第34話 王都の門
街道を進み、幾重にも連なる小高い丘を越えた先で、その巨大な建造物はついに姿を現した。
「うわあ……大きい……!」
ロザリスが思わず感嘆の声を漏らし、足を止めた。
視界いっぱいに広がるのは、白亜の巨石を積み上げて築かれた、全高数十メートルにも及ぶ圧倒的な外壁――アルセリア王国の首都、『王都セレスティア』であった。
広大な平原の中央に座するその城塞都市は、遠目からでも内部に立ち並ぶ赤い瓦屋根の街並みや、中央の高台にそびえ立つ壮麗な王城の尖塔を望むことができる。街の周囲を巡る外壁には一定間隔で防衛用のタワーが配置され、幾重にも重なる重厚なアーチ状の正門――『開明の大門』からは、国中から集まった行商の馬車や旅人、冒険者たちの列が絶え間なく吸い込まれていた。
「ゲームやアニメで見たような、まさに『王都』って感じだね……」
(これぞ、ファンタジー!)
のえるは小柄な身体を伸ばすようにして見上げ、ピンク色の瞳を輝かせた。
彼女の視界には、脳内AI回路による自動スキャンデータがリアルタイムでレイヤー表示されている。
『――外郭建造物の構造解析完了。主材質:補強加工済み石灰岩。防衛兵器:城壁上部に大型投石機および砲台を複数確認。警備兵力:門周辺に重装歩兵32、長槍兵16。高密度な配置パターンを検出』
「外見は華やかだけど、警備の厳しさは伊達じゃないね。やっぱり、街道の魔物被害や各地の異常事態を受けて、警戒レベルを引き上げてるのかな」
のえるが呟くと、隣に立つダリアが深めに被ったフードの影から冷ややかな視線を門へと向けた。
「それだけではないな、のえる。王都の警備が厳重なのは、外部の脅威に対する防衛のためだけではない。『内側の秩序』……すなわち貴族社会の厳格な身分制度と、平民や異種族を峻別するための網なのだよ」
ダリアの言葉通り、門の前で繰り広げられている光景は、どこか奇妙な緊張感を孕んでいた。
豪華な意匠が施された馬車に乗る裕福な商人や貴族層は、胸元に掲げた紋章入りの通行証を見せるだけで、白銀の鎧を着た騎士たちから恭しい敬礼を受けてスムーズに門をくぐっていく。
一方で、徒歩でやってきた農民や流れの冒険者、そして亜人や異種族の者たちは、門脇の検問所で厳しい身体検査を受けさせられ、重い通行税や身元保証を要求されていた。
「身分制度、ねえ……」
のえるは小さく溜息をついた。
現代社会や、バイオプラントでの実験体生活を経てきたのえるにとって、生まれや血統だけで人間の価値を判別するような古い体制は、面倒くささの極みでしかない。
「まあ、文句を言っても始まらないし、私たちはガルシアさんからもらった正式な紹介状と通行証があるからね。堂々と行こうか」
三人は検問を待つ長い列の最後尾へと並んだ。
ロザリスは現在、体内に翼と竜の尻尾を格納する封印術を行使しており、見た目は可憐な人間の少女そのものだ。ダリアもまた、特徴的な長い耳と褐色肌を隠すようにマントのフードを深く目元まで引き下げ、余計な目立ち方をしないよう気配を消している。
順番が近づき、三人の目の前に立ちふさがったのは、王立騎士団の紋章が刻まれたプレートアーマーを身に纏う二人の若い騎士だった。
「次! 通行証と身分を明かせ!」
横柄な声で命じる若い騎士に対し、のえるはポケットからガルシア領主の親書と、ゴールドに輝く特製の通行証を差し出した。
「ガルシア領からの使いで来ました。領主様の直筆の紹介状と通行証です」
「……む?」
騎士は怪訝そうな顔で通行証を受け取ると、そこに刻まれた領主の印章と、最高ランクの通行権を示す刻印を二度見した。小柄で可憐な17歳前後の少女が、これほど高位の通行証を所持していることが信じられないといった様子だ。
「……ガルシア子爵閣下の特命だと? おい、羊皮紙の封ろうを確認しろ」
「本物です、先任殿。間違いない……子爵閣下の直筆署名と魔力印です」
同僚の騎士が確認すると、横柄だった若い騎士の態度が一変した。貴族の威光には極めて弱いらしい。
「失礼した。子爵閣下の命を受けての来都であれば、何の問題もない。……だが、後ろの二人も同行者か?」
騎士の鋭い視線が、のえるの背後に立つロザリスとダリアへと向けられた。
ロザリスは少し怯えたようにのえるの服の裾をキュッと掴んだが、持ち前の愛くるしい笑顔で軽く会釈してみせた。騎士はロザリスの無害そうな姿を見てすぐに視線を外したが、問題は最後の一人だった。
「おい、そこのお前。フードを取れ。王都の門を通る以上、顔を確認させてもらう」
ダリアの身体が一瞬、硬直した。
のえるは横からさりげなく助け舟を出そうとした。
「あ、彼女は私の護衛で――」
「規則だ。顔を見せてもらおう」
騎士は手にした長槍の柄で、ダリアの肩を軽く突くように催促した。
断ればかえって怪しまれる。覚悟を決めたダリアは、静かに吐息を漏らすと、細く引き締まった手でゆっくりとフードを後ろへと追いやった。
