7-12
桜子と悠斗は、北大路堀川の停留所でバスを降りた。そこから堀川通りを南へ歩いて数分のところに、紫式部のものだと言い伝えられている墓所がある。悠斗にとっても、初めて訪れる場所だ。
堀川通りに面しているその入口はせまかったが、〈紫式部墓所〉と刻まれた石碑が建てられていた。そして、細い通路を行くと、ものの十数歩で、墓が二つだけの小さな墓地に着いた。深い緑の木々に抱かれるようにして、その墓地はあった。
むかって左側が紫式部の墓、そして右側が小野篁の墓だ。どちらも、墓石のむこうに盛り土があり、その上に、供養塔である五輪塔が置かれている。
「お墓がここにあることを、昨日の夜に調べたんだ。桜ちゃんのお祖母さんの遺灰や遺骨が、ほんとうに納められているかどうか、わからないけど……」
悠斗が最後まで言いおわらないうちに、桜子が頭を左右に振った。
「供養してもらっている処がお墓だと、わたしは思います」
桜子はそう言うと、花を墓前に供え、悠斗も、リュックサックから線香を取りだした。そしてそんなふたりを、スズメ姿の大陰が、梢から見守っていた。
桜子と悠斗は、墓前にならんでかがみ、それぞれ手を合わせた。
――おばあちゃま、桜子です。髪を切ったから、驚いた? おばあちゃまは、千年経っても、たくさんの人から慕われているのだね。源氏の物語が、これからも大勢の人に親しんでもらえるように、わたし、新帖を見つけるね。
――紫式部さま、はじめまして、おれ、武藤悠斗といいます。桜子さんの、えーと……、いまのところ友だちです。でも、いつか、正式におつきあいしたいと思ってます。おれのこと、応援してください。あっ、ちがう! こんなことお願いしてどうするんだよ! えーと、源氏物語の新帖を探しだし、読みたいと思ってます。がんばります。それから、桜ちゃんは、しっかりおれが守ります。……だからやっぱり、おれのこと応援してください。
桜子が目を開けて横を見ると、悠斗はまだ拝んでいた。
――悠斗さんは、やはり、やさしい人だなぁぁ。うふっ。
「ヨシ!」
と言って、悠斗は目を開けた。横を見ると、桜子が口もとをゆるめている。
「えっ!? どうしたの?」
悠斗がたずねても、桜子は、笑顔で頭を左右に振るばかりだった。
「べつに、どうもしないですよ。お墓参りができて、うれしかったから……」
「そうか、よかった。それじゃつぎは、篁卿に銅鏡のお礼を言おう」
「はい。――でも、どうして、篁さまと祖母のお墓が、ならんでいるのでしょうね?」
桜子からそう問われた悠斗は、すこし困ったような顔をしたあと、紫式部と小野篁の、ふたりにまつわる言い伝えを桜子に話しはじめた。――
「まったくの伝説なんだけれど……」
物語という、架空の作り話を書いた紫式部は、仏教の五戒のひとつである不妄語戒を破った罪で、死後、地獄道に堕とされそうになった。それを、冥界で閻魔大王に仕えていた篁がとりなし、式部は地獄行きを免れたという。そして、そういう噂話が流布したことで、源氏物語の愛好者たちが篁にも感謝し、いつの時代からか墓をならべ、式部と篁を供養するようになった。
「それが、この墓所らしいよ。それに、桜ちゃんのお祖母さんは篁卿の妖力を信じ、篁卿もそれに応えておれたちに銅鏡を渡してくれたのだから、ふたりは、いわば同志だよ。ならんで墓があっても、不思議じゃない」
悠斗の説明を最後まで聞かなくても、桜子は得心した。桜子は、祖母の式部が地獄に墜ちたという、速仁付きの女房たちが宇治の別荘でかわしていた噂話を、もともと信じてはいなかった。そのうえ、万が一にもそれが事実だったとしても、あの篁卿なら、きっと祖母を救ってくれたにちがいない。
