7-21
桜子たち四人は、カフェを出ると、すぐに河川敷へ下りた。桜子は、人気のない場所をみつけ、そこで夕霧を物語世界へもどすつもりだった。
速仁が、河川敷を歩きながら、組んだ両手を頭の後ろにあて、
「今日は朔日だから、お月見ができないね」と、
くちおしそうにボソッとつぶやいた。
すると、桜子が、ほほをゆるめてこたえた。
「そんなことはないわ。今夜は十七夜月よ、うふふ」
驚く速仁に、桜子は、千年のあいだに暦が変わったことを教えた。月の満ち欠けにもとづく太陰暦は、もうこの時代には使っていないのだ。
「わたしも、この世界に来た最初の日は、晴れた十六夜なのに月が見えなくて驚いたわ」
桜子はそう言うと、不思議そうな顔で速仁にたずねた。
「でも、宮ちゃんは、お月見が好きだった!? 以前は蹴鞠ばかりで、月見とか管弦とかには興味なさそうだったのに……」
「いや! おれ、月見が、だぁぁい好き。今夜、ここで月見をしよう!」
まなじりをけっして語る速仁に、桜子は肩をすくめながらも笑顔をかえした。
「そんなに勢いこんで、どうしたの? へんな宮ちゃん」
桜子たち四人は西岸で、石堤に設けられた階段に、ならんで腰かけた。
速仁と桜子は、日没後しばらくして東山連峰から上るはずの月を、川の流れ越しにながめるつもりだった。
日はもう沈んだ。天気も晴朗だ。きっと、鮮やかな月が見られるだろう。速仁は、心がはずむと同時に、緊張してもいた。
――おれ、がんばるぞ!……でも、桜ちゃんとふたりだけになりたいなぁぁ。
速仁は、桜子の横顔越しに夕霧と悠斗の顔をうかがった。だがふたりは、四日後に吉田神社で会う相談を熱心につづけている。速仁はジリジリしてきた。
白スズメは、桜子のカバンから飛びだし、川岸に植わっている桜の梢に身を隠していた。高田が、北方に架かる出町橋の上から、桜子たちのようすをコッソリとうかがっている。大陰は、そんな高田を見張っているのだ。夕霧や速仁の姿が消える瞬間を、大陰は高田に目撃させたくなかった。
大陰は梢から飛びたった。スズメからフクロウに変わっていた。
「あっ、宮ちゃん! 月が出てきたよ!」
桜子が、左横に座っている速仁に声をかけた。
速仁は、ますます顔を緊張させ、桜子の横顔を見ながらおおきくうなずいた。
「桜ちゃん、ちょっとあっちに行こ……」
と、速仁が小声で話しかけたとき、桜子が残念そうな声をあげた。
「雲に隠れそう……」
「エッ!?」
速仁は、驚いて東天に目をむけた。月にかかった雲の端が、銀白色に輝いていた。そして、みるみるうちに月が厚い雲に覆われ、雲の輝きも、うしなわれていった。
――そんなぁぁ! さっきまで、雲ひとつなかったのに……。
速仁が気落ちしていると、大粒の雨がポツンポツンと降ってきた。天候の急変だった。
『雨は苦手です。直衣の糊が水で落ちそうだ……』
夕霧は、立ちあがり、つよく糊を張った装束を心配そうにみつめはじめた。
桜子も腰をあげ、夕霧に辞儀をした。
「まわりに人がいないようですし、物語のなかにお帰りください。今日はありがとうございました」
桜子の言葉とともに、夕霧の姿が透きとおりはじめた。
出町橋のうえでは、宵闇のなかを、高田が目をこらして夕霧を見ていた。すると、
ベチャ、ベチャ
「ウワァァ! なんなんだ!?」
目のまえが、とつぜんまっくらになったのだ。高田はメガネのレンズに手を触れた。
――うぇぇ、これって、鳥のフン!?
フクロウが頭上で、ホーホーと、人の笑い声のような鳴き声をたてながら旋回していた。
夕霧の姿がすっかり消えると、勢いを増す雨脚のなかで、速仁の体も透きとおりだした。
「エェェ、どうしてだよ!? おれ、たくさん勉強したんだぞ!」
速仁は、いまにも泣きだしそうな顔を桜子にむけた。桜子は、
「うん、わかっている。また勉強して、こちらの世界に来てね。待っている」
と、速仁に声をかけた。
「一宮、今度は四日後の正午だ。待ってるぞ!」
悠斗の呼びかけに、速仁は、うるんだ目で桜子をみつめたまま、力なくうなずいた。
高田がポケットティッシュでメガネの汚れをぬぐい、河川敷に目をむけたとき、夕霧と速仁の姿はなかった。桜子と悠斗のふたりが、賀茂大橋のうえを、出町柳駅へつづく地下通路の入口へむかって駆けている。雨が本降りになってきた。
――一宮と、もうひとりの男の子も、タイムワープを繰りかえしているのだろうか……。
高田も、コーヒーを入れたマグボトルを脇にかかえ、駅へ走った。
そして、改札口近くの柱の陰で、地下からの上り階段を見張った。はたして、悠斗と桜子が階段を上がってきた。桜子の左肩に白い小鳥が留まっているのが見えた。
――へぇぇ、ブンチョウかな?
悠斗と桜子が改札を通るすんぜんに、その鳥がパタパタと高田の方へ飛んできた。そして頭上を一旋回したあと、桜子の肩にもどっていった。
――よくなついているな……。
高田は、悠斗たちを乗せた電車がホームから出ていったあと、改札前で雨宿りすることにした。地面をたたきつけるような降り方になってきたのだ。
だが、なかなか止みそうにない。
――しかたない、行くか……。
マグボトルを右手で握りなおし、ずぶ濡れになるのを覚悟して営業所へもどろうと決めたとき、三田からのメールが届いた。
〈仕事を切りあげ、傘を持っていってやる。悠斗くんたちを見送ったあと駅前にいるのだろ?〉、
という文面だった。
――やはり先輩は頭の回転が速いや。それに、いがいと、やさしいところもあるんだよな。
〈はい、ありがとうございます。おれ、どこまでも先輩について行きます!〉
高田がそうメールを返してからほどなく、三田が現れた。
三田は、高田を見るなり、眉をひそめた。
「服装に気をつけろ! 会社の評判に傷がつく」
「は、はい……?」
「肩だ。右の肩に、鳥のフンがついている」
――ウェェ、さっきのブンチョウかよ……。二度もなんて、今日はツイていないや。




