6-1
深夜の鳥辺野を、松明の長い列がひとつ、粛々と進んでいる。その徒列に、頭をたれて惟清がくわわっていた。安倍晴明の火葬が、おこなわれようとしているのだ。
晴明は、桜子が現代へタイムワープした日に、息をひきとった。激しい雷雨が京都の街を襲っていた時分のことである。
晴明のふたりの息子は、蘇生を願い、泰山府君祭の秘術を施した。だが効験は現れない。三日三晩がすぎ、息子たちは、死相が顕わになってきた遺体を荼毘にふすことを、ついに決意した。こうして、速仁が仁和寺からタイムワープして東宮御所へもどってきたその日の夜に、晴明の遺体は屋敷を出て、鳥辺野へむかったのだった。
平安京の東南方に位置する一大葬送地。それが鳥辺野である。東山連峰のひとつである阿弥陀ヶ峰の低い山頂から、鴨川方面にかけての、なだらかな丘陵地だ。
葬儀当日の朝、藤原兼隆は憤っていた。源氏の新帖の執筆を紫式部に断念させる、という晴明の約束が、果たされなかったからだ。
――なにが希代の陰陽師だ! 聞いてあきれるわ! さっさと、鳥辺野で煙になってしまえ!
兼隆は、心のなかでなんども毒づいた。
だが、その霊魂がこの世にとどまるかもしれないと怖れる兼隆は、弔意の体裁だけは整えようとした。家臣の惟清に、供物を晴明邸に持参させ、葬儀にも参列させようとしたのである。
惟清は、兼隆邸に呼びだされ供物を託されたとき、内心、おおいに喜んだ。晴明邸の、あのたおやかな女人に、また会えるかもしれない。惟清は、葬儀だというのに心を躍らせながら東宮御所にもどり、そのあとすぐ、桜子のもとへむかう速仁を曹司のなかで見送った。昼を大きくすぎたころだった。
――若宮は、居眠り半分の勉強ぶりからみて、夕刻まえにはもどってこられるだろう。
惟清は、目のまえで消えていく速仁の姿を見つめながらそう考えた。
はたして惟清が予期したとおり、速仁は、葬送が始まる時刻よりずいぶんまえに、曹司をひとりきりで守りつづけていた惟清の目のまえに現れた。
惟清は一安心したものの、速仁のようすが尋常でないことに、また不安をつのらせた。速仁は両目を泣き腫らし、声をかけるのもはばかられるほど、しょげきっている。おまけに、文机のまえへ直行したのだ。
――えっ!? もう勉強なさるのか? 天地が逆さまになるようなことが、千年後の世でおこっていたのだろうか?
だが惟清の懸念は、すぐにやわらいだ。
速仁が、いつものように、バタンと文机にうつぶしたのだ。
「五日後に、また、一の君ちゃんのところへ行く。それまでに、勉強を、たくさんしなきゃ。――でも、明日からする」
速仁は、左頬を机にくっつけ、観音像の溶けた体を右手でなでながら、とぎれとぎれに口を開いた。
向学心がないのはいつものことにせよ、元気もうせている速仁が、やはり惟清は気にかかった。晴明の葬儀への参列は、他の者に替わってもらおうと考えた。
「今夜もわたしが宿直を務めます。お休みになりながら、一の君のごようすや、新帖探索の首尾をお話しください」
「うーん、いいけれど……。話しは、明日にしようよ。惟清は、長いあいだ、家に帰っていないんじゃない? 今夜はお帰りよ。それにおれ、今夜はひとりになりたい」
「ですが……」
「だいじょうぶ。曹司から出ずに、おとなしくしているから。明日、ひさしぶりに蹴鞠をしよう。蹴鞠のあとで、勉強もする」
「わかりました。それでは今夜、わたしは大殿の遣いで、晴明さまのご葬儀に参列してまいります」
「セイメイって、だれだったっけ?」
「陰陽師の安倍晴明さまです」
「ふーん」
速仁は、机にうつぶしたまま、興味なさそうに生返事をした。
「晴明さまが、宇治の橋姫の腕を封印してくださいました」
「そう言えば、そうだったよな」
と、速仁は、あいかわらず気のない返事だ。
惟清は、速仁がおもしろがるような話をしようと思いついた。
「晴明さまは、当代随一の陰陽師であられました。播磨国からやって来た同じ陰陽師の芦屋道満を相手に、内裏で呪術くらべをなさいまして、みごと、お勝ちになったこともございます」
