第7話 装備の確保とヴェノム
湿り気と冷気が支配する広大な培養室には、のえるが閉じ込められていたカプセルの他にも、無数の円柱形チューブが並んでいた。しかし、その大半は外部からの衝撃で叩き割られていたり、電力を失って中の液体が黒く濁り、被験者が中で死絶していたりと惨状を呈している。
「……うわ、エグいな」
のえるは足元に注意を払いながら進む。床には、緊急撤退時に混乱が生じたことを物語るように、散乱した書類や壊れた端末、そして――銃撃戦の痕跡と、引きちぎられたような遺体が転がっていた。
遺体の多くは米軍の迷彩服を着た警備兵だ。数週間前か、あるいは数ヶ月前か、死後経過時間は不明だが、極寒の環境のおかげで酷い腐敗は免れている。
「悪いが、服をもらうぞ。凍死するよりは化けて出られた方がマシだろ」
のえるは比較的損傷の少ない遺体を見つけると、その傍らに屈み込んだ。
幸いなことに、その兵士は小柄な男性だった。防寒用のアサルトジャケットとカーゴパンツ、タクティカルベストを死体から手早く脱がせていく。
自分の体に当ててみると、小柄な男性用とはいえ、17歳少女の小柄な肉体にはやはり二回りほど大きい。裾や袖は大幅に余り、ダボダボとしたシルエットになってしまう。だが、裸でいるよりは百倍マシだった。
「よし……袖は折ればいいし、ベルトを限界まで締めればなんとかなるか」
迷彩服に袖を通し、ベルトをぐっと引き絞る。胸元は生地が余って少し心もとないが、上からタクティカルベストを装着して固定すれば格好はついた。ついでに足元も、厚手のソックスを二重にはいてミリタリーブーツを履く。大きめだが、歩けないほどではない。
最後に、兵士の傍らに転がっていたアサルトライフル(M4A1のカスタムモデル)を拾い上げる。
ズシリとした鉄の重みが手に伝わる。マガジンを抜き、残留弾薬を確認する。フルロードされた30発。予備のマガジンもベストのポーチに三本残っていた。
(ズーム機能、弾道補正補助……AI、射撃補助は行えるか?)
『可能です。アサルトライフルの仕様データを参照。照準のブレ補正および風速計算を網羅します』
(頼もしいねぇ)
安全装置を解除し、一度チャージングハンドルを引いて薬室に初弾を送り込む。カチャリという硬質な金属音が、静まり返った施設に響いた。
その時だ。
パリン――ガシャン!
少し離れた列にある培養カプセルが、内側から激しく粉砕される音が響いた。のえるは素早くアサルトライフルの砲先を音のした方へと向け、低く構える。
バイオ液が盛大に撒き散らされ、激しい喘ぎ声とともに、何者かがカプセルの縁を掴んで這い出てくるのが見えた。
「ハァ……ッ、ハァ……! くそっ……なんなのよ、一体……!」
煙立つバイオ液の中から現れたのは、のえると同じく、何も身に着けていない人物だった。
だが、その姿は一目で尋常ではないと分かる。肩を叩く艶やかなロングヘアは鮮烈な赤。そして、暗闇の中で獲物を狙う猛獣のようにギラギラと光る、血のような真紅の目。年齢の容姿は22歳くらいだろうか。肉体美という言葉が相応しい、しなやかで整ったスタイルの女性に見えた。
(……あいつも、適合者か)
相手はこちらの気配に気づいたのか、赤い瞳を鋭く光らせてこちらを睨みつけてきた。しかし、のえるがすでに迷彩服を着て銃を構えているのを見ると、一瞬驚いたように目を見開き、すぐに身を低くした。
そして、近くの物陰(転がっていた兵士の遺体)へと素早く滑り込み、のえると同じように一瞬で防寒迷彩服を剥ぎ取って身にまとった。その動きは異常なほど洗練されており、無駄がない。
彼女は近くに落ちていたサブマシンガンを拾い上げると、物陰から顔を出した。
「よ、よう。あんたも……同じ感じかな?」
のえるは銃口を少し下げ、苦笑いを浮かべながら声をかけた。無駄な戦闘は避けたかったし、状況を共有できる生存者は貴重だ。
赤髪の女性はのえるの姿――小さな体格にブカブカの迷彩服、ピンクがかった青髪にピンクの瞳――をじっと観察し、警戒を解かずに短く答えた。
「……おそらくそうでしょうね。予想外だったけれど」
(予想外? 何がだ? 自分が女になってることか、それとも誰かが生き残ってたことか?)
