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17-2


『……そろそろ、か』


私は川の向こうを見ていた。空気は清浄で澄み渡り、川の向こうには穏やかな花畑が広がっている。あそここそが私の行くべき場所なのだと本能的に感じていた。


自分が死にゆく身であることは理解していた。私は、自分の全生命力——「魂」を燃やして大魔卿へと魔法を放った。

恐らく、当たりはしなかったのだろう。自分の技量などあの男に通用するはずもないことは理解している。

それでも、あの一撃が無駄にならなかっただろうことは直感していた。そうでなければ、今これほどまでに心穏やかでいられるはずもない。


足を踏み出し、川に右脚をつける。水深は浅く、簡単に渡れそうだった。


その時、「ゴイルさん!!」と呼ぶ声が聞こえた。

振り向くと、そこにはノアとマチダがいる。


『何をしに来た。引き留めても無駄だぞ』


背中を何かが押している気がする。後退はできないのだろうと察していた。


「お礼を言いたかったんです。俺たちを助けてくれたお礼を」


『……礼?』


……そうか。私のやったことは、やはり無駄ではなかったということなのか。

それにしても、彼らがここにいるということは……


『君たちも、川を渡ろうとしているのか』


ノアが首を振る。


『『幽体化ガルス・バルシオン』を使って精神感応を。こうすることぐらいでしか、ゴイル様とお話しできませんでしたから』


幽体化ガルス・バルシオンか。最高難度の精神魔法だが、ランカの血を引く彼女なら使えても不思議ではあるまい。

とはいえ、相当な無理をしているはずだ。そこまでして私に会いたいというのか。


『……大魔卿は』


『ジャニス・ワイズマンさんという方がほぼ消えかかったあの男を水晶に封じました。もう、イルシアを脅かす存在はなくなったはずです。

そして、あなたがあの男に一瞬の隙を作ってくれなければ、あたしたちは勝てなかった。……何も言わずにお別れというのは、したくなかったんです』


泣き出しそうなノアを見て、私はふっと笑った。気持ちの真っすぐな子だ。


『……ランカはいい娘を持ったな』


『お母様に代わり……これまでイルシアに尽くして下さり、本当にありがとうございました。本当に……』


嗚咽にむせぶノアの肩を、マチダが抱く。



それを見て、私は心底満足した。



振り返れば、この150年私は自らをひたすら押し殺して生きてきた。


かつて想いを寄せた女性ひと——ジュリア・オ・イルシアは血肉の通わぬ「人形」と化し、ただひたすら国と世界を維持するために「的確な」判断を下すだけの存在となっていた。

それでも、私は宰相としてイルシアを支えることを選んだ。それしか道がなかったからか。あるいは、姿だけ想い人の形を残した御柱様に対する執着か。


……いや、そうではない。自らの自我を殺してまで国と世界に尽くすことを決めた、彼女の意思を尊重したかったからだ。ならば私も護国の礎となろう。そう思い、この150年を駆けてきた。

それが正しかったのかどうかは分からない。少なくとも、私がもう少し警戒していれば、大魔卿が御柱様に接近することは防げたはずだ。その意味で、強い後悔はある。


そして、突然の御柱様の死に正直ほっとしてしまったのも確かだった。

本来であれば、ジュリ様には「継承の儀」を可及的速やかに受けて頂かなければならなかった。そうしなければイルシアはもたない。それは確かだった。

ただ、私はそれを「彼女が未熟である」という理由で先延ばしにした。その判断が正しかったのかどうかも分からない。もししっかりやっていれば、この窮状はなかったのかもしれない。


ただ、やはりこれでよかったのだ。後悔はない。


イルシアは、そしてメジアの大地は人ならざる者によって統べられるべきではない。あくまで、人の意思でもって統べられるべきなのだ。

あの大魔卿も、そして「御柱様」も、その視界には人は映っていなかった。理は正しくとも、情を解せない。それでは国は成り立たない。

そうどこかで思いながら、この150年を生きてきた。その想いは、やはり正しかったのだ。


『そう言ってくれると、私も救われる』


ノアに向け微笑む。


これからのイルシアは、メジアは人の手によって統べられるのだろう。それがどうなるかは分からないが、きっと上手く行くはずだ。

それはノアたち次の世代がやってくれるだろう。あの難局を乗り越えられたのだから。


一歩足を進める。……何か、大切なことを伝え忘れた気がした。何だろう。


『……一つ、最期に頼みがある』


『え』


『『繭の間』の奥に『全知の間』というのがある。あれを破壊してはくれぬか』


『『全知の間』……』


『『継承の儀』以外では立ち入らない部屋だ。そこに、かつての御柱の智慧や記憶が蓄えられている。……それらはもう必要ないものだ』


ノアが戸惑っているのがすぐに分かった。それは、御柱を御柱たらしめる根幹に他ならない。

だが、もう新たな「御柱」は生まれない。ジュリ様は別の道を行かれることを選ばれた。もはや、あれは世界には必要ないものだ。


マチダがノアと何か話している。そして「分かりました」と彼女に代わって答えた。

それでいい。あれは、人の世にはもはや必要ないものだ。


『では、さらばだ』


もう一歩足を踏み出すと、身体が軽くなった気がした。

そして、花畑の向こうには……かつて愛した女性ひとが、あのままで微笑んでいるのが見える。……150年ぶりに再会できるのだな。



全てに心残りはない。私は、こうして自分の意識を手放した。




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