村ごと焼き討ちされた、でしょ?共産党への復讐心で動いていたのは見当がつくわ。ハンスやユウ経由で聞いた限りじゃ、なお酷くなっているらしいし』


私の過去を知っているのか。やはり、この女は……


『あなた、本当にジャネットなの?』


『……かつてジャネットだった者、という方が正しいかしら。あの時はオリジナルの彼女もたまに混じっていたから。……彼女には悪いことをしたわ。

まあそれはともかく。結界を作るだけじゃなく、『押し戻す』には貴女の力が必要なの。というか、できるだけ多くの魔導師の力を結集しないとそれはできない』


『『押し戻す』……『穴』の浸食を??そんなことが、できるというの??』


ハンスが『不可能ではないです』と頷く。


『実際、浸食を加速させていたであろう大魔卿が不在になったことでギリギリ結界を張ることができました。これはランカ・アルシエル氏の貢献によるところが大きいですかな。

ただ、『押し返す』となると難儀です。結界魔法のみならず、浄化魔法などもフルに使う必要がある。あるいは、この世界の科学技術の力も必要かもしれませんな。

故に、こちらとしては『猫の手も借りたい』状況なわけです。最上位の魔導師である貴女に『猫の手』というのは失礼も百も承知ですがね』


『……交渉なのでしょう。見返りは』


『貴女並びにここにいる2人の治癒と釈放。さらに貴女の故郷の安全と自立の保証。中国における『ゲート』の存在を公にしてしまえば、あの国もそう簡単には動けないはずです。何より、日本には特大の貸しを作ってしまいましたからねえ』


私は驚いた。大魔卿と一緒に世界を滅ぼそうとしていた私に、その提案はあまりに寛大に過ぎる。


その考えを読んだのか、ハンスの笑みがさらに深くなった。


『一応言いますが、こちらに協力して頂くからには『全力』でお願いしたく。下手なことなどできないのはご了承のほどを』


なるほど、一番危険な所に私をやろうというのか。……サディストと聞いていたが、やはりこの男の性根はなかなかに曲がっている。


『……考えさせて頂戴』


『いいですよ。こちらとしてはできるだけ多くの頭数を集めた上で臨むつもりですから』


『頭数?』


ハンスが『ええ』と真顔になって私の目を見た。


『先ほども申し上げたように、猫の手も借りたい状況なのですよ。そこにはありとあらゆる叡智と資力、そして人材が結集されねばならない。

貴女だけじゃない、イルシア御柱であるジュリ・オ・イルシアや『神の器』たちも例外ではない。幸い、綿貫君が似たような構想を掲げようとしているようですから後で詳しく相談してみますかな』



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