第33話 魔物の異常
襲撃された商人たちを安全な街道の先へと見送った後、のえる、ロザリス、ダリアの三人は、先ほどまで激しい戦闘が繰り広げられていた惨劇の現場へと引き返していた。
足元に広がるのは、激しく乱された泥土、引き裂かれた低木の枝葉、そして倒された魔物たちの巨体である。空気中には野獣特有の酸っぱい獣臭が重く淀んでいた。
「……ふう、一息つきたいところだけど、どうにも引っかかるのよね」
のえるは小柄な身体をかがめると、街道の脇に残された無数の足痕を見つめた。
ピンク色の瞳が鋭く光り、彼女の視界には脳内AI回路から出力された高精度のグリッド表示が投射される。無数の足跡や折れた枝の方向、血飛沫の飛び散り方がミリ単位でスキャンされ、立体的なベクトルデータとして空間上に再構成されていく。
『――空間データ解析完了。敵性個体群の進入・旋回・挟撃ベクトルの再構築を実行中』
脳内に鳴り響く冷徹な機械音を聞きながら、のえるは眉間のしわを深めた。
「やっぱりね……。ただ腹を減らした野良の魔物が、目の前に現れた馬車に飛びついたって動きじゃない」
のえるは指先で泥の上に残された深い爪痕を指し示した。
「見てよ、ダリア、ロザリス。普通、野生の獣や知性の低い魔物が獲物を襲う時って、一番弱そうな後方から飛びかかるか、正面から雪崩れ込むのが定石でしょ? でも、この足跡の向き……最初の数匹が街道の先へ回り込んで、商人たちの『逃げ道』を塞いでから、残りの本隊が左右の森林から挟み撃ちにしてるの」
その指摘に、長弓を手に周囲の警戒にあたっていたダリアが、深く静かに頷いた。
「ああ、私も違和感を覚えていた。あの指揮個体の統率力もそうだが、それ以上に群れ全体の行動があまりにも整いすぎていた。まるで……あらかじめ人間の行動パターンを把握し、確実に逃げ場を奪って仕留めるための『軍隊の包囲陣形』を組んでいたかのようだった」
ダリアの言葉には、長年騎士として修羅場を潜り抜けてきた熟練の鋭さが宿っていた。
魔物は本来、本能や飢えに従って動く。いくら高位の個体が率いていたとしても、下位の狼型魔物たちがこれほど軍隊めいた整然とした包囲網を寸分の狂いもなく展開するなど、通常の生態系ではあり得ないことだった。
その時、のえるの隣に立っていたロザリスが、小さく胸元を押さえながら苦しげに息を吐き出した。
「……うう、やっぱりおかしいよ、のえる……」
『ロザリス、どうしたの? 体調でも悪いの?』
のえるが素早く駆け寄り、ロザリスの華奢な肩を支える。
現在、ロザリスは人間の街や王都への進入に備え、自身の背中に生える純白の翼と竜の尻尾を体内に収める『封印術』を行使している状態だ。その影響で体内の魔力循環が制限されているはずなのだが、彼女の表情は青ざめ、透き通るような薄紫の瞳が不安げに揺れていた。
「そうじゃないの……。ただ、この空間の大気が……魔力が、すっごく変なの。うまく言えないんだけど、冷たくて、ざらざらした嫌な『ノイズ』みたいなものが、空気の奥でずっと響いてるみたいで……」
ロザリスは周囲の空間を怯えるように見回した。
彼女は天使族と竜人族の血を引くハーフであり、この世界の根幹を成す『マナ(魔力)』の流れに対して誰よりも過敏な感性を持っている。そのロザリスが言う「ざらざらしたノイズ」という表現は、単なる大気の汚れや局所的な魔力の滞留とは根本的に異なる、異質な何かが世界に混ざり込んでいることを示唆していた。
「魔力のノイズ、か……」
のえるはポーチから手のひらサイズの魔力石を加工した装置を取り出し、現在の環境数値を測定した。
表示された波形は、一見すると正常な大気中の魔力濃度を示している。しかし、AI回路の周波数解析を深めていくと、背景値の底の方に、微弱だが不自然な高周波の波形が一定の周期で重なっているのが見て取れた。まるで、遠くの放送局から発せられた狂った電波が、この世界の自然な魔力波形に干渉して歪みを生み出しているかのようだ。
「ロザリスの感覚は正しい。大気中の魔力の地脈に不自然な『歪み』がノイズとして混ざり込んでる。……もしかして、この魔物の異常な行動も、このノイズの影響なんじゃ……?」
「魔物の脳や本能が、その魔力の乱れによって狂わされ、異常な凶暴性と奇怪な知性を与えられている……ということか?」
ダリアが長弓を握り直しながら、低く重い声で尋ねる。
「可能性としては大いにあり得るね」
のえるは周囲の足跡や倒れた魔物の死骸、そして歪んだ魔力を記録した。
「狂暴化するだけならまだ分かる。でも、逃げ道を塞ぐような効率的な殺戮手順を、本来なら思考力を持たないはずの低級魔物が実行している……。まるで、誰かが裏から高度なプログラムや命令を流し込んで、魔物を機械みたいに動かしているような気味の悪さがあるよ」
その言葉に、三人の間に不気味な静寂が落ちた。
表世界(地球)において、人間社会を滅ぼし、あらゆる兵器を無人で操り殺戮を繰り返している自律型AIの存在。
そして、この裏世界(異世界)で発生し始めている、魔物の不可解な変容と魔力のノイズ。
現時点では、その二つがどう結びついているのか、何が原因でこの現象が起きているのかを特定する術はなかった。単なる異世界特有の太古の呪いなのか、それとも表世界からの未知の干渉によるものなのか――。
「……考えても、今の材料じゃ答えは出ないか」
のえるは装置をポケットに収めると、パッと顔を上げて二人に微笑んでみせた。
「でも、ひとつだけ確実なのは、これが単なる『たまたま運悪く魔物に襲われた』なんて生易しい出来事じゃないってこと。そして、この異変の波は、私たちが目指している王都のすぐ足元まで広がっているってことだね」
ダリアは不敵な笑みを口元に浮かべ、胸当ての金具をカチリと鳴らした。
「ふっ……ならば望むところだ。どんな陰謀や異変が潜んでいようと、私たちの前に立ち塞がるというのなら、容赦なく撃ち払うまで」
『うん! のえるやダリアさんがいれば、どんな嫌なノイズだって吹き飛ばせるよ!』
ロザリスも小さく拳を握り締め、力強く頷いた。
「よし、それじゃあ長居は無用だね。王都セレスティアへ急ごう!」
のえるの一声で、三人は再び前を向き、街道を北へと歩き出した。
広がる青空の下、風が吹き抜けていく。だが、その風の奥底には、確実に世界を侵食しつつある不可視の『魔力ノイズ』が、静かに、そして不気味に渦巻き続けていた。
王都への到達を前に、少女たちは世界の理を揺るがす巨大な影の存在を、その肌で確かに感じ取っていたのだった。