桜子は、篁の墓に花を供えた。そして、線香を点した悠斗といっしょに、また墓前で手を合わせた。
ふたりが立ちあがろうとしたとき、墓地のせまい入口から風がはげしく吹きこんだ。ふたりはかがんだまま、突風を避けた。だが、風は勢いを増し、四方を壁に囲まれた墓地のなかで、梢をおおきく揺るがせた。白スズメは風にあおられ、壁にたたきつけられそうになりながら、ようやくのことで桜子の左肩に乗った。桜子は、スズメが飛ばされないように右手でその体を抑え、悠斗も、その上に両手を添えた。
――やさしいふたりじゃ。シロでも、まあ、よいか……。
桜子と悠斗がスズメを手で抑えてホッとしたとき、墓地の入口のむこうで、ガシャーンという、おおきな音がした。どうしたのだろう。そう思って入口に目をむけると、とつじょ、速仁の姿がふたりの目のまえに現れた。そして、激しかった風もおさまった。
「ふぅぅ、よかったぁぁ。今日は川のなかでも、崖っぷちでもなかった……」
速仁はそう言って、うれしそうに立っている。
桜子と悠斗も立ちあがった。スズメが梢に飛び移り三人を見守るなか、桜子が、はずむような声をあげた。
「今日も来てくれたんだ。ありがとう」
悠斗も、おなじように声をかけた。
「よく来られたな。抜けだすの、たいへんだったんじゃないか?」
だが速仁は、満面の笑みで頭を左右に振った。
「乳母ちゃんが、うまく取りはからってくれているんだ。おれ、いまね、里下りしている乳母ちゃんの屋敷で、一生懸命勉強している。エヘッ」
速仁はそう言うと、驚いている桜子に、時空を超える秘密を賢子に明かした経緯を説明した。
「預かった髪も、乳母ちゃんに渡したよ。とっても喜んでいた。おれも、すごくうれしかった」
「ありがとう、宮ちゃん」
そう言って涙ぐんでいる桜子に、速仁は、紫色の薄手の紙を懐から取りだし、だいじそうに手渡した。
「乳母ちゃんから預かってきた文だよ」
桜子は、さっそく読んだ。体に気をつけて暮らしなさい、という意味のことばかりが、くどいほどになんども書かれてあった。だがそれが、愛情の深さを語っているようで、桜子は素直にうれしかった。
そして、手紙によれば、藤原一門の氏神である春日神に賢子は毎日欠かさず参詣しているらしい。桜子の無事と、いつの日か再会できることを祈願しているという。桜子にも春日神へお詣りするよう奨めて、筆がおかれていた。
母の賢子が参詣している神社はどこなのだろう。それは、千年後のこの時代にも存続しているのだろうか。桜子は、そう思いをめぐらしながら、手紙をバッグにしまった。
悠斗は、
「よかったね」と、
桜子に声をかけたあと、からかい顔になって、速仁にたずねた。
「なあ、一宮。ここがどこか、わかるか?」
「どこって、千年後の京の都だろ。ちがうの?」
速仁の返答に、おもわず笑ったのは、悠斗でなく桜子だった。
「もぉぉ、宮ちゃんたら。そんなこと、あたりまえじゃない。よーく見なさい」
桜子からそう言われて、速仁はあたりに目をやった。
「ああぁぁ、ここ、お墓だ! ――えっ、篁卿のお墓? ――わぁぁぁ、式部ばあちゃんのお墓もある!」
驚いている速仁の横で、桜子と悠斗が目を合わせて笑っている。
だが、速仁がとんでもないことを言いだした。
「式部ばあちゃんと篁卿って、夫婦だったんだね」
「もぉぉ、宮ちゃんたら、そんなわけないじゃない」
「でも、ならんでお墓があるよ」
「篁さまは、おばあちゃまが生まれるまえに亡くなられた方だよ」
「あっ、そうか。式部ばあちゃのお祖父さんか、ひいお祖父さんなんだ。それでか……」
ひとりで得心している速仁に、桜子は肩をすくめた。
「宮ちゃんは、今夜こちらの世界に泊まれるなら、悠斗さんに、勉強をみてもらいなさいね。篁さま一族のことを、よーく教えてもらった方がいいわよ」