陽光の下に露わになったのは、透き通るような褐色の肌、鋭い眼光を湛えた紫色の瞳、そして流れるような銀髪から覗く長い耳――洗練された、あまりにも美しいダークエルフの容姿だった。
「……チッ、ダークエルフか」
若い騎士はあからさまに不快そうな顔を浮かべ、蔑むような視線を向けた。
「子爵閣下も物好きだな、こんな異種族を護衛に雇うとは――」
その時だった。
検問所の少し奥、騎士たちの詰所から歩み出てきた一人の年配のベテラン騎士が、ダリアの顔を一目見るなり、手にしていた羊皮紙の束をガタリと地面へ落とした。
「……な……?」
ベテラン騎士は目を限界まで見開き、信じられないものを見たかのようにダリアを指さした。その声は激しく震えている。
「お……お前……まさか……ダリア……!? ダリア騎士団長なのか……!?」
「……っ!?」
周囲の騎士たちが一斉にざわめいた。
「ダリア……? あの、半年前に部隊を全滅させて失踪した……!?」
「元・第3騎士団長の、あの『黒狼』ダリアか!?」
「バカ言え! 彼女は戦死したと本部に報告されていたはずだぞ!」
一瞬にして、検問所の空気が緊迫した氷のように張りつめた。
若い騎士たちも慌てて剣の柄に手をかけ、警戒の姿勢を取る。ダリアの存在は、この王立騎士団において「過去の英雄」であり、同時に「組織を捨てて消えた不都合な亡霊」でもあったのだ。
ダリアは感情を殺した冷ややかな瞳で、ベテラン騎士を見つめ返した。
「……久しぶりだな、カーター隊長。息災だったか」
「本当……本当に生きいていたのか、ダリア……! なぜ今になって王都へ……いや、それより、お前が生きていると知れば、騎士団本部は黙っちゃいないぞ!」
カーターと呼ばれたベテラン騎士の顔には、驚愕と、混乱、そしてどこか昔の部下に対する複雑な葛藤が入り混じっていた。
のえるは瞬時に自分と仲間たちの間に足を踏み入れ、手にした通行証を騎士たちの目の前へ突き出した。
「そこまでだよ、騎士様たち」
のえるの声は小さかったが、周囲の空気をピリッと凍りつかせるような圧倒的なプレッシャーを孕んでいた。脳内AIの演算によって最適化された発声と威圧の波動である。
「彼女は今、ガルシア領主閣下の正式な護衛として、私のパーティーに所属している『冒険者ダリア』だよ。過去にどんな経緯があろうと、今の彼女はこの通行証によって王都への立ち入りを正式に認められた人物だ。……それとも、王立騎士団は領主閣下の特命を帯びた一行の立ち入りを、個人的な古い噂だけで拒否するつもり?」
のえるの凛とした態度と、一切の隙がない立ち振る舞いに、騎士たちはぐっと言葉を詰まらせた。
カーター隊長は深いため息をつき、手を挙げて部下たちの警戒を制した。
「……いや。言われた通りだ。正式な通行証がある以上、我々に立ち入りを拒否する権限はない。……通れ」
「助かるよ。行こう、ダリア、ロザリス」
のえるは二人の手を引き、凍りついた検問所の騎士たちの間を堂々と通り抜けた。
ダリアは再びフードを深々と被り直し、視線を落としたまま静かに門をくぐった。
一歩、王都の内部へと足を踏み入れれば、そこには外の物々しさを忘れさせるほどの圧倒的な活気と色彩が広がっていた。
石畳の広大な大通り。立ち並ぶ重厚な石造りの商店や露店。行き交う無数の人々、馬車の喧騒、焼きたてのパンや香辛料の香ばしい匂い。それらはすべて、一国の首都にふさわしい絢爛豪華な繁栄を誇っていた。
しかし――。
「……広がってるね」
のえるが背後を振り返ると、検問所の騎士たちが急ぎ足で伝令の兵を城の方角へ走らせる姿が見えた。
「ダリアが生きているという噂、そして私たちが王都に入ったという情報……あっという間に騎士団本部や貴族たちの耳に届くよ」
ダリアは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
「……すまない、のえる。さっそく迷惑をかけたな」
「謝ることじゃないって言ったでしょ」
のえるはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ダリアの腰をポンと叩いた。
「むしろ好都合だよ。向こうから勝手に気にしてくれるなら、政治交渉のテーブルにつく時にもナメられずに済むしね」
ロザリスも不安を吹き飛ばすように、明るい笑顔で二人の手を握りしめた。
『うん! 私たちがついてるもん! どんな偉い騎士様が来ても、絶対負けないよ!』
王都の喧騒の中に溶け込みながら、のえるたちは冒険者ギルドの王都支部、そして目的の宿へと向かって歩き出した。
王都セレスティア。
この繁栄の裏に渦巻く貴族たちの陰謀、軍需物資の横流し、異種族への偏見、そして世界を侵食しつつある『魔力ノイズ』の脅威――。
少女たちが王都の門をくぐったこの瞬間、物語は単なる地方の魔物退治から、一国の運命と世界の未来を揺るがす『王都編』へと、本格的にその幕を上げるのだった。