のえるは追求せず、ひらひらと手を振ってみせた。
「そっか。俺……じゃなかった、私はのえるだ」
「私は、そうね……ヴェノムとでも名乗っておきましょうか」
ヴェノム。それが彼女の仮名か、あるいは以前のコードネームなのか。本名を明かさないのはお互い様だった。
「とりあえず状況は同じみたいだし、ここにいても仕方ない」
「そうね、とりあえずは協力しましょうか。一人でこの廃墟を彷徨うよりは賢明だわ」
ヴェノムは手慣れた手つきでサブマシンガンのボルトを引き、動作を確認する。彼女の22歳程度の大人びた容姿と冷徹な雰囲気は、どこか傭兵かプロの軍人を思わせた。しかし、のえると同じ改造人間である以上、その容姿や雰囲気が「本物」かどうかは怪しいものだった。
二人が軽く言葉を交わしていると、バイオプラントのさらに奥、暗がりの中からザッ、ザッ、と静かな足音が近づいてきた。
のえるとヴェノムは瞬時に背中を合わせ、それぞれの獲物を足音の主へと向ける。
「待ってくれ、敵意はない」
影の中から現れたのは、迷彩服を着た短髪の男性だった。
身長は175センチほど、精悍な顔つきをしており、筋肉質な体をしっかりと迷彩服に包んでいる。手にしているのはアサルトライフルだ。ただし、彼の着ている迷彩服もまた、どこかの兵士から剥ぎ取ったもののようだった。
「……三人目か」
のえるが銃口をやや下げると、男性もアサルトライフルを斜めに構えて足を止めた。
「こんにちは、私はのえる」
「ヴェノムよ」
「名前を聞いても?」
のえるが尋ねると、短髪の男性は少し困ったように眉をひそめ、考え込む仕草を見せた。
「名前……か。急に聞かれても困るな」
「好きな名前でいいよ。ないと呼びづらいからさ」
のえるが笑ってみせると、男性もほっとしたように目元を緩めた。
「あはは、そっか」
男性は笑いながら、自分の喉元をさするようにして言った。
「じゃあ、私・・じゃなくて俺はヴァイス。と名乗っておこう」
(……「私」って言いかけたな)
のえるは目ざとくその言葉遣いの引っかかりを捉えた。
立ち振る舞いや声のトーンは完全に男性のものだが、ふとした瞬間の仕草、そして口癖の漏れ。喋り方からして、元女性――のえるとは逆のパターンで、肉体改造によって男性体へ変化した適合者だろう。
(ヴァイスか……思い当たる作品やゲームのキャラはチラホラあるな。元ネタはそんなところか)
「じゃあ、ヴァイス。よろしくね」
「ああ、よろしく、のえる、ヴェノム」
周囲を見渡せば、破損したポッドは他にも複数存在していた。床に残された足跡や散らばった生体液の痕跡からして、自分たち以外の被験者たちも、すでに各自目覚めて施設内へと脱出した模様だった。
あまり他人の過去や事情を詮索するものではない、というのがこの極限状態における暗黙のルールだったが、のえるは日常会話の延長のような軽いトーンでヴァイスに尋ねてみた。
「ちなみにヴァイスは、どんな『おまけ』をつけられた感じ? 私はこの通り、体はちっちゃくなるわ、脳内に変な居候(AI)がいるわで散々だけど」
「おまけ、か……」
ヴァイスは自分の太い腕を見つめ、苦笑した。
「俺は肉体強化と反射神経回路の組み込みらしい。さっき試しに壁を叩いてみたら、コンクリートが凹んだよ。神経の伝達速度も、以前とは比べものにならないくらい速くなっている気がする」
「へえ……それは頼もしいね」
肉体強化と反射神経の特化型。前衛のタンクやアタッカーとしては文句なしの性能だ。
のえる(魔法・魔力保持、思考演算AI)、ヴェノム(おそらく戦闘技術、警戒能力)、ヴァイス(超人的筋力、反射神経)。意図したわけではないが、この即席の三人パーティは案外バランスが取れているのかもしれなかった。