大きな木箱になにが隠されているのか、それを、兼隆ら公卿のまえで占う大勝負だった。道満は、夏みかんが十五個入っていると答えた。まさしく、それが隠されていたのだ。だが晴明は、「ネズミが十五匹」と答えた。公卿たちは、晴明の負けだと思った。ところが木箱の蓋が開かれると、ネズミが十五匹、勢いよく跳び出てきた。
「晴明さまが呪術で、大柑子をネズミに変えておしまいになったのです。ネズミが四方八方走りまわり、内裏は大騒ぎになったと、呪術くらべの判者であられた大殿が、大笑いしながら仰っていました。帝や公卿さまがたに取り入ろうとした道満は、播磨国に遁走したと、伝え聞いております。ゆかいな話ですよね」
だが、速仁はクスッとも笑わない。頬を文机に押し当てたまま、
「ふーん。それって、正解をすり替えた、ってことだよな」
と、ボソリとつぶやいた。
「正解だったのに負けてしまった、ドウマンとかいう陰陽師は、そうとう頭にきたのじゃない?」
速仁の言葉に、惟清の背筋が凍った。恨みを抱く陰陽師は恐ろしい。そのうえ、道満に対抗しうる晴明は、この世にもういないのだ。
――道満が大殿を逆恨みしたら、厄介なことになるぞ。大殿がお仕えする若宮にも、害を及ぼそうとするかもしれない。おれの力で、お守りできるだろうか……。
惟清は口を引き結び、文机にうつぶしている速仁の、その小さな背中をみつめた。
速仁も黙りこみ、観音像の顔を見ながら、その体をなでつづけた。
――観音さまの、ケチ!
主従ふたりが口を閉ざしつづけるなか、東宮御所が夕闇に包まれだした。
速仁がようやく上体を起こし、両手を広げながら背伸びしたとき、曹司の外から、
「燈台をお持ちしました」
とよびかける声がした。
「あっ、乳母ちゃん! もう出仕してきたの? だいじょうぶ?」
速仁がそう答えると同時に、賢子が曹司のなかに入ってきた。
「はい、若宮さま。働いている方が、気がまぎれますしね。それに、今夜は惟清さんが晴明さまの葬儀に参列されると聞いたものですから、わたしが若宮さまのお側で寝ようと思っておりますのよ」
「えぇぇぇ、そんなの、やだよぉぉ。おれ、もう子どもじゃないから……」
「おほほ、冗談ですよ、若宮さま! ご安心ください」
と言いながら、賢子は、惟清のまえに座った。
「晴明さまの葬儀に、わたしも供物を捧げたく思います。のちほどお渡ししますので、お願いしますね」
「はい、かしこまりました。――乳母殿も晴明さまに、なにか助けられたことが、おありなのですか?」
賢子は、床に視線を落とし、
「ええ、安産の祈祷をしていただき、あの子が無事に産まれました」
と、さりげなさそうに答えた。
「さて、わたしは退散いたしましょう。ドッコイショ」
賢子が曹司から出ていくや、速仁と惟清は顔を見あわせた。
「残念ですが、乳母殿に一の君さまのことをお伝えするのは、差し控えてくださいよ。時空を超えられることは、だれにも漏らさない。観音さまとのこの約束を、しっかりお守りください。いつか、観音さまからお許しがでて、乳母殿にお伝えできるようにもなろうかと思います」
そう諭す惟清に、速仁がコクリとうなずいた。その顔は、いまにも泣きだしそうだった。
ところが、急に、なにか不思議なものを見るような顔に変わった。
「ねぇ、惟清、今日はどうして化粧しているの? 光る君みたいだね」
「えぇぇぇ、これは、あのぉぉぉ、……葬儀ですから!」
と、惟清は、うろたえながら答えた。
「若宮、それでは、このあたりで、お暇させていただきたくぞんじます」
惟清は、そそくさと退出した。
それから数刻がすぎた深夜のこと、惟清は葬列のなかの人となったのだ。
だが惟清は、晴明邸のなかでも、この葬列のなかでも、目あての女性を見つけることができなかった。気が滅入り、うちひしがれて鳥辺野を歩いた。
晴明の遺体が、いよいよ荼毘にふされた。赤々と燃える炎と白煙が、またたくまに漆黒の闇に吸いこまれていく。
惟清は、煙が目に入り、思い焦がれている女性にも会えず、涙がこぼれ落ちそうになった。
涙を見せまいとすればするほど、人目にも肩の震えが顕わになった。
晴明の息子ひとりが、謹厳な顔つきで惟清に近づき、声をかけた。
「父のことを、それほどまでに悲しんでいただき、ありがとうございます」
惟清は、袖で顔をおおいながら、ただうなずくしかなかった。




