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惟清が鳥辺野で涙しているころ、速仁は、東宮御所の曹司でひとり、光り輝く観音像とむかいあっていた。
「あのぉぉ、観音さま、またお願いがあるのですが……」
観音は、あるかないかの細い眉を、片方、うさんくさそうにつり上げた。
「あのですね、明日から、いや、なんだったら今夜も勉強いたしますので……」
観音の眉が、ますますつり上がった。
「おれを、桜ちゃんがいる世界に、ずっといさせてもらえないでしょうか!」
観音は即座に、
『それは無理!』
と、素っ気なく答えた。
「どうして!?」
速仁は、口をとがらせながら、観音の目をにらんだ。
『そんな恐い顔をしてもダメだよ。無理なものは無理なの』
「だから、どうしてだよ!」
『それはね、時空を超えることは、むこうの世界を歪めることになるからだよ。大地がおおきく歪めば、地震や噴火が起きる。大空が歪めば、異常な冷温や高温、それに突風や竜巻が地上を襲う。大雨で洪水になったかと思えば日照りとなり、高潮だって生じる。そうなったら、困るだろ! 時空を超えた世界で暮らしていけるのは、せいぜいひとりだけだよ。それ以上の人間が同時に別世界に移り住めば、歪みが大きくなりすぎて、いろいろな天変地異が起こり、みなが苦しむことになる。それに、時空を行き来するだけでも歪みは生じるから、一の宮くんも、むこうの世界へひんぱんに行くのはダメだからね』
「そんなぁぁ、おれ、五日後の正午には桜ちゃんの所に行きたいです。約束したのです! 源氏の新帖を見つけなきゃ」
『それは、かなえてあげる。だから、その日まで、しっかり勉強しなさい。机のまえに座っていても、居眠りしたら、その時間は差し引くからね!』
「へぇへぇ」
と、速仁は不服そうな声で返事し、手習い用の筆を手に取った。
だが速仁は、筆を握りしめたままで、一字も書こうとしない。
『どうしたの?』
しびれを切らして、観音像が口を開いた。
「あのぉぉ、観音さま、ものは相談なのですが……」
問われた観音は、ふたたび眉を片方つり上げた。
「おれ、父上に頼んで、石山寺にたくさん寄進してもらおうと思うのですが……」
『それはよい心がけだね。本堂の再建だけでなく、参籠所も居心地よくなれば、老若男女、みなが助かる』
「そうでしょ、よい考えでしょ。それでですね、寄進した分だけ勉強時間を減らしても、桜ちゃんの所に長くいられたらいいなぁぁ、なんて、ちょっと思ったりしたのですけれど……」
観音は、両眉をおおきくつり上げ、さらりと言い放った。
『そういう心がけなら、時空を超えていられるのは、勉強した時間の半分だけ、ってことにしよう』
「えぇぇぇ、そんなぁぁぁ!」