「えぇぇぇ、やだよそんなの。おれ、今夜は悠にいちゃんの部屋で、まんがを読むのだから……」
頬を膨らませて嫌がる速仁が、悠斗はおかしくてならなかった。
「小野妹子とか小野小町とか、小野一族の歴史を、おれが教えてやるよ」
悠斗はそう言うと、桜子に聞こえないように、速仁に耳打ちした。
「勉強するって、桜ちゃんには言っておけ。それでだ、こっそりおれがマンガをみせてやるから、いいな。ちょっぴりエッチなのもあって、おまえ、勉強になるぞ」
――んっ!? えっち、ってどういう意味だ? まっ、いいか、
と思いながら、速仁はうなずいた。そして、桜子にむかって右手をサッと上げた。
「はーい、おれ、悠にいちゃんに歴史の勉強をみてもらいまーす。それから、えーと、えっちな勉強も教えてもらいまーす」
悠斗は、あわてふためいた。速仁の体をうしろから抱え、その口を右手でふさいだ。
「い、いや、桜ちゃん、な、なんでもないよ、ハハハ……」
なぜ悠斗がしどろもどろになっているのか、桜子は不思議だった。
――ふーん、高校って処には、歴史や国語、数学、理科のほかにも、いろいろな種類の勉強があるのだわ。
「悠斗さん、えっちな勉強って、どんなものなのです?」
桜子からそう問われて、悠斗は固まった。速仁の口を押さえていた力も抜けてしまった。
「あ、あ、……そ、それは、説明するのが、と、と、とても、む、難しい……」
桜子の目には、悠斗のこわばった顔が、つねひごろ真剣に学問とむきあっているまじめさの表れのように映った。
――かなり高等な学問なのだわ……。宮ちゃんにわかるのだろうか?
桜子は、ようやく悠斗の手を振りほどいた速仁にむかって、キッパリと言った。
「悠斗さんが、難しい学問を教えてくださるのだから、しっかり勉強しなさいよ!」
「ああ、だいじょうぶ、勉強するよ」
悠斗の手をふりほどいた速仁は、そう返答したものの、なぜ悠斗に口をふさがれたのか、さっぱりわからなかった。悠斗の顔を見ると、空に目をやりながら、やれやれといった表情をしている。ますます不思議だった。だが、また今夜、まんがが読めそうなことはうれしかった。
速仁は頬をゆるませながら、式部の墓前で膝を曲げ、手を合わせた。
――式部ばあちゃん、おひさしぶりです。おれ、速仁だよ。おれね、いま、源氏の物語の新帖を探しだすのを手伝っています。手がかりになる鏡を見つけたよ。これからもがんばります。それから、おれ、月光の下で桜ちゃんに、好きだと伝えようと思っています。おれのこと、応援してください。
速仁は、悠斗と同じようなことを祈願し、そして誓ったのだった。
そして、速仁が小野篁の墓に黙礼したあと、悠斗は桜子と速仁をうながし、堀川通りに面する出口へ体をむけた。北大路堀川の交差点あたりで、昼食をとるつもりだった。
桜子が梢に留まっていた白スズメに目をやった。スズメはすぐに桜子の肩に飛んできた。
スズメに気づいた速仁は、
「あっ、鳥さんだ! それに、白スズメだ!」
と歓声をあげた。そして、両腕を翼のようにパタパタさせた。
スズメは、はしゃいでいる速仁の目を、にらむようにジッーとみつめかえしたあと、右脚で首をガシガシと掻きだした。
――いつまでたっても、成長せんヤツじゃのう。それにしても、どうして悠斗も速仁も、こうもおバカなんじゃろう?
スズメはふたたび両脚をしっかり桜子の肩に置き、スクッと背筋を伸ばして紫式部の供養塔をみつめた。
――式部殿、賢子さまのようすが知れて、よろしゅうございましたな。きっと、天寿をまっとうされるのでしょう。孫姫さまは、悠斗や速仁でなく、この大陰が道満からお守りいたしますぞ。




